草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

「シナ」趣味と同類感で独裁中共を論じるのは間違いだ!

2019年06月06日 | 思想家

田中美知太郎は「わたしは中共独裁政権下のシナの出来事について、ほとんどイリュージョンを持たなかった」(『直言、そして考察—今日の政治的関心』)と書いた。昭和42年当時の中共の文化大革命の報道に触れて「シナ趣味とか、シナとの同類感というものは、今日のシナを見るのには、むしろ有害無用である」と喝破したのである▼今の習近平は、第二の毛沢東を目指して、死ぬまで権力を手放すつもりはないらしい。その根拠となっているのが毛沢東思想である。それがマルクス主義と呼べる代物かどうか疑問ではあるが、毛沢東思想の復活を目論む中共指導部は、それでもって民衆への弾圧を正当化しようとしているのだ▼我が国の知識人の多くは、つい最近まで、中共を擁護するにあたって「スコラ主義的思考」に陥っていた。マルクスやレーニンと同じように、毛沢東の文章を金科玉条として、訓詁解釈をほどこし、それで権威付けしていた。いうまでもなく「シナ趣味」のせいであり、その教育を受けた者たちが未だにマスコミ関係者には多い。共産軍閥の軍事的な勝利でしかないにもかかわらず、人民中国の誕生と位置付けたことが間違いなのである▼中国共産党によって殺害された人の数は何千万ともいわれている。米中貿易戦争で中共の経済はガタガタである。外国に出かけて自由の空気を吸った民衆が決起して、いつ天下大動乱になっても不思議ではない。「シナ趣味」で現在の中共を論じるべきではないのである。

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