メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ゼア・ウイル・ビー・ブラッド

2009-09-30 15:40:46 | 映画
「ゼア・ウイル・ビー・ブラッド」(There Will Be Blood、2007米、158分)
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン、原作:アプトン・シンクレア「石油!」、撮影:ロバート・エルスウィット、音楽:ジョニー・グリーンウッド
ダニエル・デイ=ルイス、ポール・ダノ、ケヴィン・J・オコナー、ディロン・フレイジャー
 
19世紀末から20世紀30年ころまで、アメリカの石油採掘でのし上がろうとした男の物語で、あそこに血があるだろう、というのはもちろんあそこに石油があるだろう、から転じたものだろう。ここで血とは、文字どおりの血に加えて「血縁」、「家族」と考えられる。
 
まだ多くの人たちに開かれていたアメリカの大地と石油の採掘、原理的カルト的な宗教、この映画が描こうとしていたのはまさにこういうアメリカを動かしてきたものである。
 
そして主人公を演じるのがダニエル・デイ=ルイスで、2時間を大幅に超えるということから、かなり覚悟したわりには映画は淡々とした叙事詩的な面が大きく、カメラワークのよさもあいまって、最後まで飽きずに見ることが出来た。
 
大統領選挙にあわせて、こういうアメリカの背景について、日本でも多くの解説がされていたからそんなに驚く話ではないけれども、話の最後まで一旗あげることと宗教がついてまわるというのは、人工的な国ならではだろうか。
 
ダニエル・デイ=ルイスは予想通りの出来で、かなり老けた作りをしている。他の作品と比べて、これでオスカー獲ったというほどではない。教会牧師のポール・ダノはこの役が持つ臭みをうまく出している。もっともこういう役はやりやすいかもしれない。
主人公が連れ歩く子どもの結婚相手以外に、これといって女性は登場しない。このあたりは少し不自然。
 
油井の完成、そして物語の最後からクレジット、二つのタイミングで入ってくるブラームスのヴァイオリン協奏曲第三楽章、なかなか効果的だ。
主人公が金持ちになって後の邸宅、中にボーリング場がある。そういえばホワイト・ハウスにもあるらしい。
 
なお、この映画は故ロバート・アルトマン(1925-2006)に捧げられている。

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「ショスタコーヴィチの証言」 (ソロモン・ヴォルコフ)

2009-09-17 20:38:14 | 本と雑誌

「ショスタコーヴィチの証言」 (ソロモン・ヴォルコフ、水野忠夫訳、中公文庫)
TESTIMONY: The Memoirs of Dmitri Shostakovich  by Solomon Volkov (1979) の翻訳である。

この本の存在、そして随分話題に、議論の的になっていることは知っていたが、大部であり、ロシア系作曲家の中でもどうも入りにくい人だったこともあり、敬遠していた。しかし、読んでみれば、進まないということもなく、登場人物も多彩で面白く、またこれは比べるものののない、おそろしい独裁時代、社会に関する記述であった。

1953年、スターリンが死んだ時は幼かったけれども、ラジオのニュースだろうか、何か相当な騒ぎだったことをかすかに記憶している。その後、ソ連をよしとする人たちからスターリン批判が出てきて、最後はソ連崩壊にもつながったのだろうとは思っていた。
 
しかし、こういうものを読んでは見るものである。革命前の帝政、ヒットラーの独裁に比べても、もっとひどいものではないだろうか。
ヒットラーならば、だまっておとなしくするか、忠誠を誓えばなんとかなっても、スターリンの場合は理解する能力のない文化という分野に口を出し、才能があるとわかった芸術家には、活動をやめることを許さない。つまり気に入る作品を作るよう圧力がかかり注文がつき、その挙句銃殺もありうる。
 
ショスタコーヴィチ(1906-1975)はこの中で生きながらえた。当然のことながら、彼も自分の活動がすべて正しかったなどとは言っていない。ただ、弱そうにも見えて、やはり強靭な持続力、そして作曲家としての能力が彼を最後まで支えたのだろうか。
 
若い頃、唯一知っていたのは交響曲第五番で、これは普通だと思うけれども、明るく力強い楽想がどうもわかりやすすぎる、安っぽいという感が抜けなかった。実演で聴いたのは岩城宏之指揮のN響、床からずしんと来たが。
 
それでも、インテリと思われる音楽ファン、またおそらく進歩派であろう音楽評論家たちは、それを力強い、人民の姿を表現したといったポジティヴな評価をしていた。それに感覚的な疑問を感じていたのだが、それがこの証言によれば、「、、、強制された歓喜なのだ。それは、鞭打たれ、、「さあ喜べ、喜べ、それがお前たちの仕事だ」と命令されるのと同じだ。そして、、鞭打たれた者は立ちあがり、ふらつく足で行進をはじめ、「さあ、喜ぶぞ、、喜ぶぞ、それがおれたちの仕事だ」という。」
 
これを読んで納得した。あれを誉めそやした日本の人たちはどういう耳を持っていたのか。
もちろん、今になって作者自身がこういうことを言うことに問題がないわけではないし、作者自身の証言のように感じたとして、この曲を資料としては別にこれからも鑑賞の対象とするのは無理である。
 
有名な音楽家、芸術家への言及も多く、それは深刻なものもあれば面白いものもある。
音楽院の先生であったグラズノフについては、その作品への評価はともかく、教師としての能力などに敬意をはらっている。
ストラヴィンスキーについては肌が合わないようだが、才能は認めている。ただプロコフィエフは嫌いなようだ。

また、ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」に関しては、これもオリジナル回帰の流れなのかリムスキー・コルサコフ版やショスタコーヴィチ版より原典版が尊ばれているが、この本を読むとほんとうにそれでいいのかどうか。

交響曲の初演を多くやったムラヴィンスキーはけちょんけちょんの評価で、まったくわかってないと言っているし、トスカニーニもひどい人、指揮者だと言っている。これは意外。エイゼンシュテイン、スタニスラフスキーも彼にかかっては形無しだ。
 
1969年にカラヤンがベルリン・フィルとモスクワを訪れ、その録音は今でも評価が高く、とりわけ彼が唯一ショスタコーシチでレパートリーにしていた交響曲第10番は作曲者も聴き、カラヤンとも会ったはずである。そのことについて何かと期待したが特になかった。ただあったのは、マリア・ユージナがカラヤンの切符をどうしてもほしくて奇矯なふるまいをしたということくらい。
ロストロポーヴィチについては書かれているが、オイストラフ、リヒテルについては特に無し。これが死後出版されたとき、彼らがどうなるか気遣いしたのかもしれない。
 
ハチャトリアンなどとかかわったスターリンのもとでのソ連国歌作成、そうだったのか、、、でもあの曲、オリンピックなどで聴いていて悪くはなかった。
 
このように本としては読んで感心しても、彼の曲はストラヴィンスキーはおろかプロコフィエフと比べても、どこか夢中になって聴くという段階に至っていない。強靭な生き方を貫いた、それが作品では韜晦にもなっているのはわかるけれど、「音楽」としてどこかで抜けたところがまだ見つけられない。
それでも交響曲第1番などは、フレッシュで豊かな才能を感じさせる。第4番、第7番、弦楽四重奏曲第8番、前奏曲とフーガ(ピアノ)、ヴァイオリン協奏曲など、再度ゆっくり聴いてみようとは思っている。
 
もちろん、数年後の死を予想してヴォルコフに話し、国外に持ち出して死後出版するよう求めた、そしてそれは英訳で出版された、というプロセスで書かれたものに、ヴォルコフの介在も含めて何らかのクレームがあることも想像されるし、事実それはあったようだ。それでも、そんなに間違ってはいないだろう。ショスタコーヴィチという人は、そこについては信用できるように思う。


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譜めくりの女

2009-09-05 16:28:37 | 映画
「譜めくりの女」(La Tourneuse De Pages 、2006仏、85分)
監督・脚本:ドゥニ・デルクール
カトリーヌ・フロ、デボラ・フランソワ、パスカル・グレゴリー
 
音楽学校(コンセルヴァトワール)の入学試験(ピアノ)を受け、審査員女性ピアニストの態度に惑わされ失敗した少女が、長じてピアニストの夫の事務所に、そして家庭に狙い通り入り込み、譜めくりが出来ることからそれを任されすべてに信用されることに成功、そこからどんな復讐を遂げるのか。
 
少女の父親は肉屋で、大きな肉を切り刻むシーン、家庭に入り込んでからそこの男の子を扱うときの怖い雰囲気、そうやって見せていって、ちょっと肩透かしのような巧妙な手段で終わる。やられたほうにとって実際は致命的なものだが、見ているほうは何か消化不良なものが残る。
 
復讐を遂げたこの娘は、その後どうなるのか。
入試時の事件も、審査するピアニスト当人にとってはかなり偶然だったのだが。
 
それでも、フランス映画らしい俳優の姿、しぐさ、やりとり、特になんともいえない色っぽさ、それは夫人にも娘にもあって、米英の映画にはないもの。
 
譜めくりという設定を考えたところが、この映画作りのポイントになっていることは確かだろう。
 
疑問を感じたのは、このクラスの入学試験でも、課題曲が技巧的には地味なものになっていること、音楽一家(それもピアノ)がこんなにテニスに興じていいのだろうか、ということ。
 
ピアニストは、交通事故にあって後にソロから退き、トリオをやるようになっている。弾くのがショスタコーヴィチというのが、この「フランス」映画のセンス(いい意味で)であり、選曲の見識か。

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ゴーギャン展

2009-09-03 22:35:31 | 美術
ゴーギャン展」(東京国立近代美術館、7月3日~9月23日)
 
ポール・ゴーギャン(1848-1903)をまとめて見たのは始めてかもしれない。こうして見ると、その経歴、生涯、タヒチ、といったものがかなり特異な画家であり、美術史上でも目立った存在であるというこれまでずっとあった先入観が薄れ、幾分落ち着いて見える。
こっちが歳をとったせいかもしれない。
ボストン美術館のものが中心だが、ブリヂストン、大原、ポーラなど日本の美術館からも集められている。
 
1882年から晩年までの作品が並ぶなか、1888年の「洗濯する女たち、アルル」あたりから画風が変わったというか確立したといっていいようだ。これは後姿が並んだいい絵だけれど、輪郭線が明確に出ているのは日本の影響だろうか。
 
タヒチの女たち、風俗、風景など、実はもうフランスの植民地になり欧化したことを作者が嘆いているころのもの、となれば、その絵も単にエキゾティズムというわけではなく、作者の心象を想像できるものだろう。
 
展覧会の呼び物はもちろん「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」(1897-98)(ボストン美術館)という大きな絵で、それまで何度も描いてきたいくつかのテーマが集め、組み合わされている。
深刻というより、作者の思いはともかく、作者の集大成をこちらは楽しめるとも言える。
 
中央の楽園のりんごを取る若者、人の目を逃れる若い男女、子どもが生まれる傍に犬、そして背中を向けた男と若い男女、そう一人の人間はたまたま生まれてくる、そしてまたりんごを取る。そして、大地に手をつきその力を感じる女、いまだ死の恐怖をなんとも出来ない老人、隅の白い鳥は何?
 
左側の男女の男の方の顔は、表情がない、顔色も血の気がない、それでいて作者がよく描いてきた顔である。これ以上、描いてしまえばおしまいという何かなのだろうか。これが人間だよ、といわれると怖い。

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