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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

文学座公演『女の一生』プレ・イベント

2015-01-26 | 舞台番外編

*文学座、早稲田大学演劇博物館共催。1月14日18時30分~早稲田大学大隈講堂小講堂
 3月に三越劇場で行われる文学座公演『女の一生』上演ににさきがけて行われた。事前予約申し込みなしのイベントだが、小講堂はほとんどの座席が埋まり、なかなかの盛況である。

 第一部は、主人公布引けい役平淑恵と、堤栄二役上川路啓志による同作品の朗読だ。俳優お二人は台本をもって椅子にかけ、けいと栄治の場面に限って読み合わせを行う。第一幕第一場、焼け跡となった堤家でけいと栄治が再会する場面にはじまって、若いふたりの最初の出会い、中年になってからの再会と訣別、そしてふたたび最初の場面にもどって老境のふたりが穏やかにほほえみあって幕となる。今回演出を担当する鵜山仁も登壇し、読み合わせの途中でト書きを読んだり、かんたんな状況説明をしつつ、ダイジェスト版『女の一生』を導く。
 衣裳もかつらもつけず、椅子にかけたままの朗読である。しかし台詞のひとつひとつが粒だってこちらの耳に、心に響いてくる。上演のたびに清新な心持ちになれる大好きな演目だから、台詞を覚えてしまっている場面もあって、しかし「知っている台詞や場面をまたみている」という気持ちはまったくない。どうしてこんなにぐいぐいと惹きつけられるのだろう。

 休憩をはさんで第二部は、演劇評論家の大笹吉雄氏と演出家の鵜山仁氏をパネリストに、本作についてのシンポジウムが行われた。司会は早稲田大学教授で同大学演劇博物館副館長の児玉竜一氏。
 日本の演劇界の歴史における『女の一生』の特殊性を、その成立の発端から敗戦の数カ月前に行われた初演時の状況、劇作家森本薫のこと、杉村春子の俳優としての特殊性などがさまざまな方面から解説され、とてもメモ書きが追いつかなかった。『女の一生』を、そして杉村春子のことを語る大笹氏の熱いこと熱いこと・・・。

 シンポジウム終盤では、さきほど朗読を行った平淑恵にもマイクが渡され、杉村春子から布引けい役を受け継いだ1996年当時の思い出が語られた。文学座大看板であり、『女の一生』と言えば杉村春子しかないほどの当たり役が、まだ存命中に後輩に引き継がれることを知ったときは非常に驚いた。そして自分がまだ現役のうちに、この役を後輩に譲った杉村春子の潔さ、懐の深さに感服した。しかし長年のファンにとってはただごとではなかったらしく、杉村さんの自宅には、「どうしてあなたが演じないのだ?」という電話が鳴りつづけ、杉村さんは「電話線を抜いちゃった」とのこと。

 いまでこそ笑い話だが、これは本作のありかたを象徴するできごとではないだろうか。というか大問題であると思う。
 自分は文学座の内部の事情についてはまったく知るものではなく、以下の記述は作り手側ではなく、受け手、観客について考えたことである。

 何十年も演じつづけてきた杉村春子の「けい」がみたい。初々しい娘時代から堤家の女主人となり、夫や娘にも背かれて孤立し、それでも必死で家と仕事を守り抜く。主人公のすがたに劇団を背負ってきた杉村春子の人生がだぶり、有無を言わさぬ迫力、円熟の極みを堪能したい。その気持ちはよくわかる。しかしそこを一歩堪えて、若手の舞台を受けとめることも必要ではないか。
 杉村春子と比較するのではなく、いま演じているその人の生身のすがたから、将来の伸びしろを想像するのである。そのなかで、「こんな布引けいがみたい」、「この作品のこういった別の面を知りたい」という夢も生まれるはずだ。
 作品を受け継ぐのは作り手の劇団や演出家、俳優たちだけではない。観客もまた、この複雑で一筋縄ではゆかない過程を背負い、70年の長きにわたって上演されてきた『女の一生』を、観客の立場から継承するのである。

 大笹氏は、「にもかかわらず」ということばを何度も使われた。『女の一生』は、当時の国策によって書かされた作品であり、森本薫が書きたくて書いたものではない。にもかかわらず、これほどの長寿作品となった。また主人公の布引けいは、非常に癖があり、傲慢なところもあって、いわゆる「愛されるヒロイン」ではない。にもかかわらず、多くの観客が本作を支持した。ひとりの人物の少女から老年までを同じ俳優が演じることも、近代戯曲ではあまりない。にもかかわらず、新劇の老舗劇団である文学座の財産演目となった。

 自分にも、本作に対するいろいろな「にもかかわらず」がある。自分は杉村春子の熱心なファンでは決してない。にもかかわらず、『女の一生』が好きでたまらない。布引けいのことも、実をいうと共感できるところがあまりない。にもかかわらず、この女性の一挙手一投足から目が離せないのだ。
 『女の一生』をみるのは、作品じたいがもつさまざまな「にもかかわらず」をひとつひとつ検証することであり、自分の心にもある「にもかかわらず」から目を逸らさず、その理由を根気よく考えつづけることなのである。

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