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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和18年-旅行も止めるように常会徹底事項

2016年11月13日 05時25分14秒 | Weblog
 昭和18年(1943)の10月、社町常会徹底事項で、「輸送力を強めよう」の表題の下、旅行や荷物を送るなどをやめ、軍需物資の輸送力増強が呼びかけられています。
 また、「錬成」や「買出」の名の下の旅行もこの際止めるようにとも書かれています。戦時下、ますます状況は厳しくなっていたことがうかがえます。わずか73年前のことです。
 

 十月の常会徹底事項

一、輸送力を強めよう
 適の反戦はいよいよ熾烈です。戦場に武器を送り重要物資を運ぶための輸送力を強度に増大することが必勝の手段です。このため十月から全国の列車時刻が快晴され、旅客列車は非常にへらされます。
(一)やむを得ない場合以外の旅行は一切やめること
(二)不要不急の荷物は送らぬこと
尚錬成などの名をかりたり買出等の旅行はこの際徹底的に取りやめることは勿論たとへ物を送る場合も絶対必要な品物に限りその荷造りも出来るだけしつかりし送る人受取人をはっきり記入すること
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昭和19年9月-社町常会徹底事項で一億鉄石の肚がまへ

2016年11月12日 04時42分37秒 | Weblog
 昭和19年(1944)9月の社町常会徹底事項の冒頭には「一億鉄石の肚がまへをきめること」との表題が記されています。いよいよ厳しくなってきた戦局に対して、「大和一致」の精神で、鬼畜米英との決戦に臨み、一億の真の力を思い知らせようと呼びかけています。
 遠い昔の話ではありません。72年前のわが国、ふるさとの事実です。この当時のことを体験しておられる方は80,90歳代の高齢になっておられます。さまざまな機会にこうした銃後の生活、そして戦地での体験を次の世代に聞かせておいていただきたいと思います。徹底事項は次の通りです。二の項目以下は口頭説明がなされたものと思います。


 九月常会徹底事項

一、一億鉄石の肚がまへをきめること
 戦局は愈々急迫してきました 此最大難局に立つた私どもは皇国伝統の忠誠心を振ひ起し「大和一致」あくまで決戦に向つて突き進む肚かまへを確りと固めねはなりません 今こそあの思ひ上つた鬼畜米英に一億の真の力を思ひ知らせるときです

イ、空襲の備へに手落ちがないか
ロ、農村も都市も食糧の増産に一段と努めること
ハ、お互の創意と工夫て物の不足を克服すること

二、学童薪炭製造手伝ニ関スル件
三、診療所設置ノ件
四、警防団員ニ関スル件
五、防衛隊組織ニ関スル件
六、陸海軍志願兵応募ノ件
七、母親学級ニ関スル件
八、鶉野出役割当ノ件
九、郵便物ニ関スル件
十、青果物貯蔵ニ関スル件
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昭和18年-国民健康保険について(社町常会資料)

2016年11月11日 05時16分09秒 | Weblog
 昭和18年(1943)の10月社町常会徹底事項の項目の中に「国民健康保険組合に関する件」が挙げられています。
 その説明資料と思われる文書が当時の常会協議事項綴に綴じられていますので紹介します。


国民健康保険について

一、保険は国民として一人も残らず入らねば成りませぬから加入のなき方は県より強制加入と成る迠に自発適に加入しませう。

二、保険が出来た当時は医者も不認識の為め患者より色々な非難の声を聞きましたが、此頃は医師も相当認識して来まして受診証が無ければ診察をせぬ□云ふ医者も出来組合としては誠々喜んで居ります。

三、子供の産まれた時ハ出産届と同時に必ず保険組合の方へも届けて下さい受診証と助産費(七円)を御渡しします(双胎ハ二人分)

四、転出の節は必ず保険組合へ届けて下さい転向先へ通知する必要が有りますから御願いします。

五、医者は全部保険医ですから遠方の医師に見て貰わるる時も必ず受診証を使用して下さい社町外医は受診証を使用出来ぬ物と思ひ普通受診を受け後して組合へ申出られ御方が有りますので困ります。全国何処の病院でも使用できますから御使用下さい。

6、診療の一部負担金は通知を御受取りに成りましたら速足組合へ御納め下さいます様御願いします。毎月有りますので延滞者が有ると整理上困りますから御願いします。

七、一部負担金は療養費の三割、入院は四割です。急患にて受診証を使用なく本人より医師に支払れた場合は領収証を受け取り組合へ持参下されば組合に於て本人に精算します。
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昭和18年8月-マッチの配給も隣保を通して

2016年11月10日 05時06分03秒 | Weblog
 昭和18年(1943)の8月の「社町常会」で配給係からの提出事項の中に、「マッチの配給について」の項目が記されています。
 マッチは生活必需品ですが、そのマッチも隣保を通じての配給になること、そして、役場や事務所、事業所など業務上必要なマッチもその理由を申し出て購入券を受けるようになるということです。
 今、わが家でマッチを使うのは仏壇のロウソクに火をつける時と墓参りの時ぐらいですが、戦争が長期化し、戦局もきびしさを増す中、物資不足は相当厳しくなっていたことがわかります。


5.マッチの配給について
 此の度からマッチも隣保を通じ配給することになりました。公衙や学校、社寺教会、病院、会社、銀行其他業務上マッチを必要とする時は其の理由を申出町長よりマッチ特別購入券を受けることになってゐます。

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昭和18年-燈火管制の強化

2016年11月09日 04時57分05秒 | Weblog
 昭和18年(1943)、社町防空本部から各区長、警防団幹部宛に「準備管制強化」に関する通知が出されています。県の告示によるもので、準備管制で消灯すべき燈火が加えられ、その結果、社町内(旧社町、現在の加東市立社小学校区域)で残す屋外燈が具体的に示されています。空襲に対する防空体制が次第に強化されていったことが分かります。

 社防第 号
   昭和十八年二月十三日
                社 町 防 空 本 部
区   長 殿
警防団幹部 殿

  準備管制強化ニ関スル件

二月三日県告示ニヨリ左記ノ通リ強化セラレタルニ付一般ニ徹底方取計ラレ度

      記

 消灯スベキ燈火 広告ノ看板、装飾燈類、特別屋外燈、門軒燈類ヲ加フ 

(註)右ニ依リ本町内ニ於テ残置スベキ屋外灯ハ左ノモノトス
社区 郡公会堂前、依藤金作宅北側、臼井鉄店前、社警察署前、社郵便局前、龍美食堂前、宮崎重太郎氏横、八坂神社前  八ヶ所

上中 警防団器具倉庫前、一ヶ所  貝原 吉田年吉氏前 一ヶ所

右以外ノ神社(堂宇)等ノ燈火ハ特ニ留意消灯ノコト
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昭和20年鶉野飛行場勤労動員-婦人も老人も子供も

2016年11月08日 05時52分05秒 | Weblog
 加東市の隣、加西市にある鶉野飛行場跡が戦争遺跡として整備が進められています。
 昭和20年(1945)当時の社(現加東市社)の文書綴の中に鶉野飛行場の工事への勤労動員に関する資料が綴じられています。
 この歴史ブログではこれまでにも関係資料を紹介してきましたが、昭和17年(1942)に建設された鶉野飛行場は海軍のパイロット訓練用でしたが、戦局の悪化とともに昭和20年には特攻兵がこの飛行場から各地の出撃基地に飛び立っていきました。
 鶉野飛行場の工事には、周辺地域から住民が勤労作業に出ていました。昭和20年4月の社町常会徹底事項の資料の中に鶉野飛行場勤労作業に関する項目が挙げられています。
その中に「婦人ニテモ老人ニテモ子供ニテモ出来ル仕事」と書かれています。



七、鶉野行出役(海軍関係)(舗装工事従事)
   婦人ニテモ老人ニテモ子供ニテモ出来ル仕事
   (社区ハ600人ノ約三割五分 約二百十人出役)
   (社町戸数千二百 半数トシテ六百人 三十人ガ二十日間)

 ◎社駅二番発六時・三七分 ◎粟生駅着七時・〇一分 ◎同駅発七時・〇二分 ◎法華口着七時・一七分

  備考(内務省関係) 出不足数  社区 一六七
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昭和19年-国民勤労動員

2016年11月07日 04時38分36秒 | Weblog
 社町社(現加東市社)の常会協議事項綴の中に昭和19年(1944)12月1日付の区公会堂借用に関する書類が綴じられています。
 社区公会堂は、加東市社市街地の銀座通りにあります。建物は今も遺されており、作業所として使われています。小さい頃はそろばん塾にも使われていたり、青年の頃は消防団の集会などでも使ってきました。
 この公会堂の借用願で、提出者の「社国民勤労動員署長」のゴム印と公印が押されています。また、用紙は「社国民職業指導所」の用箋が使われています。そうした役所が当時置かれていたことがわかります。借用願いは次の通りです。

社国動 号

 昭和十九年十二月一日
               社国民勤労動員署長

社区長殿

  区公会堂借用方ニ関スル件

標記ノ件 左記日時ニ開催致度借入方可然御許可相成度 此段及依頼候也

  記

一、開催目的 勤労動員使用主協議会

一、開催日時 昭和十九年十二月二日 午後一時
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ムクドリの朝食はわが家の柿

2016年11月06日 04時07分18秒 | Weblog
 

 朝日が柿の実を照らす頃、庭が騒がしくなります。まるでジェット戦闘機のように翼を広げて集団でやってくるムクドリの編隊です。いったん電線にとまり、周囲の安全を確かめるかのように静止、その後一斉に柿の木に舞い降ります。
 よく見ると、よく熟した柿を集中して啄みます。手当たり次第に嘴を入れるというのではなく、食べかけの実を選んで食べています。そして、熟した柿に嘴で傷を入れ、次に食べる実の熟すのを促進しているようです。
 今年は間違いなく柿の生り年です。少しぐらいはムクドリにやっていいのですが、集団でやって来るので、せっかく食べ頃になった大きな実を傷つけられてはいけないという心理が働き、音を立てて追い払います。
 音に驚き、いったんは電線に飛び移り、状況を確認しているようです。再度音を立てると集団で飛び去っていきます。
 朝の食事にやってくるムクドリとの格闘は秋の朝の年中行事のようなもので、来なければその姿をさがしてしまいます。
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庭にシジュウカラ

2016年11月05日 05時10分07秒 | Weblog
 

 4日(金)、家の庭から鳥の鳴き声がするので見てみると、小さな鳥が木の枝にとまったり、ハス用の火鉢に降りてきたりしながら動いていました。
 早速、カメラを取り出しシャッターを押しました。義母が庭に可愛い鳥が来ているよと妻に話しているのを聞いていたので、この鳥のことを言っていたんだなと思い、調べてみると、シジュウカラでした。よく聞く名前でしたが、これでこの鳥をシジュウカラと認識することができました。
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昭和19年-食糧自給の年〈社町常会徹底事項説明資料から〉

2016年11月04日 06時08分17秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和19年(1944)5月の社町常会徹底事項の説明資料から「食糧自給の年」の項を紹介します。
 戦局がきびしくなるなか、前月の4月の徹底事項でも戦力増強のために一億一丸となって邁進しようとの呼びかけがなされています。食糧のみならず、航空機の潤滑油とすべく「ヒマ」の栽培も呼びかけていました。
 そんな中、5月の徹底事項では「先づ食糧増産!」が掲げられ、農村から都会まであらゆる空き地の利用が呼びかけられました。

 
「食糧自給の年」
 前線で激戦を続けて居られる皇軍勇士たちは出来るだけ内地の人達に食糧の心配をかけまいと極力食糧の自給を計ってゐられるとのことです。南海の島で珊瑚礁の上にほうれん草を蒔いた勇士もあるのです。戦争に勝つためには食糧の増産が急務であり、戦ふ国民に充分腹ごしらへが出来てゐなかつたら生産の拡充も戦力の増強も真の力が発揮出来ません。現在の戦局では、いくら食糧が足りなくても外米を輸入することは絶対に出来ません。国を挙げて食糧増産に邁進し自分たちの食べるものは自分たちで作る意気込みであくまで国内の食糧は国内で賄へるやう、米、麦、薯類の大増産をやり遂げまた雑穀や蔬菜など食用となるものはすべてどしどしと作付けしませう。
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昭和19年-空き地利用で食糧の大増産

2016年11月03日 06時14分34秒 | Weblog
 昭和19年(1944)5月、社町(旧社町、現加東市の社小学校区域)の常会における5月の徹底事項の中に、「空地利用で食糧の大増産」が挙げられています。その説明資料が綴じられており、紹介します。
 学校の運動場も耕してイモを作ったという話は親の世代や先輩からよく聞きました。昭和19年頃には食糧事情も相当きびしくなっていたのでしょう。南瓜の立体作りで屋根や軒先で栽培できると呼びかけが行われています。


「空地利用で食糧の大増産」
 食糧の増産に国を挙げて努めなければならぬ時です。たとへ都会地でも工夫さへすればいくらでも空地利用の余地があります。今年はあらゆる空地を増産に役立たせるため都会地では二万町歩農村では十六万五千町歩の空地を利用して雑穀、蔬菜、藷類等の大増産をやりぬかなければなりません。特に都会地では屋根軒先などを利用する南瓜の立体作りで三千九百万本を植へることが期待され一本当たり二貫とれるとしても七百八十万貫はとれることになり、蔬菜などの不足を立派に補っていけます。
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