草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

不甲斐なき野党を徹底批判する山本太郎の経済政策とは!

2019年06月19日 | 経済

山本太郎が注目されているのは、立憲民主党や共産党がだらしないからである。今の日本の左翼は緊縮財政にこだわって、新自由主義者と同じく、小さな政府に加担している。国の権限を強化して中央銀行に働きかけ、どんどん紙幣を刷るというのは、もともと社会主義者やリベラル派の主張なのである▼逆に保守派であるはずの安倍内閣が先取りして、アベノミクスでリフレを行い、雇用を改善した。本来であれば、民主党がやるべきであったのに、連合などの労働組合が足を引っ張った。山本はアベノミクスの先を目指しているのであって、左派本来の経済政策を打ち出したいだけなのである▼アゴラあたりが山本を評価するのは、あながち間違ってはいない。そして、山本への危惧というのもあたっている。イタリアのファシズムがそうであったように、当初は社会主義を目指しながら、いつしかムッソリーニは変わったのである。「新選組」という名称にこだわるあたりは、多摩地区の農民を武装化し京都で暴れ回った、近藤勇が率いる試衛館グループを意識したのではないだろうか▼元気のない野党に取って代わる受け皿として、山本は参議院選挙で一定程度のブームは起こすはずだ。ろくな思想がないと思われた山本が剛速球を投げてきたのだから、私たち保守派も安閑としてはいられない。新たな指導者を世に送り出すべきなのである。

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桜桃忌に左翼運動に背を向けた太宰治の人間愛を思う!

2019年06月19日 | 思想家

今日は桜桃忌である。太宰治が愛人の山崎富栄と三鷹市付近の玉川上水に身を投げ、その遺体が発見された日で、71年前のことである▼福田恆存は『芥川龍之介と太宰治』における太宰評において「貧しきものへの同情」という見方を示した。「自信満々、社会にたいするおのれの役割を信じ切っているプロレタリアートではなく、心よわきもの、生活苦に重荷を背負えるもの、気兼ねしいしい、世の片隅につつましく生きているもの、という意味だ。とすれば、虚飾を洗いさってみたときの、それはあらゆる人間存在の根底につきまとう悲しさではないか」▼太宰の『乞食学生』での「僕は、心の弱さを、隠さない人を信頼する。」との一言を重視したのだった。左翼の運動は社会に役立つかどうかで全てを裁断する。福田からすれば、太宰は「他人に役立ちえぬもの、あるいは他人に厄介をかけるものをすら、救い愛そうとする思想にめざめた」ことで、そこから離れざるを得なかったのである▼それぞれの人間のどうしようもない悲しみは、この世に生まれたときからの宿命である。それを政治が解決してくれるという幻想は、誤った方向に人びとを導くことになる。自分を留置場にぶちこんだ巡査にすら同情を抱く太宰は、もっと奥深いところで、個々の人間を見ていたのであり、弱い人間同士がいたわりあうことを訴えたかったのである。

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