メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

舟越保武彫刻展

2015-07-28 21:04:37 | 美術
舟越保武彫刻展 まなざしの向こうに (開館30周年記念)
練馬区立美術館 2015年7月12日(日)~9月6日(日)
 
舟越保武(1912-2002)の彫刻を知って見始めてからまだ20年は経っていない。いろんなところでいくつか見てきたが、このようにまとめて見ることができるのはうれしい。
 
洲之内徹「気まぐれ美術館」から松本竣介といって、竣介と盛岡の中学から一緒だったというあたりが、この作家を知った始まりだったと思う。もともとは石の彫刻で、どうしてこういう女性の顔を見つけ彫り出せるのだろうと思いながら、いつまでもいくつもの方向から、そして照明の効果をあじわっていると、つい時間を忘れる。みな顔がいいけれど、中でも「セシリア」は人気だけのことはある。
また、総じてみな石がいい。
 
そして鋳造ではやはり「原の城」、最初に見たときこの天草の乱の敗残兵、鎧の中は抜け殻と思わせ、風が吹き抜けているようだった。人間をこういう形でとらえるという発想はどこから来たのだろうか。こうなるのだ、と思わせる。
なお今回みると、こんなに大きかったかなと思う。ブロンズではもう一つ有名な「ダミアン神父」もおそらく実際の人よりだいぶ大きい。これは屋外に置くものではないが、このサイズには何か意味があるのだろう。
 
病で右手が使えなくなり左手で彫りだしてからの代表作「ゴルゴタ」も久しぶりに見た。確かに顔の両側の彫り方は解説されれば利き手でない方でということは理解できるけれど、それを抜きにしてもこれはキリストの人間としての苦悩を素直に見た人が作ったものだ。
 
そしてあの「長崎二十六聖人殉教者記念碑」、調べてみたら2000年10月に長崎を訪れたとき、時間を都合して長崎駅向かいの丘にあるこの像を見に行った。こういうものがあるということの驚き以上に言葉がなかった。これを作ったこと、それがここにあるということの意味は大きい。今回の展示でそのいくつかのプラスチック複製に加え、制作過程のエスキス、スケッチなど初めて見ることができたのは収穫だった。
 
見て、集中して作って、ここまでいった人がいた。

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エマニュエル・トッド「「ドイツ帝国」が世界を破滅させる」

2015-07-21 21:07:45 | 本と雑誌
「「ドイツ帝国」が世界を破滅させる 日本人への警告」:エマニュエル・トッド著 堀茂樹訳 2015年5月 文春新書
 
これはこの4年くらいの間のインタビューを集め、日本で編集したものらしい。各編20頁ほどで、読みやすい。テーマは衝撃的だが、ひととおり読んでみると、そういう見方もあるのかなと考える。よく売れているようだ。
 
かなり思い切った表現、結構どぎついものもあり、多くの表、グラフなどで具体的なデータは提示してあるものの、しっかりと受け取ったというところまではいかない。
 
とはいえ、さすが人口学、人類学の立場から、乳幼児死亡率の増加を見てソ連の崩壊を予言したことで評価が高いトッド、こうしてみるとクリミア、ウクライナとロシア、そしてギリシャとEUとりわけドイツとの関係が、すこしちがって見えてくる。こういう視点もありうるとして今後みていくことは大事だろう。
 
あまり国や民族をこうだと決めつけてはいけないが、こうしてみるとドイツというものは、この100年と少し、ヨーロッパの中でかなり特異なもので、周囲と軋轢を起こす要素をもってたのは、何もナチばかりではなかったようだ。今ヨーロッパでは一人勝ちだし、それによって低いポジションになってしまったギリシャやほかの東欧、南欧諸国は共通通貨ユーロのためもあって、これまでならあった逃げ道もなくなった。
 
おりしもツヴァイクの「昨日の世界」を再読したところで、著者はもちろんドイツ語を母語としているが、ウイーン生まれのユダヤ人で、身につけてきた文化的背景、つまり汎ヨーロッパ的なものからするとドイツに少し違和感があったような感じがした。一方でトッドのちょっと口が悪い表現による、仏、英、独あたりの比較というのはおもしろく、また今般のギリシャの普通に考えればなにを勝手な怠け者のという感も、あの国民投票と理解しがたい首相も、少し納得がいく。
 
トッドには是非このようなテーマで、じっくりと書いてほしい。さてフランスは、このトッドに続いてピケティと、なかなかの論客を生み出しているが、教育制度に何かあるのだろうか。

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ブリテン「ベニスに死す」

2015-07-17 21:14:18 | 音楽一般
ベンジャミン・ブリテン:歌劇「ベニスに死す」
指揮:アレホ・ペレス、演出:ウイリー・デッカ―、原作:トーマス・マン
ジョン・ダザック(アッシェンバッハ)、リー・メルローズ(旅人など7役)
2014年12月 レアル劇場(マドリード) 2015年5月 NHK BS
 
ブリテンがこれを作ったのは知っていて、観たいと思っていたが、かなり時間がかかってしまった。マンの原作を用いたものとしてはもちろんヴィスコンティの映画があまりにもよく知られている。ブリテンはこの映画にたいへん感銘を受け、オペラを構想したという。あの映画のあとに、というのは、ブリテンはやはり大物である。
 
映画の主人公アッシェンバッハは作曲家だったが、ここでは原作どおり作家である。映画を見た人がこれを見ることが多い、ということをブリテンは想定しているだろう。それにあえて逆らうことはなく、そこは自然に進んでいく。演出特に美術がすぐれていて、数少ない調度と傾斜、そして空と雲による効果的な背景スクリーン(マグリットを思わせる)、照明は中心部分の人物の近くに集中している。細部へのこだわりとそれに対するカメラが際立った映画と比べると、そこは象徴的なもの。
 
だが、映画は見えるものにこちらは集中するけれど、オペラは音楽で見える者の内面に入っていくというところがある。
登場人物の中心は主人公と、彼をさまざまに挑発したり、誘ったりするさまざまな役の二人、彼らはまさにはまっている。ダザックは姿、表情など、こちらのイメージにぴたりで、映画のダーク・ボガード以上かもしれない。もっとも意識してボガードに似せているところもある。歌唱、演技もいい。
 
7役のメルローズは、本当に達者で、あの映画の道化(ここでも集団で道化は出てくるが)の役割も含め、主人公の想いと迷いを後押しする。メフィストフェレスといってもよく、映画にあった同じマンの「ファウスト博士」中の「砂時計、、、」はここでも出てくる。
 
音楽は全体に聴きやすく、ドラマをうまく運んでいく役割。個人的には、同じブリテンの「ピーター・グライムズ」のつらさはない。考えてみればブリテンのオペラには他に「真夏の夜の夢」、「カーリュー・リバー(隅田川)」があり、ずいぶんバラエティに富んでいる。「カーリュー・リバー」だけ見ていない(聴いたことはあるけれど)。
 
あとひとつ、今回特に感じたことで、英語はオペラに向かないかないのではないか。いろんな音楽語法に通じているイギリスのブリテンでこうなのだから。英語が向いているのは、民族歌謡をのぞくと、やはりミュージカルだろうか。それがその後、英語圏におけるポピュラー、ロックなどの隆盛につながっていると考える。

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メタモルフォーゼン(リヒャルト・シュトラウス)

2015-07-15 20:57:55 | 音楽一般
先週アップしたシュテファン・ツヴァイクの「昨日の世界」、ここでツヴァイクはリヒャルト・シュトラウスに歌劇「無口な女」の脚本を提供することになったが、それはまさにヒットラーの台頭で両者とも危ない、早くどこかへのがれた方がいい時期だった。ツヴァイクは敏感だったが、シュトラウスは近親にユダヤ人がいるにもかかわらず、自分のポジションに自信があったのか、単に楽観的だったのか、鈍感だったのか、ある意味大物であった。結局はナチに屈するが、1942年に自死を選んだツヴァイクより後まで、1949年まで生きる。それは複雑な晩年だったはずだが、この人はしぶとい人でもあったようだ。
 
このメタモルフォーゼン(変容)はナチス崩壊直前の一か月間で作曲された23独奏弦楽器のための曲、すぐにわかるようにベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の葬送行進曲の主題を取ってきている。したがって、こういう時期の、この国の、作曲者の心象を象徴したものであることを、聴く者が想定することは、シュトラウスも承知の上だっただろう。ただそれにしても、完成度の高い見事な曲で、弦楽合奏のものとしては「カプリッチョ」の前奏曲と同様、魅力あるものとなっている。
 
ツヴァイクはそのときのシュトラウスについて、批判はしていないが理解は困難なようだった。この曲はそういう一筋縄ではいかない想いを、くりかえしくりかえししつこく叙述しているようにきこえる。
 
この曲、そう録音は多くないと思うが、聴くとなればそれはカラヤンだろう。戦中、戦後、いろいろ批判もされ、それに対して明には申し開きしてないが、思うところは多くあるはずで、だからこの曲への執着は強いに違いない。ベルリン・フィルとは1969年と1980年の録音がある。両方取り出して久しぶりに聴いた(30センチLP)。
 
1980年のものは、もうカラヤンが生涯かけて納得いくものを残したいと思ったか、曲の構造がよく見通せ、それが曲の説得力をいや増しにする、なんともすごいとしか言いようのない演奏である。1969年のものはこれより少しテンポがおそく、比較すると明解ではない。ただそこのところが、自分の頭の中で、なにか想念の周りをいつまでもぐるぐる回っているようで、これも興味はつきない。

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「昨日の世界」と「グランド・ブダペスト・ホテル」

2015-07-14 10:34:29 | 映画
映画「グランド・ブダペスト・ホテル」について書いた時に触れたが、クレジットにシュテファン・ツヴァイクの著作にインスパイアされたとあった。これについては、いろいろ言及されているようで、公開前に映画評論家の町山智浩氏がラジオで話しているのを聴き、興味を持っていた。氏は自身のブログにも書いている。
 
先週アップしたようにツヴァイクの自伝にあたる「昨日の世界」を再読したところで、さてとこの映画を再度見た。画面の変化が多くて追いかけるのに苦労したと思っていたが、やはり2回目、だいぶ余裕を持ってみることができた。
 
回想する元ロビー・ボーイで動乱の世界を生き抜いた主人公、そしてその師匠のホテル・コンシェルジュ、彼らが夢見た世界、人と人との国をまたぐネットワーク、それがおそらく甘ったるいと言われることを承知で、疾走するように描かれている。この描きかたがこの映画の真骨頂である。
 
ツヴァイク特にその「昨日の世界」がこれを創らせたとすれば、ツヴァイクも本望だろう(ちょっと大げさ?)。あの印象的な有名ホテル・コンシェルジュのネットワーク、このアイデアはやはり秀逸。そして菓子作りを随所に配したところ、香水パナシェのエピソードなど、とげとげしくならない工夫もいい。
 
そしてこのストーリーの作者と思われる登場人物が、ホテルで話をきいたのち南米を訪ねたとのナレーションがあり、ツヴァイク最後の地ブラジルへの着地としたのも気がきいている。

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