メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

図鑑に載ってない虫

2007-06-29 22:28:54 | 映画

「図鑑に載ってない虫」(2007年、103分)
監督・脚本:三木聡、撮影:小松高志、音楽:坂口修
伊勢谷友介、松尾スズキ、菊地凛子、岩松了、ふせえり、水野美紀、松重豊、笹野高史、三谷昇、村松利史、高橋恵子
 
このところ「亀は意外と速く泳ぐ」(2005)、テレビ朝日系の「時効警察」(2006)、「帰ってきた時効警察」(2007)で絶好調の三木聡 組に期待して、珍しく封切りまもなくテアトル新宿で見た
けれど、これはちょっと空振り。
 
マイナー雑誌の美人編集長(水野美紀)から臨死体験を書けといわれ、それに効くらしい「死にモドキ」という「図鑑に載ってない虫」を探そうと、友人の松尾スズキと旅に出、途中でリスト・カット・マニアの菊地凛子も加わって、三人で行くロード・ムービー調。

随所に出てくる意味ないギャク、変な小道具など満載なのはいつものとおりなのだが、どうも気持ちがよくないのである。
三木聡の調子がいいときは、ゆるいギャク、すべるギャグなどといわれるように、ちょっとそれはなあとこちらも時間が少しゆっくりとたるんできて楽になるものにひたれるが、そうしているとちょっと待てこうしてはいられないとまた画面を注視し始める、というチェンジ・オブ・ペースが絶妙なのだ。
 
ところが今回はかなり一本調子に次々とシュールといえばシュール、しかしテンションが高いギャグが早いテンポで続き、ちょっと疲れる一次第に退屈になってくるという妙な感じである。
考えてみると、この中心の三人は皆つっこみの演技であり、「亀」の上野樹里、「時効」のオダギリジョー、麻生久美子といった受けというかぼけというか、そういう呼吸がないのである。
 
そういえば三木の「イン・ザ・プール」(2005)も松尾だったが、あれはオダギリと一緒だったからまだバランスが取れていたのだろう。
 
ヤクザの親分の舎弟、妙な角刈りのいでたちでいそがしく動く ふせえり というのももったいない。唯一この親分 岩松了がいつもの雰囲気ではあるが、今回はそれほどの立場ではない。
 
それでも最後は見事。見終わってから思った、これは「マルコヴィッチの穴」(1999)か。
こういう映画、あるいは絵画(?)のパロディは随所にある。

面白いのは、主人公が運ばれる実在しない消防署の救急車で、変った車体はフォルクスワーゲン製、消防署の名前に「霧山」とあるので笑ってしまう人は多いだろう。時効警察の主人公(オダギリジョー)の名前である。 しかしどうして「霧山消防署」でなく「霧山消防局」なのか? どうでもいいけれど。


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鬼軍曹ザック

2007-06-20 23:18:50 | 映画
「鬼軍曹ザック」(The Steel Helmet、1950、米、84分)
製作・監督・脚本:サミュエル・フラー
ジーン・エヴァンス、ロバート・ハットン、スティーヴ・ブロディ、ジェームス・エドワーズ、リチャード・ルー、ウイリアム・チュン
 
1950年に作られた朝鮮戦争を舞台とする映画というのがまず驚きである。翌年、米国そして日本でも公開されている。
 
戦闘で負傷し手を縛られて捨てられた軍曹ザックが通りかかった韓国の少年に助けられ、二人で逃れていくと中尉が率いる別の部隊と遭遇、なんとか無人の寺院にたどり着き、さてこれからというところで、隠れていた北の兵士に殺されるものが出始め、不気味な雰囲気の中で、最後は一気に戦闘シーンに入っていく。
 
軍曹、中尉、韓国人の少年、日系の米兵、病気で髪の毛がなくなった兵士など多彩な役柄が配置されている。そして寺院で捕まえた北の将校が妙に米国のそれまでの大戦、国内事情、人種問題などに通じていてその撹乱はちょっと大げさだが、これは作者の米国観をシンプルに出したのだろう。
 
そういう設定が今でもうんざりしたものにならなかったのは、各人の出自、性格、何らかのきっかけで始まってしまった何組かの確執、それらが最後の20分ほどの敵との途切れない戦闘シーンの中で、見事に折りこめられ、しかもそれだけに終始せずそこにはちょっとしたところで人間の尊厳が随所に次々と現れる。見事な作劇、画面の展開というしかない。
 
実はこのモノクロ画面、低予算だからだろうか、屋外戦闘も特に工夫はないし、室内セット撮影と思われるシーンもテレビドラマを思わせるアップ画面多用になっている。それでも後半になると気にならない。
 
いやむしろ、その後のテレビの戦争ドラマは、この映画の影響を受けているのではないだろうか。
 
そして、その後のベトナムを始めとする、米国が味わうであろう見えない恐怖が予言されているようでもある。
 
原題にあるように、映画は鉄のヘルメットで始まり、鉄のヘルメットで終わる。頭を守るヘルメット、そして人と人をつなぐヘルメット、うまい。
 
この少年にザックはショート・ラウンド(Short Round)という名前をつける。そのときのザックの台詞(字幕)では「最後まで達しない弾」jという意味だそうだ。roundを辞書で引くと、一発分の弾薬という意味があるから、これは戦場における少年であるがゆえに半人前という意味だろうか。それでも弾薬は弾薬であって、ザックが少年を可愛がっている気持ちが反語的にあらわれている。
 
この少年、毛筆で字を書くのが好きで、そのあたりサミュエル・フラーの東洋に対する興味、ある種の敬意なのだろうか。
 
ある解説記事によると、ショート・ラウンドという役名は「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」(1984)に出てくる少年につけらられている。(見たはずだがよく覚えていない。)
これは、スピルバーグやルーカスのフラーに対するオマージュだそうだ。
 
この映画は日本ではビデオ化、DVD化がされておらず、半世紀以上前の劇場公開後に字幕つきで見られたのは、WOWOWで最近数回放映されたのが最初のようだ。

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そのときは彼によろしく

2007-06-14 22:35:23 | 映画
「そのときは彼によろしく」(2007年、114分)
監督:平川雄一朗、原作:市川拓司、脚本:いずみ吉紘
長澤まさみ、山田孝之、塚本高史、国仲涼子、北川景子、和久井映見、小日向文世
 
小さいときに出会い将来を誓い合った男二人と女一人、その回想と会えなかったり死と闘ったりの現在の交錯、しかしあまりに回想シーンが多く、人間そんなに過去に束縛され、現在の具体的な日常を切り開いていくことはないのか、と見ていていらいらしてくる。
 
主人公の一人は水草の販売と世話の店をやっているのだが、彼が説明する生態系の美しいバランスの世界、ストーリーも映画の作りも、それとの対照から逸脱するところはない。
 
それにしてもあの結末はないだろう。一つ手前で終わっておけば、見るものはもう少し物語をふくらませただろうに。
 
二人の男のなかで、塚本は長澤の初主演「ロボコン」(2003)のときから見違えるような大人の姿になったが、山田はどうしても長澤と並ぶと、姿も雰囲気も合わない。
 
さて主人公の長澤まさみ、こういう映画でも、出てくるシーンの一つ一つでスターの絵になっている。映画の出来、演技だけに集中した評価とは別に、これはたいしたことだ。台詞も男がきいていて女の存在感を常に感じさせる。
しかし、そろそろもっと背伸びした役を与えてほしい。一般の評価とは違って、その結果だけ見ればうまい役者であるのだから。
 
同じ市川拓司の「いま、会いにゆきます」、映画は見ていないが、原作は読んだ。この人の本を映画化したがるのはわからないでもないが、言葉の世界だけの方が、受け取る側にもより多様なあやが出てくるのではないか。

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真夏の出来事

2007-06-10 18:32:13 | 映画
「真夏の出来事」(Head Above Water、1996年、米、92分)
監督:ジム・ウイルソン、脚本:テレサ・マリー
ハーヴェイ・カイテル、キャメロン・ディアス、クレイグ・シェイファー、ビリー・ゼイン、シェイ・ダフィン
 
休暇で離れ小島にやってきた新婚早々の夫婦、夫(ハーヴェイ・カイテル)は初老の判事、妻(キャメロン・ディアス)は娘と間違うほど若く、どうも非行少女だったときからのつながりらしい。
その別荘の管理をしているのは妻の幼なじみ、そして男二人が船で一晩釣りに出かけているあいだに、訪ねてきてしまった元彼が彼女もしらない間に死んでしまう。
さて、犯人探しと、もみ消し、どたばたも加わって、これがファム・ファタルを中心にしたサスペンスなのかコメディなのか、わからなくなってくる。
 
キャメロン・ディアスが「マスク」(1994)でデビューした少し後のこの作品、よくありそうなプロットだし彼女のファンでないと見る気にはならないだろう。他愛ないといえばそうである。
 
あわてだすハーヴェイ・カイテルは笑わせるが、この立派な演劇人はこういうところで似合わない。妙に力が入って浮いてくるのである。
 
そこへいくと、キャメロン・ディアスはなんとも自然で堂々と中心に位置している。これを見ていれば、その後の「ベスト・フレンズ・ウェディング」(1997)、「メリーに首ったけ」(1998)に使ってみたくなるというものだろう。
 
ラストシーンはブラック・コメディー調、娯楽映画の終わり方としてうまい。
 
キャメロンの泳ぎはかなりうまい。

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大日本人

2007-06-08 22:02:08 | 映画
「大日本人」(2007年、113分)
監督:松本人志、脚本:松本人志、高須光聖
松本人志、竹内力、UA、神木隆之介、海原はるか、板尾創路
 
松本初めての映画作りとあって、松本が出ているTV番組をある程度面白いと思う人がかろうじて楽しめる、という予想は半分あたっているが、導入から少し納得しだすと結構飽きずに最後まで見ることが出来る。
 
大日本人こと大佐藤(松本)はその家が代々政府そして自衛隊から頼まれ、高い電圧で電気を体に浴び、巨人になって怪獣と闘うという荒唐無稽かつふざけた画面の主人公である。
しかしその進行はなんとこの大佐藤へのTV番組のインタビューという形をとっているから、それに応える松本がいつもの調子を無理なく出すことが出来ている。この手法はずるいといえばそれまでだが、やられたという感じであるし、全体としては今のメディアに対する批評にもなっている。
 
この大日本人の怪獣との戦いは何故か昔のプロレスに似たテイストで、しかもマネージャーがついていて、体に広告を付けるというおまけまである。
 
アメリカ、北朝鮮、認知症など、今のトピックスを入れながらあまり深入りしないところも、いいバランス感覚だ。
 
最後の突然の切り替えは釈然としないし理解できないが、想像するに、ちょっとヒューマンな大団円になりそうなところで、理不尽に見えても、流れを断ち切りたかったのだろう。
 
松本本人が言うように、これはお笑いの延長であって、エスプリが利いた、あるいはユーモアを感じる、といったコメディではない。カンヌ映画祭で理解されなかったかもしれないが、それはそれでよかったのではないか。

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