ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

満開の桜と立明大明神(佐保神社縁の祠)-加東市西垂水

2017年04月08日 05時26分01秒 | Weblog
 7日(金)、旧国道372号を西へ走っていると、右手に満開の桜が見えました。「あっ、立明大明神(たちあかしだいみょうじん)だ」と気づき、ちょっと寄り道しました。
 この祠は、加東市西垂水の集落の南の田圃の中にありますが、昭和56年に圃場整備のために今の地に移されたもので、元は現在地より北の西垂水の集落の東にありました。
 立明大明神(たちあかしだいみょうじん)の由来は、加東市社の佐保神社の由来に深い関係があります。10年前にもこの歴史ブログで紹介したことがありますが、その由来を再掲します。

 佐保大明神は元は加西の鎌倉峰に天降って鎮座していたのですが、小部野(おべの:今の加東市野村)の住人で、鴨国造(かものくにのみやつこ:古代の北播磨にあった鴨国の長官)の子孫である阿部三郎太夫(あべのさぶろうだゆう)が、神託によって佐保大明神を遷すべく、明神を背負い、鎮座の地をさがして一晩立ち明かしたところが、今の西垂水だったということなのです。
 一晩立ち明し、夜が明けるころ、東方にうっそうと松がしげる丘が朝の光の中に浮かびあがった。三郎太夫はそこを遷座の地と決めたということなのです。
 三郎太夫が加古川に竿をさして釣りをしていたところ、佐保大明神がその竿をつたって川を渡って東にうつってきたという話や洪水の時に竿の先にかかってきたとかいう言い伝えもあります。それで竿先大明神というという話もあります。

 桜の木も大きく生長し、運良く今日はほぼ満開でした。阿部三郎太夫が立ち明かした頃には東の方に松林の丘が見えたでしょうが、今では社の市街や手前の県社総合庁舎やイオンなどの建物が見えます。
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