メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

カンカン

2018-06-28 16:17:34 | 映画
カンカン(CAN-CAN、1960米、142分)(劇場公開時の映像がない前奏、間奏、後奏部分を除くと131分)
監督:ウォルター・ラング、原作:エイブ・バロウズ、脚本:ドロシー・キングズレー、チャールズ・レデラー、作詞・作曲:コール・ポーター、音楽(編曲・指揮):ネルソン・リドル
シャーリー・マクレーン(シモーヌ)、フランク・シナトラ(フランソワ)、モーリス・シュヴァリエ(ポール)、ルイ・ジュールダン(フィリップ)、ジュリエット・プラウズ(クロディーヌ)
 
1896年のパリ、カンカン踊りは猥褻だとして禁止されたころ、それでも目をかすめてやっているキャバレーでトップにいるシモーヌ、その対当局対策でサポートしている弁護士フランソワ、あげられた時の検事役フィリップ判事、裁判長はこの世界をよく理解している粋なポール判事、シモーヌはフランソワがなかなか結婚に踏み切ってくれないのにやきもきし、そこにつけ込んだフィリップに一時なびくが、、、という、ドラマとしてはどうということない恋のさやあてミュージカルである。
 
しかし、どうしても見ておきたいと思ったのは、音楽がすべてコール・ポーター作、シナトラ、シュバリエらが歌い、バックはネルソン・リドル、さてどう歌われるか、主にシナトラの録音で聴いている歌たちがどういうシチュエーションで歌われるのか、興味があったからである。
 
まずこの映画の第二のタイトルともいうべきI LOVE PARIS、この曲、シンプルなメロディーと少ないコードだが、そこはコール・ポーター、これをベースにピアノでいろいろやると面白いと思ったが、手元にあったのはシナトラがリドルとやったもの、とはいってもワンコーラスだけ、CD時代になってボーナス・トラックとして加えられたもので、おそらく何かの合間に録れてみたというものだろう。短いながらそれでも素晴らしいので、この映画でフルに歌ってくれるかな、と期待したけれど、それはなし。この曲、冒頭でコーラスで上品に歌われたのち、後半、シモーヌが何かの催しのプロディースを頼まれたという際の演目として、古代の「ダフニスとクロエ」風の無言劇とダンスの音楽として、かなり長い管弦楽が入る。これは素晴らしく、リズムセクションの工夫、しかけは参考になった。
 
その他で、シナトラ、マクレーンなどで何度か歌われるのが「セ・マニフィク(C'est magnifique)」、そして、あ、これもと驚いたのが「そんなことなの(Just one of those things)」で、モーリス・シュヴァリエが「恋とはこんなものさ、、、」と面白いたとえをひきながらフィリップをさとす場面でまあ見事な、これは歌唱というのか演技というのか、これぞミュージカルとしかいいようがない。シナトラのそれこそリドルのバックで歌った名唱があり、それを真似して(真似も難しかったが)歌ったことがあるけれど、こう歌われて初めてこの歌詞の価値が、といった感じであった。
 
シナトラは「上流社会」(1956年、音楽はこれもコール・ポーター)、「夜の豹」(1957年、これはリチャード・ロジャース)とこのところ楽しませてもらっているが、後者の3年あとの本作、さすがにちょっと老けた感じは否めない。歌はここでは柔らかいものが主だから、いいのだけれど。
 
シャーリー・マクレーン、こういう色気もある人なんだ、そしてダンスもうまい。
ルイ・ジュールダンは、いい配役を得た。
フランソワがへこんでいると、ときどきうまく慰めるクロディーヌのジュリエット・プラウズがなかなかいい。エルヴィス・プレスリーの共演者として記憶があるけれど。
 
ダンスでは、前半とフィナーレのカンカンも見事だが、興味を持ったのは前半で探りに来たフィリップをちょっと脅して探りを入れるかのような数人の踊り、この後1961年に出てくる「ウェストサイド物語」の群舞と共通するものがある。あっちはジェローム・ロビンスで、大物だから、時代はこういうダンスが出てくる時期だったのかもしれない。
 
さて、一つ挿入されたエピソード。シモーヌが店長とキャバレーで一日の売り上げを確認しているとき、払う金が足りなくて絵を描いておいていった客がいるという。その絵に描かれているのはシモーヌで、彼女は「それ位の払いもできないの?誰?」、というと店長が言ったのは「ロートレック」、でも彼女は絵を破いてしまう。映画を見ている人は「あれあれ、、、」

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マスターズ水泳

2018-06-25 09:10:27 | スポーツ
東急系スポーツクラブのマスターズ水泳に出た。この数年は年一回にしている。
 
種目は3年続けての50mバタフライ。最近バタフライは好きで、無駄な力が抜けてきてフォームも合理的になってきている、と感じてはいるが、25mではなく50mだとダッシュというわけにいかないから、タイムは伸びない。それでも、年齢とともに落ちてきたのが、昨年とほぼ同じだったのは喜ぶべきなんだろう。
 
普段はコース内すれ違いもあるなかでの練習しかできないが、レースではこのバタフライという、スイマーから見た水の景色が一番美しい泳ぎをしばし堪能する、という喜びがある。
 
終わってから知り合いに、息が上がってないから次回は100mにしたらと言われたが、さてそれはどうか、、、


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荒野のガンマン

2018-06-19 14:09:17 | 映画
荒野のガンマン(The Deadly Companions、1961米、93分)
監督:サム・ペキンパー、原作・脚本:A.S.フライシュマン
モーリン・オハラ(キット)、ブライアン・キース(イエローレッグ)、スティーヴ・コクラン(ビリー)、チル・ウィルス(ターク)
 
このタイトルからマカロニ・ウェスタンと勘ちがいしたが、これはサム・ペキンパーの実質的な映画デビュー作らしい。
荒野の街にやってきた通称イエローレッグという北軍出身の男が、酒場でリンチにあっていたタークを助け、それに加わったビリーと一緒に銀行を襲おうと計画する。ところが一足先に別の集団が強盗に来て、彼らと打ち合いになるが、その際イエローレッグは間違って少年を撃ち殺してしまう。少年の母親キットは酒場に勤めながら周囲からいろいろ言われ苦労していた。彼女は以前住んでいて少年の父親の墓がある街に遺体を埋葬しに行こうとするが、そこは先住民たちの縄張りに近く危ないということで、贖罪の意識もあり、イエローレッグは他の二人と護衛していくことにする。
 
その一人タークは、実は以前南軍にいた時イエローレッグを痛めつけ、頭にひどい傷をつけていて、イエローレッグはようやく彼を見つけた、ということが見ている者にはわかる。だから帽子を絶対に脱がない(このあたりはドラマのちょっとしたアクセサリーになっている)。
 
他の二人はもちろん別の思惑をもっており、ビリーは女としてのキット、タークはどちらかというと金であり、道中はうまくいかず、結局この二人を追いやり、先住民たちを避けながら、最後は馬を失い遺体を引きずりながら目的地にようやくたどり着く。
そこへまたあの二人が現れて、、、という、結末。イエローレッグはタークに痛めつけられた傷のため、ガンマンどころではなく、まったく中らないのだが。
 
映画としては、荒野のシーンはともかく、登場人物が前述のようだから、動きの面白さには欠ける。節目節目で流れを決めていくのはキットの人間性、気品で、それはモーリン・オハラの演技とともに納得はできるのだが、この映画全体の中で、となると、中途半端な感じはぬぐえない。
 
ペキンパーというと、勝手に乾いた、非情な、そういう映像美というイメージをもっていたけれど、どうももたもたしていて、フィナーレの後味は悪くないものの、面白かったという感にはいま一つであった。各カットそのものは明解ではある。
 
ブライアン・キースはガンマンとしては、がっちりした体躯でそんなに敏捷ではない。他の二人、コクランは跳ねっかえりの軽い悪党にはぴったり、ウィルスのタークは復讐の対象としてはちょっと人間が小さいのと、痴ほう症気味であるのはどうしえか。
 
もっとも、見終わって少ししたら、これはキットの、モーリン・オハラのための映画? プロデュースとしては? という感じもしてきた。クレジットも彼女が最初で、格からしてはそうでも、この種の映画としてはめずらしいのはそのためだろうか。
 
なお、ペキンパーの経歴を見ていたら、本作の前にTVドラマ「ライフルマン」の監督の一人であった。ライフルマンを演じるのは体も顔も長いチャック・コナーズ、毎週見ていた。なつかしい!



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