メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ニライカナイからの手紙

2006-10-29 23:10:09 | 映画
「ニライカナイからの手紙」(2005、113分)
監督・脚本: 熊沢尚人
蒼井優、平良進、南果歩、金井勇太、かわい瞳、平良美咲、前田吟
 
沖縄竹富島を舞台に、母と娘、そして祖父、地味だけれど細かいところに工夫を凝らした佳品。ギリシャとか北欧あたりにこういうトーンの作品があったような気がする。
 
ここでも蒼井優の、白紙から始まる密度の濃い演技が、全体のプロットの弱さを補うだけの効果を見せる。
確か本当の主演はこれが始めてのはずだ。
 
竹富島、カメラマンの夫を亡くした母(南果歩)が6歳の娘風希を郵便局長の祖父(平良進)に託し、何故か島を離れる。
そして娘の誕生日ごとに母から手紙が届く。高校生になった娘(蒼井優)は写真に興味を抱き始め、卒業するとスタジオ住み込み修行に東京へ出て行く。母の手紙の消印を頼りに居所をさぐるのだが、、、
 
そして母からの手紙で、20歳の誕生日にあるところに来てくれとあり、それをなんとか我慢して助手を続け、20歳の誕生日に会いにいくのだが、、、
 
プロットのつくりに困難があるのだろうか、3分の1あたりできっとこうなんだろうなということは想像がついてしまう。そのあとどういう風に見せてくれるのか不安はあったが、そこは蒼井優、島から東京に出てきた不安、自身の無さ、まだ職業意識が出来ていないことによるいい加減な仕事の感じ、本当に未熟な状態を現出し、見せる。
 
最後の20分以上、それまでのいくつかの手紙が南果歩のナレーションで続く。それを島に帰った時に読む蒼井優を、ここでも「花とアリス」のように逆光を多用して写す。こういうとき逆光による影絵状態は、見る側の集中度を増す。
ほとんど影になっても表現が出来る彼女、せりふはなくても、ナレーションのまさにその箇所を読んでいることがわかり、細かい表情の変化は手紙のメッセージを増幅し、見るものを少しずつ動かしていく。
これでこの映画は充分、蒼井優に感謝する。
 
竹富島の風景が美しく、また島の人たちの多くは素人の人たちが多いように見える。島の主のような老婆は「のろ」のような人なのだろうか。
全体に音響が撮影と同時にワンポイント・マイクに近い状態で録られたような、つまりレベルが低いけれども自然な臨場感で、アフレコが少ない。竹富島という背景にマッチしているといえるだろう。
「ニライカナイ」とは、沖縄に伝わる、海の向こうにある幸福の島だそうだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Love Letter (岩井俊二)

2006-10-23 23:05:10 | 映画
「Love Letter 」(1995、117分)
監督・脚本: 岩井俊二、撮影: 篠田昇、助監督: 行定勲
中山美穂、豊川悦司、酒井美紀、范文雀、柏原崇、篠原勝之
 
岩井俊二が初めて手がけた長編映画とのことである。
 
婚約者を山の遭難で失った女(中山美穂)が、その三回忌のあと彼の自宅で彼が小樽で過ごした中学校のアルバムを見、その名前があった住所に手紙を出す(これは尋常な行動ではないのだが)。
ところがその手紙に返事が返ってくる。実は彼と同じクラスに同姓同名の女性がいて、彼女は気味悪く感じながらも返事を出したということが、わかってくる。
その女性を同じ中山美穂が演じていることから、映画を見ているものにも不思議な感じがするのだが、それは婚約者が彼女を好きになった理由の一つでもあるらしい。
 
彼女は婚約者の友達だった今の恋人(豊川悦司)と小樽を訪ね、女性二人が対面して物語の秘密が解明されそうになるが、それはすれ違いとなり、後はまた手紙の往還で両方の物語、そして過去が綴られていく。
 
そのうち、見ているものには、この物語の主人公が次第に小樽の女性に移っていることに気がつくが、その感情移入は後から見ると無理ではない。
 
最後は、二人の女性が過去を受け止め再生するところで終わる。これは気持ちいい。
彼が遭難した山に豊川悦司と向かい、雪の中で「お元気ですかあー」と彼女が叫ぶとこだまが返る。そのとき小樽の女性は倒れたあと回復中のベッドの上であるが、この「お元気ですか」は婚約者と同じ名前の彼女にも届き、そしてそっくりの彼女から、叫んだ彼女にこだまで返ってくる、と想像する。さては仕掛けはこのためかと思うのだが、悪い気はしない。
 
中山美穂は、特に小樽の方の役で新境地を開いたようだ。豊川悦司も粗野と繊細のバランスがいい。
あと皆うまくフィットしているが、脇で小樽の家族、つまり彼女の祖父を演じる篠原勝之が愉快、そして母親の范文雀、いい味だけどこの数年後に逝ってしまうとは。
 
篠田昇のカメラはこのときから見事。
 
岩井俊二は後の「リリイ・シュシュのすべて」(2001)などと比べてソフトではあるが、それでも中学生に焦点をあてていること、彼らの世界の不安定さ、いじめの扱いについては、すでにここに萌芽が見られる。
 
実はこの映画、霞ヶ関の官庁街で非常に有名である。
この映画が韓国でヒットし、その後小樽への観光客が飛躍的に増えたとかで、日本のソフトパワー政策、地域振興政策、観光政策などのプレゼンテーションでよく使われてきた。 映画ロケに対する地域の支援団体としてフィルム・コミッションが各地に増えてきたのもこのころからである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

涙そうそう

2006-10-22 23:07:56 | 映画
「涙そうそう」(2006、118分)
監督: 土井裕泰
妻夫木聡、長澤まさみ、麻生久美子、塚本高史、中村達也、小泉今日子、平良とみ、森下愛子、大森南朋
「涙(なだ)そうそう」、もちろん夏川りみが歌ってヒットしたものからきたタイトルである。歌はエンディングに流れる。
 
長澤まさみが出てくるから見にいったようなもので、なにしろ昔よくあった歌謡曲映画の一つだから、泣けるもののドラマとしてはそれほどのものではない。
 
両親が再婚で、その連れ子で兄妹になった妻夫木と長澤、父親は行方不明、母親は死に、兄は苦労して働き、沖縄本島に妹を呼び寄せ高校、大学にやる。が、居酒屋を持つ夢が出来かけたところで人にだまされ、また苦労が始まり、兄妹の間にも微妙な空気が、、、
というストーリー
 
新味はなくても、長澤まさみを見ているだけで最後まで持つ。登場のシーン、島から白い大きな連絡船で入ってくるとき、迎えの兄に気づいて舳先にかけてくるワンピース姿、これが絵になる人はなかなかいないだろう。
試験勉強、アルバイト、祭りの浴衣、大学入試、そして最後の着物、、、
 
一人住まいをするために兄のところから出て行くとき、あの「ロボコン」でも見せたようにペコリとお辞儀して礼をするのだが、これがやはり決まる。
 
それにしても、この人はうまいという風ではないのだが、どうしてこうも演技のつまり感情の泉が枯れないんだろう。
動かしにくい子、なかなかどうにもならない子、スターということだろうか。
 
上野樹里、蒼井優、長澤まさみ、この3人を今スクリーンで見ることが出来るのは幸せだが、そのよさを言葉で表現するのが一番難しいのがこの人である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アルゲリッチ(インタビュー)

2006-10-21 23:11:41 | ピアノ
「アルゲリッチ音楽夜話」という番組が10月14日NHKBS-2で放送されていた。再放送らしいが見るのは初めてである。2002年ドイツの制作でイタリア賞を取ったとか。
 
アルゲリッチ(1941~)の映像は演奏、インタビューともそれほど珍しくはないが、ここでは彼女の音楽に対するアプローチの本質をうかがうことが出来る。
 
従来から自由奔放で個性的ということがむしろポジティブに語られてきたが、必ずしもそう単純ではないらしい。
彼女は、演奏の機会ごとに、その曲に向かい、一瞬一瞬を判断し掴み取ってピアノを弾いていく、だから解釈と練習を極めて完成形を作り「どうだ」とさしだすタイプではないようだ。
 
それは13歳のときから、フリードリッヒ・グルダに1年半教えを受けたということとあわせるとなるほどと納得できる。グルダもそういうタイプである。
それと彼女は教わって練習に練習を重ねたタイプではないらしい。ヴィルトゥオーゾにもそういう人がいることはリヒテルを見ても明らかだが。
 
面白いのは、
 
経験は必要ないと思っていたが、次第に自分は未熟であると気がつくようになり怖くなった。
 
音楽を聴いた最初の感動はベートーベンのピアノ協奏曲第4番(クラウディオ・アラウの演奏)、だからその後この曲は弾けない。
  
ロマンチックな曲にはユーモアがない、ユーモアがあるのはハイドン、ベートーベン、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチなどで、ラベルは洗練されているがユーモアはない。
 
シューマンは私(アルゲリッチ)が好きなようだ。シューマンはあまり遊ばない方がいい。
 
一人で弾いているとまわりが見えなくなる。(これはこのところソロをやらないことを物語るものなのかどうか)
 
自分の150%を抑えないと自分の60%は得られない。
 
9歳のときから、こう弾かなければ死んでしまう、ミスしたら死んでしまう、と心に念じると失敗しなかった。
 
演奏会とか特別な機会でないと、曲を全部弾きとおすことはない。
(たしか、ホロヴィッツも、100回も練習するとコンサートが101回目の練習になってしまうということを言っていた)
 
など
 
バッハではパルティータの2番が好きで、これでリサイタルを始めると落ち着く、というのは何故か納得した。これから久しぶりに聴いてみよう。
 
若い頃から髪型もほとんど同じ。この人、ピアニストに歌姫というのはおかしいが、本当に素敵な姫である。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

重森三玲の庭

2006-10-14 18:10:41 | 美術
「重森三玲の庭ー地上の小宇宙ー」という展示会が松下電工汐留ミュージアムで開催されている(~12月10日)。
こういうものを見ることはめったにない。
 
重森三玲(みれい)(1896-1975)という人、その庭というものについては、1999年NHK新日曜美術館の特集でその存在を初めて知った。
日本画を学んだ後、いけばな、茶道、建築などを独学し、その後作庭に入ったそうだ。そのときに3年ほど自前で日本全国の主要な庭を調査・実測したという。こういう時間・金の使い方が出来たというのは、戦後では考えられない。
 
展示は、主な庭の写真と図面、彼の自宅の建築の写真、そして東京綜合写真専門学校昭和46年卒業制作による彼の作庭風景と談話の貴重な映像からなる。
 
三玲から強く受け取ったものが二つある。
 
一つは、庭というものまたいわゆる枯山水というものは何かである。
庭は自然に人工が対峙するものであるから、まず設計がすべてであり、そのあとに丁寧な仕事が来る。
「施主を設計する」とはすごい言葉である。つまり施主だからといって細かい変更を受け入れたりしてはいけない。
設計し、それに合う石を野山から選んでくる。決して石自体としていい石、高価な石を使うということはしない。
小宇宙ということから、茶をやる、それをすすめるということも自然である。
 
二つ目は、今残っている優れた文化資産というものは、出来た当時新しい創作だったものだけであり、それまでの模倣であったものはない、ということだ。そうなると、これまでの庭にいかに感服しても、これから作るものがその模倣であってはならないということである。
これは、現在の地域振興、伝統工芸の活性化などに多少関係していると、大いに耳を傾けなければならない話である。
 
彼が作った庭には、東福寺(京都)の方丈庭園(正方形の石と苔による市松模様)、岸和田城の上から見ることを前提の、宇宙人が作ったかのような庭などがあり、その機会を考えればよくぞ創ったものだ。
また建築では、日本建築の中に突如出現する曲線が印象的。
これからの紅葉の季節に東福寺は大変な人出になるが、そうでないときに行く楽しみがあることがわかった。今度行ってみよう。もちろん岸和田城も。
ところで三玲が調査したところによると、平安時代までの庭は大変丁寧に作られており、池などは底に40cm程の粘土が敷き詰めれ、舟を浮かべて竿をさしても濁らないようその上に石が敷かれているそうである。
ところが鎌倉になると粘土の厚さも半分になり、その後堕落の一途だそうだ。特に悪くなったのは秀吉あたりからだという。これは秀吉と利休の関係を考えると、そうかもしれないと思う。
 
ところで三玲は、勅使河原蒼風、中川幸夫、イサム・ノグチと緊密な交友があった。だから、彼の仕事は今の、新しい創作だったわけだが、その願いが「永遠のモダン」というのも、この交友関係からすると自然である。
 
どんなに奇抜なものと思っても、自然はそれを取り込んでいくそうで、あの岡本太郎「太陽の塔」のその後、ルーブルの庭に出現したガラス・ピラミッドなどを思い浮かべるとなるほどと納得する。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする