ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

昭和19年-食糧自給の年〈社町常会徹底事項説明資料から〉

2016年11月04日 06時08分17秒 | Weblog
 昨日に続いて、昭和19年(1944)5月の社町常会徹底事項の説明資料から「食糧自給の年」の項を紹介します。
 戦局がきびしくなるなか、前月の4月の徹底事項でも戦力増強のために一億一丸となって邁進しようとの呼びかけがなされています。食糧のみならず、航空機の潤滑油とすべく「ヒマ」の栽培も呼びかけていました。
 そんな中、5月の徹底事項では「先づ食糧増産!」が掲げられ、農村から都会まであらゆる空き地の利用が呼びかけられました。

 
「食糧自給の年」
 前線で激戦を続けて居られる皇軍勇士たちは出来るだけ内地の人達に食糧の心配をかけまいと極力食糧の自給を計ってゐられるとのことです。南海の島で珊瑚礁の上にほうれん草を蒔いた勇士もあるのです。戦争に勝つためには食糧の増産が急務であり、戦ふ国民に充分腹ごしらへが出来てゐなかつたら生産の拡充も戦力の増強も真の力が発揮出来ません。現在の戦局では、いくら食糧が足りなくても外米を輸入することは絶対に出来ません。国を挙げて食糧増産に邁進し自分たちの食べるものは自分たちで作る意気込みであくまで国内の食糧は国内で賄へるやう、米、麦、薯類の大増産をやり遂げまた雑穀や蔬菜など食用となるものはすべてどしどしと作付けしませう。
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