草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

保守はイデオロギーではなく日本を愛する心だ!

2013年03月31日 | 政局

 会津から日本や世界を語ることは、管(くだ)から見ているのと変わらず、いかに優秀な人であっても、限界があることは否めない。私ごときがあえて物を申すのは、日本のインテリが忘れている土着大衆の思いを知って欲しいからである。「八重の桜」に登場する山本覚馬の「管見」ではないが、押し黙っているわけにはいかないからだ。覚馬の場合には、あの時代を代表する思想家であった、佐久間象山から直接教えを受けた。私はあくまでも在野であり、大学を卒業してからというものは、まったくの独学である。しかし、会津に引きこもったことで、かえって見えない世界が見えてきた気がする。一切の政治権力や党派とは無縁な立場に身を置いてきたからだ。そこで痛切に感じたことは、保守政党である自民党の変貌である。とくに、小泉構造改革以降は、イデオロギー政党になってきた。それが大きな流れだとしても、ソフトランディングするすべを自民党は見失っているのではないだろうか。ブレーキをかけて、軌道修正をしてくれると期待されているのが安倍晋三首相である。まだ結論を出すのは早いが、もたもたしているように思えてならない。次の参議院選挙で自民学が勝つまでの我慢だとしても、もう少し保守派らしい指導力を発揮すべきだろう。そして、保守として守るべき日本の価値は市場原理とは相容れないことだけは、肝に銘じてもらわなくては。


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デモをする保守より暴力で襲いかかるサヨクが問題だ!

2013年03月31日 | 祖国日本を救う運動

 中共や韓国の日本に対する嫌がらせは、常軌を逸したものがある。これに対して日本の保守派がデモをするのはあたりまえだ。もちろん、そこには理性が働かなければならないが、暴力を行使しなければ、公共の福祉に反しなければ、法律で取り締まれないのは、表現の自由に対する規制になるからだ。猪瀬直樹東京都知事が法律上の限界に言及したのは、当然と言えば当然だ。むやみに警察権力を行使することへのためらいが、まず先に立つのだろう。60年安保騒動では、公然と「岸殺せ」というシュプレキコールが上がった。さらに、70年代の内ゲバの時代には、各セクトは機関紙でもって、敵対セクトを殺害することを宣言し、実際にそれを実行に移した。今回はそのときに手を汚した連中が、在日の勢力と結託して、行動する保守派を悪者に仕立て上げているのである。しかも、暴力を振るうのは決まってサヨクの方だ。もともとデモはサヨクの専売特許であった。機動隊と乱闘をすることが目的で、成田三里塚がそうであったように、人殺しも肯定されていた。これと比べると、行動する保守は格段におとなしい。犬を連れて参加したり、着物姿という人もおり、一般市民の草の根のレベルである。にもかかわらず、街頭に出て自分たちの考えを訴えたのである。その勇気に私は敬服する。戦略的な意味からも暴言は慎めばいいのである。悪者にされやられっぱなしの日本人が、已むに已まれず声をあげたことを、どうして取り締まる必要があろう。


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押しつけ憲法を正当化した東大岩波文化人芦部信喜!

2013年03月31日 | 思想家

 安倍晋三首相が憲法学者の芦部信喜の名前を知らなかったというので、鬼の首でも取ったように喜んでいるサヨクには嗤ってしまった。サヨクが信奉していた東大岩波文化人の権威が失墜して、どれだけの年数が経ったか、理解できないのだろうか。しかも、民主党の小西洋之参議院議員が持ち上げていた芦部にいたっては、現憲法を絶対視して、戦後の日本を誤った方向に引っ張った張本人であり、批判されるべき対象でしかない。とくに芦部は岩波の「思想」の1962年第5号において、アメリカを始めとする連合国が日本の憲法に口を挟んだことを正当化するために、「国際社会の利益を防衛するため、一国の憲法の自立性を制約する条約、それのもとづく干渉は合法だといっていい」と主張したのである。日本がポツダム宣言を受託したことをもって、押しつけ憲法を容認したのである。ポツダム宣言のなかで「民主主義的傾向ノ復活強化」に触れているので、それを根拠にしたのだった。宮沢俊義をトップにし、芦部や小林直樹らが陣取った東大法学部が、戦後一貫して護憲派の拠点であった。これから憲法改正が具体的な日程にのぼってくれば、国民主権という概念についても、様々な議論が行われるはずだ。外国の干渉を認めてしまうような法解釈では、国民が抜け落ちかねないからだ。さらに、国民とは、生きている者だけではなく、死者やこれから生まれて来る者たちに対しても、ある種の責任を感じるべきである。その魂の共同体としての国柄にも、当然のごとく目が向けられるべきだろう。


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コメント (2)
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