メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

長谷川利行展

2018-05-31 09:27:32 | 美術
長谷川利行展 七色の東京
2018年5月19日(土) - 7月8日(日) 府中市美術館
 
長谷川利行(1891-1940)は今は見る機会が多い画家である。先日の池袋モンパルナスも利行につながるもので、まとめて見たくなったと書いてしまったが、早くも実現した。それでもこれだけまとめて見るのは、2000年の没後60年展展(鎌倉近代美術館)以来である。
全貌を見ると、やはり街の風景というか景色というか、そういったものと、人物に二分される。特に前者は独特でありながら、抵抗なく入っていける。構成と色彩のバランスが、なんともいい。計算ずくには見えないが、そこは画家だからこちらには見えない才があるのだろう。
 
独学に近いらしく、また放浪の画家でもあり、入っていきやすいが俗ではない。
そのなかで、有名なところだが、カミヤバーやパウリスタなどバーやカフェを描いた一連の作品、また水泳場、夏の遊園地などは対象の選択も含め秀逸である。
 
府中市美術館ははじめてで、府中の森にあり、内外ともスペースがゆったりしていて、気持ちのいいところである。

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横山大観展(生誕150年)

2018-04-28 17:28:27 | 美術
生誕150年 横山大観展
東京国立近代美術館 2018年4月13日(金)- 5月27日(日)
2008年の没後50年回顧展が10年前、そのあと10年でまた大規模な回顧展を見ることができたのは大観の力ではあるが、長生きしたとうこともあるのだろう。これだけまとめて見るのは最後かもしれない。
 
横山大観(1868-1958)はその腕と題材・技法の引き出しの豊富さで、圧倒される一方、それで疲れることはなく、次々と期待しながらも静かに見ることができる。日本画の中でもフラットというか、観易いことは確かである。西洋絵画の立体性は表現において有効なところもあるが、見る者にその空間を認識し馴染むまでの時間を強いるところがある。もちろんそれは善し悪しだが、こうして大観を次から次への見ていると、やはりこのフラットというのは一つの利点、美点である。
 
一方、細かい技法や引き出しという点では、大観は菱田春草と世界を巡りその時の蓄積は大きかったらしいが、短時間に多くをものにする能力に長けていたようだ。
 
多くの作品は嘗て見たことがあるものだが、印象が随分違うものもあった。たとえば有名な「生々流転」、この全長40メートルの水墨画絵巻はかなり以前は、この館の常設展で全部を見る機会が何度もあったが、その後は全部一度にということは確かほとんどなかったように思う。これこんなに縦が長かったかな、そして表現は最後の渦巻はともかくこんなにダイナミックだったかな、と思った。もちろんそれぞれの時期で感銘は受けたのだが、もしかするとこちらの年齢のせいかもしれない。
 
大観は日本画の重鎮として、大戦時の立ち位置など、戦後いろいろ言われることもあったと想像するが、それでも「ある日の太平洋」(1952)は、よく描いたというしかない。この人のどの富士山もすてきだけれど、この力感、生命力には感動を覚える。
面白いのは「彗星」(1912年)、これは1910年に接近したハレー彗星を水墨画にしたもので、こういう風に見えたんだろうなと想像すると楽しくなる。感謝である。
 
また、ナイヤガラ瀑布と万里の長城を並べて描いた大きな屏風も、大胆というか、遊び心も感じられる。ところで、大観は明治元年の生まれ、夏目漱石はその前年の生まれ(漱石の年齢は明治と同じと何故か覚えている)、そう考えると時代感覚として興味深い。二人の間にはある程度交流があったようだ。

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池袋モンパルナスとニシムイ美術村

2018-03-31 10:00:36 | 美術
東京⇆沖縄 池袋モンパルナスとニシムイ美術村
板橋区立美術館 2018年2月24日(土)― 4月15日(日)
 
戦前の池袋と落合、戦後の沖縄ニシムイ村にあったアトリエ村、こういう軸で、そこに集まった、そこで交流した画家たちの作品を集めたものである。6年前の池袋モンパルナス展、また9年前の新人画会展をこの館で見ているが、多くはそれに重なる画家たちである。
 
こうしてしつこく昭和の洋画家たちを扱ってくれると、イメージを刺激され、また思い出すことも多く、理解と愛着が進むのはありがたい(このあと1年近く改装で休館になるそうだが、また時々これに続く企画をやってほしい)。
 
そして今回は沖縄ニシムイ村も加わった。沖縄では名渡山愛順の絵は見た記憶があるが、他は多分初めてで、戦後の沖縄の厳しい環境が直接、間接に反映しているものの、あくまで絵として高いレベルを目指していることは受け取ることができる。
 
なじみの、松本竣介、長谷川利行、麻生三郎、靉光、寺田政明、鳥海青児、野田英夫、野見山暁治、古沢岩美、吉井忠など、2~3点ずつであっても、こうして時々見ることができるのはうれしい。なかでも長谷川利行は、またまとめて見たくなった。

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ゴーギャン 「ネヴァーモア」

2018-02-27 20:54:51 | 美術
今日(2月27日)の日本経済新聞朝刊文化欄に音楽評論家林田直樹が連載している「音楽と響き合う美十選」9回目で取り上げられているのは、ゴーギャンの「ネヴァーモア」である。
 
見た記憶のない絵だが、載っている写真を見ると裸の女性が横たわっていて、少しおびえている。その後ろに奇妙な絵柄の鳥がいて、絵の題名からおそらくエドガー・アラン・ポーの「大鴉」と関係があるだろうと想像される。
 
ゴーギャンはこの関係を否定したそうだが、英国出身の作曲家ディーリアスが購入していたといい、それは意識していたらしいという。
 
それはそうだろう。nevermoreと間にブランクなしに使われることは普通なくて、これは「大鴉」なんだろう。ネヴァーモアはこの鳥が発する唯一の人間が理解できる言葉で、そう考えるとこの絵から多少イメージが広がってくるかもしれない。もっとも長編で難解と言われる「大鴉」だから、私としては確かなことは言えない。
 
nevermore、実はこのところちょっと縁があって、同名の映画でも有名な「酒とバラの日々」のジョニー・マーサー作の歌詞に謎のような形で出てくる。時々歌っていたが、昨年はジャズ発表会でピアノを弾いた。
 
大画家ゴーギャンには失礼だが、このジョニー・マーサーの歌詞の方がネヴァーモアのとらえ方としては深いように思うのだが。
 
ネヴァーモアと大鴉については、前にも書いたように吉増剛造の自伝で初めて知ったわけで、こういう風にいくつもつながっていくのは面白いものである。

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熊谷守一 展

2017-12-12 21:28:57 | 美術
没後40年 熊谷守一 生きるよろこび
2017年12月1日(金)- 2018年3月21日(水)
東京国立近代美術館
 
熊谷守一(1880-1977)の代表的な作品はいくつかの機会に見ているが、こうしてまとめて見るのははじめてである。この人の特徴としてあげられる太い輪郭線と塗りつぶしたような、色彩の組み合わせ方としては貼り絵のような構成、それは70歳を過ぎるあたりからのもので、若いころからそこまでのもの、そして自宅にこもりきった晩年の傑作群を、存分に見ることができる。
 
こうしてみると、子供を亡くしたときの「ヤキバノカエリ」(1956)も、以前見た時より輪郭線、色彩の選択、三人の身体など、より考え抜かれ工夫された絵として受け取ることができた。
  。
昼間長い時間をそれも場合によっては何年もかけて熊谷流に観察し、実際に描くのは夜で、彼流の色彩理論で描いたそうで、それはなるほどここまで煮詰めた、これ以上変えようがないという色の美しさとバランスに結晶している。
 
またいくつか経過する時間が反映されているものもあって(たとえば「稚魚」)、これも楽しい。もう一つ極め付きのようなものをあげれば「雨滴」(1961)!
 
97歳の生涯、それは東京美術学校では青木繁と同期、そしてここに長谷川利行(1891-1940)が描いた「熊谷守一像」(よく描けている)が展示されていることなど、美術の世界を長く存分に生きたともいえる。
 
なお、これらの作品、童心の世界ではなく、子供に見せるといいという絵でもない。




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