天安門事件から来る4日で30年を迎える。民主化を求める学生や市民に対して、人民解放軍が発砲し、戦車のキャタピラで多くの命が奪われたのである。英国の公文書では1万人以上が殺害されたとみている。多くの日本人のなかに息づいていた内なるアジアへの憧憬は、これによって吹き飛んでしまったのである。人民解放軍を名乗りながら、民衆を虫けら扱いにしたことは、断じて許されるべきではない▼葦津珍彦は『明治維新と東洋の解放』の冒頭で「二十世紀の世界史は、アジア・ナショナリズムの雄大な展開を記録する。十九世紀の日本の明治維新は、このアジア・ナショナリズム発展史の序曲であった」と書いた▼我が国は好戦的であったわけでなく、欧米列強の侵略を阻止せんがために、徳川幕府を倒し、新たな国づくりに着手したのである。最終の目的は、アジアアフリカの民衆が独立を獲得することであった。アメリカと一戦交えて敗北したとはいえ、欧米列強の植民地支配はあっけなく崩壊したのである▼日本の民族派の流れは、玄洋社以来「大アジア主義」であった。辛亥革命に馳せ参じたのも、そのためであった。現在の東アジアはかつてない危機にある。中共や北朝鮮は全体主義に転落し、韓国も両国の影響下にある。支那中国が変わらなければ、「大アジア主義」のスローガンは通用しない。アジアとの連帯を希望するとしても、それは儚い夢に終わってしまった。天安門事件が大きな節目だった。あのときの学生や市民が逃げ惑うさまは、まさしく修羅場であったからだ。
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