因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

オフィスコットーネプロデュース『墓場なき死者』

2021-02-01 | 舞台
*第31回下北沢演劇祭参加作品 ジャン・ポール・サルトル作 岩切正一郎翻訳 稲葉賀恵(文学座/過去記事12)演出 公式サイトはこちら 11日まで 下北沢駅前劇場
 1944年7月、ドイツ軍占領下のフランス。連合軍がノルマンディーに上陸してドイツの敗北が濃厚になるなか、あるレジスタンスの村が襲撃された。わずかに生き残った5人のレジスタンスの闘士たちは、対独協力のペタン政権の民兵に監禁されている。民兵が知りたいのはレジスタンスの隊長の居所だ。同じフランス人同士の対立と、圧倒的な暴力による支配が果たして相手の自尊心を打ち砕くことができるのか、その先に希望はあるのかを容赦なく描く。

 もとは何かの学校らしき古い建物の屋根裏部屋に手錠を掛けられたレジスタンス兵男女5人がいる。隊長のジャン(山本亨)の行方を決してしゃべるまいと決意しているが、その意識は決して同一ではない。唯一の女性であるリュシー(土井ケイト)がジャンの恋人であること、そのリュシーにソルビエ(渡邊りょう)とアンリ(富岡晃一郎)が好意を抱いているため、彼らの関係性や心の動きは複雑だ。さらに巡邏隊に捕まったものの、村の者だと偽っているジャンが途中から加わることで話はいっそう厄介になる。またわずか15歳のフランソワ(田中亨)を民兵たちはもっとも落としやすい相手と狙っており、その彼がリュシーの弟であることも同様である。年長のギリシャ人カノリス(中村彰男)は経験値と若い同志たちへの情愛から、生き延びる方法を模索しているようにも見える(彼が終盤でリュシーを説得する場面は見応えがある)。

 舞台が暗転すると民兵たちが居る下の部屋になる。いわゆる一杯道具の装置で二つの空間を無理なく見せる作りである(長田佳代子・美術)。リーダー格のランドリュ(池田努)、いかにも切れ者らしいクロシェ(阿岐之将一)にペルラン(柳内佑介。この役の性格を表現するのはむずかしい)の3人も決して一枚岩ではなく、レジスタンス兵たちと同様に対立や衝突が絶えない。

 民兵のなかでもっともサディスティックなのがクロシェで、相手の肉体を痛めつけると同時に、精神的な打撃を与えるポイントをよくよく心得ており、前半でアンリを拷問する場の台詞はゆったりと静かで、甘美ですらある。彼にとって拷問はセックスと同じなのだろう。辛抱強いアンリが痛みに叫び声をあげるまで着実な手順を踏む。相手をわがものにし、苦痛の叫びをあげさせる=セックスで相手に快楽の声を出させることに達成感を感じているのだろう。阿岐之は昨年1月のTriglav公演『ハツカネズミと人間』こちらと、よろしかったらこちらも)の舞台で知的なリーダーを淡々と演じており、今回のクロシェもしっかりと手の内に入った造形であった。アンリの様子を凝視しながら、憲兵のコルビエに低い声で「廻せ」と命令する場面の彼は、ぞくぞくするほど魅力的である。

 興味深いのは憲兵コルビエ(武田知久)の存在だ。民兵よりも下の階級で、彼らの命令に一方的に従う男だが、たったひとつ命令されたのではない行動がある。台本には書かれておらず、演出によるものと思われるが、舞台左の壁に白いチョークでフランス語のタイトルを書き、レジスタンス兵たちの名を尋問される順に一人ひとり書いてゆく。が、やがてその下に民兵たちの名も書かれるあたりから(←名前が書かれることと尋問の順番、民兵の名も書かれたかどうか、「自分が観劇した回では違った」というご指摘がありました。もはや記憶が曖昧なので、ご了承の上お読みください)、絶対的な強者である民兵たちもまた、ドイツの敗戦によって「墓場なき死者」となる運命になることを示しており、この無口で上官の言うがままに囚人を殴り、棒を廻し、爪を剥がすコルビエが次第に不気味な存在に見えてくるのである。戦争が終わったあと、彼はどのように生きていくのか(彼は生き残るのではないかと思う)、人間の醜く悲しい様相を見せつけられ、ひたすら命令に従ったことを長く苦しむのか、あるいはすべてを心のなかにしまい込み、虚無的に生きていくのか。

「自分だったらどうするか」と突きつけられるのが辛い内容であり、救いがなくやりきれない結末である。しかしこの重量級の作品に出会えたことは観客として幸せな体験であったと思う。関係者の方々の労苦に敬意を表し、無事に千秋楽を迎えられることを切に祈り願う。
 
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