中共や北朝鮮の体制が崩壊しないのはなぜだろう。一党独裁や個人崇拝の全体主義に支配されていれば、不満を抱いた民衆が立ちあがってよさそうである。しかし、現実はそうではない。シモーヌ・ヴエイユは「抑圧のある段階をすぎると、権力者はかならず自分の奴隷たちに崇拝される。絶対的な拘束をうけ、他者の玩具であるという考えは、人間にとって耐えがたい。したがって、拘束を逃れる方途が奪われている場合、おのれが拘束されているその状況をみずから完成させているのだと思いこむほか、選択の余地はない。いいかえれば、献身をもって服従にとってかわらせるのだ」(『ヴエイユの言葉』冨原眞弓訳)と書いている。人間の悲しい性癖を問題にしているのである。解放されるために闘うにしても、それすらもできなくなってしまうのだ。人間としての品格も否定されれば、それを容認したくないのが人間なのである。ヴエイユが語ることは、真実を突いている。目の前で起きていることに対して、的確な説明をしてくれる。共産主義というイデーが否定され、逆に抑圧を強化した悲しい事実を、ヴエイユは直視したのである。それが日本のサヨクとの大きな違いである。そして、求道者として自らに課したのは、清貧を旨とすることであり、飢えて死に瀕している不幸な人に対して、パンを与える喜びなのである。平成の世にあって、もう一度見直されるべきはヴエイユの思想ではないだろうか。
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