メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ダウントン・アビー 5

2017-02-21 15:41:29 | テレビ番組
イギリスのTVドラマ「ダウントン・アビー5」の放送(NHK、全10回)が終了した。
おそらく1と2は見てなくて、3の再放送あたりから見たのではないかと思う。

20世紀前半のイギリス、ある貴族の領地と館で起こる、家族のそして使用人たちの、複雑な関係と推移を描いたドラマである。
登場人物はかなり多いし、顔、かたちが判然としない部分もあって、登場人物がなかなか特定できず、しばらくは困った。

当主夫妻には3人の娘がいて、その結婚相手、そして当主の前世代の親族、執事をトップにする下僕、料理人などの使用人たち、特にこの使用人たちの仕事が細分されていて、ずいぶんたくさんの人が必要とされている。

この時代、一般的に貴族はその領地経営、そして貴族らしい生活の維持が困難になってきていて、それに対する対処として、アメリカで成功した資産家の娘を高額の持参金つきで嫁にとり、資産家の方はそれで名誉というか家の格を手に入れる、ということが多くなったらしい。かのダイアナ妃もその系統から出てきた人である。
 
主人公の妻もアメリカ人、長女はまずまずの結婚をし長男を得るが、まもなく夫は自動車事故で亡くなり、その後誰と、、、という流れになり、二女は婚外で女児を得て波乱の人生、三女はアイルランドの活動家出身を結婚するが出産時に亡くなる。
この三姉妹とその相手の男たちは、丁寧に描かれている。
 
こういうドラマとして意外なのは使用人たちの世界が多くの時間をかけて詳細に描かれていること(映画「日の名残り」とくらべても)。そして当主家族と使用人たちの多くが、いやな面を持っており、いやな関係、やり取りが多くあって、見続けるのがいやになったこともあった。
ただ考えてみれば、現実の世界はこういうものであろうし、それは製作者の意図なんだろう。
 
そうやっておいて、このシリーズ5の最後は各人のいいところを少しずつ意外性も含めだしてきて、無理したなといえるがうまく大団円の雰囲気で終わった。もっともこれはこの世界最後の輝きという受け取り方もできるけれど。
 
舞台、衣装、料理、作法など、おそらく詳細な考証を経ているらしく(その解説番組も途中で放送された)、これだけでも見た甲斐はあっただろう。
 
俳優はいかにもイギリスらしい人たち、ただ当主の妻と娘たちはちょっと地味(顔、スタイル、衣装とも)だった。これを見る前から知っているのは、当主の母役のマギー・スミス、親戚の娘で途中から屋敷に来て過ごしているちょっとはねっかえり娘のリリー・ジェームズくらい。マギー・スミスは最近では「マリーゴールド・ホテル幸せへの第二章」、リリー・ジェームズは実写版「シンデレラ」、「戦争と平和」(英TVドラマ)のナターシャなど。

なお、ちょっと無理な大団円と書いたけれど、このあとシリーズ6があり、それで最後とか。

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桑原あい Somehow, Someday, Somewhere

2017-02-17 10:48:15 | 音楽一般
Somehow, Someday, Somewhere
桑原あい:ピアノ、 ウィル・リー(Will Lee):Electric Base、 スティーヴ・ガッド(Steve Gadd):Drums 
録音:2016年秋 ニューヨーク
 
桑原あい5枚目のアルバムで、これまで私が聴いているのはファーストと4枚目(2015)。今回は2013年の東京JAZZデビューの時から徐々に出来たコネクションでこのトリオでの録音になったようだ。日本のスタジオとはやはりちょっと雰囲気がちがい、クラシックというか落ち着いた響きのスタジオ録音である。
 
4枚目のアルバムから昨年12月のライヴまでの期間で、自作に加え、既存の素材を使った優れた結果が出てきたようだが、今回ここでそれをしっかりと受けとめることができた。
 
Somewhere(レナード・バーンステイン「ウェストサイド・ストーリー」)はライヴでも彼女の思い入れの強いトークとともによく弾かれる。今回はさらにしっとりとして完成度が高いものになっている。
 
Home(ミシェル・ペトルチアーニ)は作者本人より洗練され、説得力があるかもしれない。
 
アルバムの最後は The Back、これはライヴでよく紹介されるように彼女を励ましたあと去っていくクインシー・ジョーンズの背中からインスピレーションを得たものということだが、今回は本当に完成度が高いものになった感がある。長く残るだろう。
 
その他、ビル・エヴァンスのB Minor Waltzなども、ガッド、リーのサポートがうまくフィットしている。
 
こうして楽しんでいて気がついたのは、やはりサポート陣がこれまでと大きくちがうと、全体の印象にも変化があるということである。直接関係があるかどうかはわからないが、ガッドは私と同世代、リーは少し年下、これまで他のサポートで聴いた曲で比べると、いわゆるモダン・ジャズ時代のグルーヴ感により近いものがある。それは曲によっては心地よいのだが、逆に彼女のなんというか「現代音楽」的な音空間に果敢に飛び込み、それを広げていくといった感じが、今回は少ないように思える。
 
そんな中で自作のExtremely Loud But Incredibly Far は、彼女がライナーノートに「チャレンジ精神だけで作曲した」とあるように、これまで私が一番感じている良さがあらわれたもので、これが私と同世代のプレーヤーにまで伝わっているのはうれしい。
 
また森田悠介(Electric Base)、石若駿(Drums)とのトリオも聴きたくなってきた。



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ゆく河の流れは絶えずして 柴田南雄の音楽

2017-02-14 17:43:31 | 音楽一般
NHK クラシック音楽館 2017年1月12日(日)
柴田南雄(1916-1996)の生誕100年・没後20年を記念して2016年11月7日サントリーホールで行われた演奏会の録画放送
自身の作曲作品から 1.ディアフォニア 2.追分節考 3.交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」
山田和樹指揮:日本フィルハーモニー交響楽団、東京混声合唱団、武蔵野音楽大学合唱団
 
ディアフォニアは曲名も初めて、他の二つは存在は知っていたが残念ながら聴いたことはなかった。今回こんなに大規模で、ホール全体を使い、合唱団員たちがその中を動くということがわかり、これだと聴く機会は少ないだろうと思った。しかしそれだからといって、今回のように聴ければ聴いておくべきであった。当日会場で聴いた人は、貴重な体験をしたといえる。
 
ディアフォニアは優れた現代音楽で、作曲者が過去の西洋音楽の流れを充分消化したうえで作ったものであろうことがわかるし、そこには批評性ともいうべきものがうかがえる。
 
追分節考は信濃の追分が素材になってはいるが、指揮者がその場で与えられた符号の中から次々と演奏部分を演奏者に示していくから、同じ演奏はないということになる。
 
交響曲はそれらの要素も含むが、この8楽章で自らの音楽体験、音楽遍歴とそれらに対する見解、批評を含む作曲者の半生を高度に描く、とでもいったらいいか。
 
現代音楽から、バロック、いかにもマーラーなど、、、そして「ゆく河の流れは絶えずして」、そう方丈記の一節が使われ、壮大な音楽空間の中に時間が流れる。
 
こういう理解、実はこの放送で指揮者の山田和樹が見事な解説をしてくれたからで、他に池辺晋一郎(作曲家)他、何人かの言葉も適切に入っている。それらからもわかるように、柴田南雄はロマンティック系ではなく、つまり内面を表出するための音楽とは必ずしも言えない人である。対極として武満徹が挙げられていたが、なるほど半世紀ほど前だと演奏する方も聴く方も、武満には近づけても、柴田のような音楽に反発はしなくても入っていくのは簡単ではなかったと思う。
 
私の過去を振り返ってみると、柴田南雄は作曲家ではあるが、それよりは解説者として、批評家として親しんだ部分が大きい。もちろん作曲家としての能力は大変なもので、音楽コンクールの作曲部門審査員をよくやっていたそうだが、相当複雑な作品でも譜面だけで評価する能力の高さはよく知られていた。
 
解説者としては、池辺晋一郎が挙げていた「西洋音楽史 4 印象派以後」、私も世話になったが、そうこれを超えるものはその後出てない。不思議なことだが、4が最初に出て、その後その前にあたるものが予告されていたが、確か出なかったのではないか。
 
放送、特にFMでの解説には随分世話になった。中でも1960年代後半から1970年代にかけてだろうか、年末に恒例になっていたその年のバイロイト音楽祭の放送解説。特に「ニーベルングの指輪」で登場人物、話の筋はもちろんだが、様々なライトモティーフをうまく説明してくれたおかげで、何年か聴いているうちに随分なじんできた。ちょうど演出もヴィーラント・ワーグナーによる象徴主義が全盛になっていたから、こういう解説は舞台を想像するのにぴったりだったと思う。
 
また「グスタフ・マーラー」(岩波新書)も優れたもので、これで交響曲全部に、多様な角度から入っていくことができた。
1970年前後は現代音楽の演奏会にもよく出かけたから、休憩時間にロビーでよく姿を見たものである。年齢の割に枯れた風貌だったが、音楽はそんなことはなかったようだ。
 
さて、指揮者の山田和樹、名前はよく聞いていたが、演奏を聴くのは初めて。見事な解説からもわかるように、曲の把握力が優れた人のようだし、音楽の進め方、その指示の出し方に、見透しのよさがあるようだ。
 
とにかくいい企画だった。




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