メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ロッシーニ「湖上の美人」(コヴェントガーデン)

2013-10-31 21:19:20 | 音楽一般

ロッシーニ:歌劇「湖上の美人」

指揮:ミケーレ・マリオッティ、演出:ジョン・フルジェームズ

ジョイス・ディドナート(エレナ)、ファン・ディエゴ・フローレス(スコットランド国王、ウベルト)、ダニエラ・バルチェッローナ(マルコム)、シモン・オルフィラ(エレナの父ダグラス)、コリン・リー(ロドリーゴ)

2013年5月27日 コヴェントガーデン歌劇場  2013年9月 NHK BS Pre

 

題名は知っていたが聴くのも観るのも初めてである。ロッシーニの作品はコメディが多いという印象で、これはそれらとはちょっとちがう、セリアともいうべきもの。

イタリアのベルカント・オペラの題材としてなぜか多いような気がするスコットランドが舞台で、反乱軍を率いるダグラスの娘エレナが湖で対する国王と偶然出会い、彼女に惹かれた国王は身分を隠す。

エレナにはやはり兵士のマルコムという恋人がいるが、父ダグラスは臣下のロドリーゴをいいなずけにしている。つまり娘と彼女を好きな3人の男という構図。

 

いままでのロッシーニのイメージからすると、冒頭のオーケストラからして充実した響きで、主役級のソロや二重唱も声や歌唱が映えるものになっている。

 

いい歌手をそろえているが、ディドナートとフローレスは別格で、さすがMETにおけるロッシーニ・オペラの看板である。そういえば「オリー伯爵」、「セヴィリヤの理髪師」はこのコンビ。

 

ディドナートは最高域のアピールもコントロールも完璧で、それに加え表現によっては声に強さが出てきて、この実質女声を一人で長丁場支える舞台、ほとんど出ずっぱりで歌いきる。

 

フローレスも恋する国王という二つの雰囲気が要求される役で、持っている魅力を十分発揮している。

 

話の結末としては、国王の友人と偽って、エレナに困ったときはこの指輪を見せるといい、といったところでだいたいわかってしまうのだが。

 

さてエレナの恋人マルコムを歌っているのはアルトつまり女性である。これは作品が作られた当時から普通らしいのだが、容姿はなんとかなっているものの、声を聴いているとやはり無理がある。特に二重唱でディドナートの声と対比すると、それより細く弱い感じは否めない。ただ声域でいうとカウンターテナーでやってもうまくいかないのかもしれない。

 

ところで、ピアニストのマウリツィオ・ポリーニは指揮もするが、その本格的デビューは確か「湖上の美人」だった。それでこの作品名を知ったし、それ以降この作品の上演も多くなってきたようだ。

ポリーニにしては、、、と思うロッシーニだが、ピアノでこういう気分のものもその後やっていればなあ、と思う。

 


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エレーヌ・グリモーのブラームス・ピアノ協奏曲

2013-10-26 21:57:33 | 音楽一般

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番(作品15)、第2番(作品83)

ピアノ:エレーヌ・グリモー

指揮:アンドリス・ネルソンズ バイエルン放送交響楽団(第1番)、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(第2番)

DG  2012年の録音、第1番はライヴ

 

この2曲をあわせていきなりリリースというのはあまりないと思う。それだけ大変な仕事なのだが、グリモーにとってはデビューのころからラフマニノフと並んで思い入れの強いブラームス、それにかける意気込みと今になっての自信のあらわれなのだろう。

 

第1番は1997年のクルト・ザンデルリンク指揮ベルリン・シュターツカペレとの録音があり、第2番はこのところよく弾いているようで、デーヴィッド・ジンマン指揮NHK交響楽団との演奏は4月にTVで放送された。

 

このCDの演奏、第2番はその印象と共通しており、それをさらに洗練したというべきだろう。立派な曲の第4楽章、明るさ、軽快感は理想どおりでうれしい。第1番も、この若々しくかぐわしい、しかも大家を目指したというようなスケール感のある曲を、たっぷりと味わうことができる。

 

4月にも書いたけれど、ここまでオーケストラに負けないでしかも溶け合った演奏を十分に楽しませてくれたことはうれしい。それでいて、力が入りすぎたということはなく、彼女らしい洗練もある。

 

欲を言えば、録音というかミキシングのバランスでもう少しピアノをオンにしてほしかった。数年前にサントリー・ホールで「皇帝」を聴いたとき、ピアノの音はオーケストラに対して的確なバランスを持っていた。

 

それにしても、ジャケットの写真、ますます美しくなってきたのは、、、


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メトロポリタン・オペラのオーディション

2013-10-24 11:09:36 | 音楽一般

2007年、メトロポリタン歌劇場で行われた「ナショナル・カウンシル・オーディション」の記録番組(WOWOW) 。

全米1800人から22人に絞り込まれたセミファイナルがあり、それが半分になったファイナルで、5人~6人が順不同で選ばれ、1万ドルの賞金(この種のものとしてはかなり高い)が出る。

 

セミファイナル以降の記録だけれど、メトロポリタンはその間、選抜のためばかりでなく、トレーナー、奏者、指揮者たちが親身になって指導、相談にあたり、20歳から30歳くらいの男女が、本番でいいところを出せるように最善をつくす。

このあたり、アメリカ的と言えるかどうかわからないがとても気持ちがよく、こうやってMETのすそ野を広げているということがよくわかる。

セミファイナルの22人くらいになると、最後まで残るかどうかはさておき、今後は何らかの形でオペラ界に登場する可能性は多いだろうし、METでもよくある主演クラスが出られなくなった時のピンチヒッター候補リストに入るだろう。

 

ここの公演にもよく出てくる指揮者マルコ・アルミリアートも、とても気さくだが、指摘と助言は的確で、トレーナーとして優れているようだ。

 

もちろんこの上にはMET最初の音楽監督ジェイムズ・レヴァインがいるわけで、この番組とあわせて放送された「天才指揮者ジェイムズ・レヴァイン」を見ると、この人のオケや歌手への指導ぶりは、感心することばかりであった。

 

まだ若かったレヴァインの起用はMETの危機感の現れだったらしく、レヴァインの言では、新しいオペラを定期的に加えていく意義が強く語られていて、このあたり先にあげた「サイード音楽評論1」でサイードがMETの遅れていることを厳しく書いていたけれど、それに全面的に応えたわけではないにしろ、METが危機意識を持っていなかったわけではなく、それなりの行動をしていたことはよくわかる。 

 

面白いのは最終的に選ばれた女性歌手3人とも、かなりの恰幅で、顔もよく似ていたこと。あの大きな劇場では、声がきれいで、容姿もよく、演技力があっても、体力がないと、審査風景でいわれたように「いいけれどヨーロッパ向き」と言われるのだろう。

もっとも、ここで活躍しているルネ・フレミングそしてなによりナタリー・デセイはこの3人とは反対だし、現在一番人気のアンナ・ネトレプコだって細くはないけれど違うタイプだ。

 

そして1年後の2008年、ファイナリストたちのその後が最後に流れるが、勝者であった30歳のテノールがガンのため亡くなり、この番組を彼にささげるとあった。

ファイナルで歌った「冷たい手を」(ボエーム)は見事だったが、、、


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ジャズピアノを習って

2013-10-09 21:26:52 | 音楽一般

ジャズピアノを習ってもうすぐ一年、先日ローカルな発表会があり、はじめて人前で弾いた。

弾いたとはいっても、若いころちょっとやっただけでなんとか両手でできることもある、という程度だから、教える側もそれはお見通し、同じグループレッスンの2人と組んでやった2曲とも、役割分担はうまく考えられていた。

 

一つは「ワーク・ソング」、言わずと知れたアダレー兄弟(キャノンボール/ナット)の名曲、やはりピアノを始めていて前からアルトサックスをやっている人がソロ、ピアノは二人が下のパートを連弾、一人が電子キーボードのソロ、私はちょうど中間のコードを担当、左手だけである。

 

アドリブはサックス3回、キーボード2回、こっちとしてもかなり繰り返しは多く、練習も結構やってはいたが(もっともサックスと一緒のは2回)、本番はいろいろ小さいミスが多かった。それでもジャズの原則、つまりあっ間違ったとわかっても何食わぬ顔でそのまま続けるというのは何とかできたと思うし、終わった時はなかなかの快感であった。

 

もう一つは「酒とバラの日々」(The Days Of Wine And Roses) 、こっちは二人がピアノ連弾、私はヴォーカルと電子キーボード。私はといえば第1コーラスはヴォーカル、第2コーラスはキーボードで右手のアドリブ、第3コーラスは再びヴォーカルというもの。

 

ヴォーカルは慣れているが、アドリブは練習はしていたものの本番は途中からどこやっているのかちょっとわからなくなるところがあった。それでも終わりはなんとか気づいて、再度ヴォーカルへの入りはまずまずだった。これは自信になる。 

 

アドリブは、本当は原曲のきれいな変奏曲、そうモーツアルトやベートーヴェンのそれみたいなところを理想としては作りたいのだが、それは指を動かす能力からまだ無理なので、ここは書かれているコード進行にしたがって、そのコードを構成している4音を覚え、小節ごとにそれらの音の中から、それこそひらめき、思いつきで弾くという形をとった。発表会のしばらく前からはこの右手だけのアドリブに専念、遅れないように音の数も今回は欲張らないようにした。もう原曲のメロディー、このあたりどうだったかということも頭の中にはなくなっていた。

それでも終わってみるとなんとか、、、というのもこのコード進行、よくできているのだろう。なにしろ作曲ヘンリー・マンシーニだし、スローな割に楽器奏者が扱うことが多いのはそういうわけだろう。

 

このように、思い起こせば、一つは左手だけ、もう一つは右手だけ。

でもそのあと、右手のアドリブになんとか左手のコードをつけて自宅で弾いてみると、まだ速度はちょっとだが、以前よりは両手での演奏、ましになったようだし、気楽にできているようである。

このやりかた、しばらくはいいかもしれない。

 

なお、会場はこじんまりとしたピアノ・サロンだが、楽器はなんとスタインウェイのグランド! 実際に触れるのは生まれて初めてである。ワーク・ソングの左手だけというのが悲しいが、事前にちょっと試したところ、高音域はソリッドで華麗であるが、中音域は弦を繊細にたたいているという感覚があり、こういう微妙な体験は初めてであった。

 

 


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デイヴィッド・ダフィ「KGBから来た男」

2013-10-02 21:32:43 | 本と雑誌

デイヴィッド・ダフィ 「KGBから来た男」 山中朝晶 訳 (ハヤカワ文庫)

David Duffy  Last To Fold

 

先日読んだ評判作「二流小説家」より、この方が面白い。プロットが込み入っていて、納得しながら読み進むのが難しいのは同様なのだが、この元KGB、それもそれなりの数奇な宿命を背負って、ニューヨークで調査員をしている主人公ターボ、物語はほとんど彼の人称で語られるが、そのつぶやき、行動にひきつけられ、飽きない。

 

旧ソ連に始まる収容所とそこに不条理に収容されたもの、そこを出てもついてまわるさまざまな影、それにニューヨークの金持ち、ソ連・ロシアから来た新旧権力の流れ、アメリカサイドの人たち。

 

マネーロンダリング、ハッキングなどについては、細かすぎてついていけないところはあるけれど、最後はなんとか納得できた。

 

色を添える女性検事、彼の相棒が操っているなんでもわかってしまうお化け検索システム、その近くにいるペットのヨウム(オウムとインコの中間みたいな種類でもっとも人間に近いようなものまねをするらしく、最近はやりだとか。知らなかった。)、主人公が持っている2台の変わったアメリカ車、装飾もうまくできている。

 

ソルジェニーツィンの作品でも読んでいればもっと感じるところはあったのだろうが、この世界に接したのはショスタコーヴィチのいくつかの曲、その初演、強制された改変など、そしてそれらについて書かれたもの、くらいだろうか。

それにしてもなんという、、、その一方で、先ごろオリバー・ストーンのドキュメンタリーで触れられていたように、スターリンによる殺戮はおそらくヒットラーのそれより数的には多いのだが、あの戦争における連合国側の勝利にはソ連の参戦と戦闘が大きな貢献をした、といわれるようになってきている。

 

この小説を読んでいて、最近の他のものより気分がいいのは、あの東西冷戦時代のスパイ小説に味をしめていた名残かもしれない。

 


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