ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

加東市で忠臣蔵サミット開催

2011年11月21日 06時07分44秒 | Weblog
 18,19日の両日、加東市で忠臣蔵サミット(第23回義士友好都市交流会議)が開かれました。社町時代に第11回目のサミットが開かれ、早籠にちなんで社の商店街で籠かき競走が行われたこともありました。今回は、北は北海道の砂川市、岩手県の一関市、南は熊本県山鹿市など、全国の義士ゆかりの地から14都市がサミットに参加して開かれました。
 18日の夜に行われた歓迎レセプションでは、社播州音頭踊保存会の皆さんによって、「赤穂義士外伝 神崎与五郎東下り」が披露されました。ゆったりしたリズムで歌われる一節は人々が義士の忠義のこころを偲んだ気持ちが伝わってくるようでした。与五郎といえば、このブログでも紹介したことがある「与五郎橋」が新町にあります。家原観音寺境内の四十七士の墓碑をはじめとして、加東郡代だった吉田忠左衛門ゆかりの聖神池(多井田)や状ヶ池(木梨)など市内には義士に関係する遺蹟が多くあります。
 12月14日には義士祭が行われます。昭和のはじめに地元の青年団員によって始められた祭は今も義士奉賛会に引き継がれて開催されています。義士のまち、として全国のゆかりのまちとの交流がさらに住民レベルで深まり広がっていくことを願っています。
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