メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

細雪(1983年、東宝、市川崑)

2008-04-04 23:27:38 | 映画

「細雪」(1983年、東宝、140分)
監督:市川崑、原作:谷崎潤一郎、脚本:日高真也、市川崑、美術、村木忍
岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子、伊丹十三、石坂浩二、岸部一徳、桂小米朝、江本孟紀、辻萬長
 
先日、市川崑追悼番組としてNHKBSで放送されたものの録画である。
谷崎の原作をここまで自分の世界、自分の手法に合う形に持ってきて、2時間20分というかなり長いものながら、台風洪水の場面、東京の場面をカットし、四女妙子(古手川祐子)のどろどろの恋愛沙汰も比較的短くまとめてしまい、原作からは感じ取れない随分相手に対して思い切ってものを言っている会話など、映画を作るときにはことまでやるものか、と感心する。
 
そして、桜から始まり、紅葉、吹雪で終わる様式、日本家屋の中で光と影のコントラストが強い世界に常に見るものを引き込み、その中で随所に見せる女対女、男対女のなまめかしさ。
何かミステリーが始まりそうといったら、監督に失礼か。
 
監督の視点は次女(佐久間良子)の夫(石坂浩二)だろう。彼は妻以外の女性に対して常に男を意識している。そして姉妹のドラマの軸は、動の長女(岸恵子)と静の三女(吉永小百合)である。(この二人、監督の好みの人選であることは言うまでもない、見ればわかる)
そして、監督の眼はこの一族内にしかない。映像技法も含めて優れた風俗映画であるが、その風俗は家族の中のものである。
 
映画を見るとき、困るのはその原作を読んでいる場合で、やはり気になってしまうことが多い。そして1959年に作られた映画(監督:島耕二)もまだ記憶に残っている。
 
2006年12月に、谷崎の細雪映画「細雪」(1959)について書いた。こっちの映画は短くまとまったものであるが、むしろ原作には近い。
作り手の視点は次女と四女にあって、この二人が静と動である。特に次女の視点は、この戦争少し前の時代を生きる男も女も問わない人間のものであり、また四女はその後に来るべき日本人の予言である。
 
谷崎の原作をよく読めばそれは読み取れるはずだが、他の作品にある女性を見る目、それはもちろん谷崎の作品評価の根幹にかかわるものではあろうが、「細雪」の評価においてもあまりにもそれにとらえられすぎ、上記については見過ごされることが多いようだ。
 
しかし、そうやって随所に男の舌なめずりが目立ってしまうには惜しい傑作なのである。この原作は。

1959年の映画では次女が京マチコ、四女が叶順子であった。市川崑の佐久間良子、古手川祐子には、こういう力やインパクトはない。
今回の長女岸恵子は市川の意図にはぴったりだろう。三女の吉永小百合だが、脚本もやはりこの原作の優柔不断さは変えられず山本富士子のようにそれだけでぴたりとはいかないから、最後の妹をかばうところで勝負したのだろうか。これが彼女の転機になったという声が多いが、それほどとは思えない。
 
ともあれ、映画と原作との関係は難しいが、そこが面白いということも出来る。

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