ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

西垂水の薬師堂の棟札

2013年04月13日 04時30分51秒 | Weblog
 過日、加東市木梨の千鳥川の河畔の桜道を歩いていたとき、市内の西垂水にお住まいの武部さんから、あなたの先祖の名前が西垂水のお堂の棟札に書いてあったよ、と教えていただきました。その先祖の名は、藤本百之助(介とも書く)という名前です。
 この藤本百之助(介)は、私の曾祖父にあたる人で、加東郡西垂水村(現加東市西垂水)の住人でした。その子、すなわち私の祖父、藤本嘉市は、大正9年(1920)に西垂水から社(現加東市社)に一家あげて移り住んだときいています。
 百之助は、江戸時代末期から明治時代にかけて生きた人で、私の名前、百男は、この曾祖父の百之助から一字もらって名付けられたものであります。ただし、生まれてから中学卒業まで百呂(ひやくろ)という名前だったのですが、故あって、正式に改名し、百男(ひゃくお)となりました。小さい頃には、西垂水に墓参りに行っていたことを今でもよく覚えています。
 その後、武部さんから、お堂(薬師堂)の棟札の写真を送っていただいたので紹介します。棟札の裏に周旋人の一人に百之助の名が書かれていました。


(裏)

 加東郡西垂水邨   
       惣代
          武部喜代太郎

       仝村周旋人
          上月與右衛門
          上月利兵衛
          上月熊太郎
          上月常太郎
          上月宗兵衛
          藤本百之助
          藤本吟蔵
          藤本嶋蔵


    
コメント
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