メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

プッチーニ「三部作」補足

2022-12-31 21:00:06 | 音楽一般
このところプッチーニ「三部作」についてアップしていて、その中で三つ続けて観たのは多分二回目と書いたが、調べてみたらそれは2014年、リッカルド・シャイー指揮ミラノ・スカラ座であった。
 
その時は通常通り「外套」、「修道女アンジェリカ」、「ジャンニ・スキッキ」の順。
今読み返してみると、感じ受け取ったところはそうかわらない。
歳を重ねているから、今回は少し大まかなものになっているけれど。
 
前回の連続公演では歌手たち特にプリマはそれぞれ違う歌手が演じている。プッチーニも特に指定していないからそれでいいのだし、そうやって対照を見せるのは自然である。
ただ今回のようにあえて一人の女声を起用すると、それはやはり効果がある。もしプッチーニが聴いたら、してやったりだろうか。
 
この三作、よく聴けばプッチーニの評価はさらに上がるのではないか。

 

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プッチーニ「修道女アンジェリカ」

2022-12-29 17:04:33 | 音楽一般
プッチーニ:歌劇「修道女アンジェリカ」
アスミク・グリゴリアン(アンジェリカ)、カリタ・マッティラ(公爵夫人)、ハンナ・シュヴァルツ(修道院長)
 
さて三番目、最後は「修道女アンジェリカ」である。
アンジェリカは修道女のなかではかなりいいところから来た、薬草にくわしい人と思われているが、信心深く院長の信頼もある。
 
そこに彼女の叔母である公爵夫人があらわれる。アンジェリカは7年待ったという。アンジェリカの両親は20年ほど前に亡くなり、その遺産は公爵夫人の管理となっていた。アンジェリカには妹がいてこの度嫁ぐことになり、そのために遺産相続の権利を放棄してほしいというが、アンジェリカは拒否する。実は彼女には結婚に至らずに生んだ男の子がおり、7年前に引き離されているのだが、その子はどうなったかと問い詰めると、亡くなったという。
 
その瞬間、アンジェリカは髪をふりほどき、僧衣を脱いで狂乱のまま薬草を飲んで自殺しようとするが、自殺は神にそむくことと悩んでいると、わが子(幻影)が現れ、喜びと苦痛の混じった恍惚の中でアンジェリカは息絶える。
 
この作品だけは修道院のなからしいものと予想していたが、終盤にきて、これはわが子に対する罪の意識、叔母に代表される世間との闘い、その中でいかに生きるか、というドラマの場所が修道院ということだろう。
 
そこは世間の中で生きていく女性をプッチーニがいかに描いたかである。
容易に想像できるのは、叔母がアンジェリカに妹が結婚するからと諭すのは「椿姫」(ヴェルディ)のアルフレードの父親を連想させるし、最後の男の子(ぼうや)を抱いて死に至るまでの激しく美しい歌唱はまさにプッチーニ自身の傑作「蝶々夫人」である。
 
今回この順番で本作が最後になったのは、女の一生のいくつかの側面を年齢とともに並べるとこうなるのかと思われるが、「外套」とはどちらが年上かは微妙なところ。

三作を続けて上演するのが原則だが、各ヒロインは別の人が演じるところ、今回アスミク・グリゴリアンが通して演じたのはたしかにたいへんなことだろう。体力的にもそうだが、役柄がまるで違うわけだから、想像を絶するというか想像してしまうところも醍醐味かもしれない。

とにかくたいへんな人である、歌唱力、演技力、そして魅力を感じてしまう人間力というか。リトアニアの出身らしいが、このところバルト地方からは優れた才能が続々と出てくる。
 
修道院長のハンナ・シュヴァルツ、バイロイトによく名前が出ていたが、今年79歳、こういうところに居るのはいい。

 


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プッチーニ「外套」

2022-12-26 21:12:49 | 音楽一般
プッチーニ:歌劇「外套」
ロマン・ブルデンコ(ミケーレ)、アスミク・グリゴリアン(ジョルジェッタ)、ジョシュア・ゲレーロ(ルイージ)
 
さて二番目は「外套」である。アスミク・グリゴリアンはここでかなり年上の運搬船船長の妻になっている。二人と若い船員、その三人のおよそは予想通りの展開となるドラマ。
プッチーニはヴェリスモ世界の一人とも言えるから、これは「ジャンニ・スキッキ」よりすんなり入っていく。
 
ただしそこはプッチーニで、なんともやりきれない感じで終始するわけではなく、周囲の人たち、その音楽など、なかなか聴かせるところは持っている。聴いているうちにここの背後には「ボエーム」があることに気づく。周りの人たちがミミに言及するが、確かにミミが生きながらえていてもジョルジェッタになった可能性もある。そして音楽も「ボエーム」第三幕の冒頭、入市税関所近くのカフェで女たちが歌うところを連想させる音楽もある。
 
中心となる三人ははまっていてうまい。男二人は歌唱、演技で適格だが、それにしてもグリゴリアンはあのラウレッタからこの可愛くてエロティックでしたたか、しかし同情も誘う、なんともいえない魅力的な存在感である。
 
そしてクライマックス、ここでオーケストラが主人公に躍り出る。そうなると軽いオケではだめで、イタリアのオケよりドイツ系の方がいいかもしれない。ここはウィーンフィルだけあったといえるだろう。
 
半世紀近く前にカラヤンが録音した「ボエーム」はベルリンフィルで、驚かれたものだが、聴いてみて特に襲いかかるようなクライマックスはこのオケでないと、と納得した。それはこの「外套」でも同じであった。
 
ところでこのドラマの中での「外套」は過去の、そして今この悲劇の、なにかをしばしあまく覆ってくれるものという役割だが、そういえば「ボエーム」でもあの哲学者コルリーネが最後なにかミミに役に立つものをと、思い出がつまった外套を質屋に持っていくエピソードがあったっけ。


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プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」

2022-12-26 09:02:35 | 音楽一般
プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」
指揮:フランツ・ウェルザー・メスト、演出:クリスト・ロイ
ミシャ・キリア(ジャンニ・スキッキ)
アスミク・グリゴリアン(ラウレッタ)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
2022年 8月5・9・13日 ザルツブルク祝祭大劇場 
2022年12月 NHK BSP
 
プッチーニの三部作の一つで、通常は「外套」、「修道女アンジェリカ」に続けて最後に演じられる。それぞれダンテの「神曲」に対応しているらしい。
 
今回はこのプッチーニ唯一の喜劇(そういえばそうだっけ)が最初になった。あの有名な「わたしのおとうさん」のラウレッタを演じるアスミク・グリゴリアンが全三作品で主人公を演じるという試みと対応していることもなくはないようだ。
 
本作を通して観るのは二回目かなと思う。大きな遺産を残して死んだ金持ちがどうも遺言ですべてを修道院に寄贈するらしいと聞き、親族たちが困りはているところに、その一人(?)の若者と恋仲のラウレッタの父親ジャンニ・スキッキが来合せ、ベッドの死人と入れ替わり、医者が来てもまだ生きていることにする。このあとしばらくのどたばたがミシャ・キリアのみせどころ。しかし、スキッキは勝手に遺産の処置を自分にいいように言うので、最後は追っ払われる。
 
この間に恋仲を許されないラウレッタのあの歌、遺産はどうなっても二人の意志は確かになっていく。
最後にスキッキは、観客に向かって、ダンテの名前を出し、こうなったのは私が悪いが、もしみなさまが楽しめたならどうか情状酌量を微笑んで終わる。

いろんな要素は時代を超えて思い当たることがある。そして若い二人の恋は観客を楽しませる。それ以外の音楽はどたばた喜劇の伴奏みたいでもあるが。
 
服装は現代だし、ふるまいもそうだが、違和感はない。
ミシャ・キリアは巨体だが、こせこせしたスキッキを小柄な人が演じる場合よりはあきれるくらい態度が大きく、その分最後にやっつけられるときの効果も出てうまい。
 
ラウレッタのアスミク・グリゴリアンは観客が自然に応援したくなるいい感じで、さてこのあとの二作でどうなるか、楽しみである。

オーストリア期待の新人指揮者としてデビューしたウェルザー・メストももう60位、ドイツ系のものよりこういうものでてきぱきと指揮する方があっている気がする。

















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三浦太郎展 絵本とタブロー

2022-12-13 17:37:39 | 美術
三浦太郎展 絵本とタブロー
板橋区立美術館 2022.11/19-2023.1/9

この美術館はときどき絵本、絵本作家の展示を企画する。
三浦太郎(1968- )の絵本はよく知られているものが多く、私も保育園で定期的にやっている読み聞かせでいくつか使っている。どちらかというとストーリーより絵の動き、組み合わせで進められていくものが多く、その絵はよく煮詰められたというか、場面場面での完成度が高いから、1歳から2歳あたりの子供たちに受容度、理解度が高いと思われる。
 
今回これだけ多くのものをその経歴とともに見ると、前記のようなことがことがどうやって出来上がってきたかを見ることができた。
 
あらためて、そのかたち、色の選択、それらの連鎖、関係は秀逸で、デザイナー的な能力の高さを思わせる。
  
説明にあるとおり、2000年以降に震災や環境などの世界的課題が反映しているということも見て取れないわけではないが、それは今回ここで説明しすぎかなとも思う。自然に感じとられればよいのではないか。
 
ともかくこうして全貌を一覧することができたから、今後このなかからまた機会にあわせていくつか選んでみようと思っている。


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