メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

マスターズ水泳 (東急)

2010-05-24 11:43:17 | スポーツ
半年に一回の東急系マスターズ水泳に出るのも、今回で5回目(連続)である。2010年5月23日(日)(東急スイミングスクール あざみ野)
 
最初からずっと出ている25m平泳は、今回スタートがうまくいったせいもあり自己ベストを1秒2更新、この年齢ではうれしいことだが、技術的にはまだまだということでもある、か?
 
そのほかの100m個人メドレーと100mメドレーリレー(第3泳者バタフライ)は初めての出場。
特に100m個人メドレーは泳ぎきるまでのイメージがつかめてないせいか、こんなに疲れるものかと思った。控えめに提出しておいた想定タイムは切ったものの、もう少しいきたかった。
普段、スクールでコース内右側通行すれちがいがある中では、ほとんどフルに経験できないから、今後何度か出てみるしかない。
 
特にペース配分は難しい。スプリットタイムの記録をもらったけれども、最初のバタフライとバックを無理しないで入り、平泳は多少スタミナ消耗していてもある程度のスピードで泳げるからここで息をついで、最後のクロールは必死でやれば、、、という計画だったが、実際は、平泳に入ったとき、なんでもうこんなに疲れているの? 
 
もう少しリラックスして同じくらいのタイムで前半できれば、そしてコンディション調整をもっとうまくできれば、というのが教訓。
朝一番なので、ウォーミングアップはスローでももう少したくさん泳いでおいた方がいいだろう。それと、この年齢だと前日あたりの練習はしないほうがいいようだ。

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細川家の至宝

2010-05-14 21:55:16 | 美術
細川家の至宝 珠玉の永青文庫コレクション」(東京国立博物館平成館、4月20日-6月6日)
 
このコレクションを見るのははじめてである。いくつかの名品は別の機会に見たことはあるけれども。
 
戦国時代から伝わっている永青文庫所蔵品、細川護立が集めた多くは近代のもの、の二つの部分からなる。
 
前者ではいきなり出てくるいくつもの鎧装束に驚かされる。使っている糸の色で、白、赤、黒、紺など種類があることなど、初めて知ったが、保存状態がよくて、今も使えそうに見える。
 
そのほか着物にしても、茶器、面、刀など、特に知識がなくても、また解説を読む前でも、一目でいいなと感じるものが多い。
 
護立が集めたものでは、彼が執心した白隠の画がわかりよくて面白い。有名画家ではやはり大観が抜けている。
 
もちろん菱田春草の「黒き猫」(5月16日まで)をこうして落ち着いて見られるのもいい。
 
現在こうしてこれだけの質と量を鑑賞できるのはありがたいし、その間の細川家の持続した努力は高く評価するが、それが熊本の地で何か文化的に大きな影響を及ぼしたかということになると、たとえば加賀の前田と対照的である。

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情愛と友情 (ブライヅヘッドふたたび)

2010-05-11 22:18:01 | 映画
「情愛と友情」(Brideshead Revisited、2008英、133分)(日本未公開)
原作:イーヴリン・ウォー「ブライヅヘッドふたたび」(1945)
監督:ジュリアン・ジャロルド
マシュー・グード(チャールズ・ライダー)、ベン・ウィショー(セバスチャン・フライト)、ジュリア・フライト(ヘイリー・アトウェル)、エマ・トンプソン(マーチメイン卿夫人)、マイケル・ガンボン(マーチメイト卿)
 
イギリス小説好きには高く評価する人も多いようで、しかも吉田健一が翻訳していることもあり、その存在は知っていたというより聞いていたけれども、読んではいない。
イギリスのマーチメイン卿の息子セバスチャンと庶民の子で画家志望のチャールズが二つの大戦の間らしい時期にオックスフォード大学で出会い仲良くなる。ここはイギリスの大学の話の常なのか、同性愛的雰囲気がたっぷりだが、セバスチャンが美しい田舎のブライヅヘッドにチャールズを招き、彼の妹と気が合いはじめところから、この3人がおかしくなっていき、チャールズの母親が夫が逃げてしまうくらいの厳格なカトリックで、結局妹は別の結婚をさせられ、チャールズも画家となり結婚もする。
 
そしてその画家のパーティで二人は再会するが、そのころセバスチャンは幼児からの母親の影響で酒びたりになり異国に行ったきりになっている。
 
そこからは、原作は読んでないけれど、映画はちょっとジェット・コースター的で、描ききれていないという感もある。
 
舞台のブライヅヘッド(ヨークシャーでロケとか)もオックスフォードも素晴らしいし、こういう世界があったのか、という興味で最後まで見ることは出来るけれど、感情移入するところはそれほどない。
中では、二人が再会しいきなり抱き合い、、、というところは演出、演技とも説得力ある。
 
若い3人はまずまず。特にジュリア役のヘイリー・アトウェルは雰囲気あっていい。ただ、スターのレベルに達するには、もう少しスタイルがよければとは思う。
母親を演ずるエマ・トンプソン、ここでは細かい表情を見せず、それがまた存在感たっぷりで、やはりそうとうな人である。
 
結末が、ドラマとしては物足りない。少し調べたところでは、ウォー自身がカトリックに改宗した人だそうで、それが出ているのだろうか。ただ途中までは、夫人の描き方を見てもカトリックにはかなり批評的なのだが。
 
近代以降のカトリック作家といわれる人の作風は理解しがたいところがあるけれど、それでもグレアム・グリーン「情事の終わり」を映画化した「ことの終わり」(1999)は、作者がカトリックというところが明に出ていた。

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異邦人 (カミュ)

2010-05-07 16:21:08 | 本と雑誌
「異邦人」(アルベール・カミュ)(窪田啓作 訳 新潮文庫)
アルベール・カミュ(1913-1960)が1942年に発表した。新潮文庫では1954年初版、昨年で122刷だから、息が長い作品で、いずれ「古典」あつかいとなるだろう。
 
おそらく最初に読んだのは高校生のとき、それから1回か2回読んでいるはずである。したがって今回は3回目か4回目ということになる。あまり繰り返し読まないたちだから、これはめずらしい。
 
1回目の後に「シーシュポスの神話」を読んだ、というより途中まで食いついて扱われている題材が難しくあきらめた、という感じだが、それでも作者のいいたいところはかなり正確に把握したと思う。
 
だから「異邦人」もその後は、母の死、海水浴、女、殺人、太陽のせい、裁判、死刑というキャッチフレーズが紹介される「不条理」を描いた小説、というイメージよりは、人間が地に足をつけ、実感と具体をもとにした行動、言葉だけで攻めてくる観念にとらわれない、といった形、スタイルが、北アフリカの地で緻密に書かれている、とあらためて読み取った。
 
その一方で、カミュの置かれた政治的な立場を考えれば、当時あのように左から批判されたこともよくわかろうというものである。
たとえばもしこういう人間、こういう著述がスターリン体制のなかに出てきたら、大変あつかいにくい、邪魔なものとして見られたことだろう。そう、ここに書かれているのは、自分の外の権威にもとづく観念にとらわれていない、きわめて強い人間なのである。
 
四十数年間、とびとびに読んでいても、いくつかの細かい描写は記憶にある。たとえば最後のところの、
「、、、私ははじめて、世界の優しい無関心に、心をひらいた」
ここは前から好きである。

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熱いトタン屋根の猫

2010-05-01 22:35:53 | 映画
「熱いトタン屋根の猫」(Cat on a tin roof 1958米、108分)
監督:リチャード・ブルックス、原作:テネシー・ウィリアムズ
ポール・ニューマン、エリザベス・テーラー、バール・アイヴス、ジャック・カーソン
 
NHK-BS2で放送したのを録画して見た。1959年日本公開で、このエリザベス・テーラーのセクシュアルなポーズを強調した宣伝はリアルタイムで記憶にあり、当然映画館に行ってみることなどあるわけなく、その後そのままだった。今になると話を想像しても退屈そうだったのだが、ビデオを見たら、中断することなく一気に見てしまった。
 
やはり、それなりに優れた戯曲をもとにしていて、ほぼ1日の出来事を一つの家の中で息もつかせず描ききったということが一つ。
多少複雑な背景も冒頭からしばらくの台詞のやり取りでわかるようになっている。ハリウッドの通俗映画の要素も臆面もなく盛っているから、辟易するところもあるものの、全体の演出のテンポもいい。
 
父と子、長男と次男(ポール・ニューマン)、嫁同士の確執(次男の嫁がエリザベス・テーラー)、父の不治の病とその発覚、という珍しくはない組み合わせ、そしておそらくポール・ニューマンとエリザベス・テーラーで売ろうという製作の魂胆は明らかである。
 
ポール・ニューマンは最後の父とのやり取りを別にすれば、そんなに演技力を見せるというほどの役ではないけれど、それがよかったかもしれない。同じテネシー・ウイリアムズでも「欲望という名の電車」のマーロン・ブランドほど男、肉体の力を見せ付けるほどではない。ただ、死んだ親友との関係は同性愛的なものがあって、それが妻とのセックスが疎遠になっている、ということかと思わせるが、結局はそうでもないという脚本、ちょっと不自然な感じが残る。
 
二人のスターを売りたいということとの妥協なのだろうか。娯楽映画として失敗ではないものの「欲望という名の電車」と同様な、男と女の宿命的な性の深遠、最後見ているこっちの中に生じる空洞、そういったところはない。 
 
さてエリザベス・テーラー、26歳くらいにしては老けているけれど、1日の中ということで何着もない衣裳がすべて胸を深くV字にカット、背中も同様、タイトなスカート、と当時としてはいかにも。それでもなんとか終幕、いやな感じがしないのは、このひとすごい。ずいぶん小柄な感じがする。
 
とはいえ、これと「欲望という名の電車」も原作そのものは読んでいないので、あんまり確かなことは言えない。
 
「欲望という名の電車」は映画(1951)もアンドレ・プレビン作曲の「オペラ」もよかった。

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