ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」
指揮:マンフレート・ほーネック、演出:クリストフ・ヴァルツ
エリック・カトラー(フロレスタン)、ニコール・シュヴァリエ(レオノーラ/フィデリオ)、カーロイ・セメレーティ(大臣ドン・フェルナンド)、カーボル・プレッツ(監獄長ドン・ピッツァロ)、クリストフ・フィシェッサー(看守ロッコ)、メリッサ・プティ(マルツェリーネ)、ベンジャミン・ヒューレット(ヤキーノ)
ウィーン交響楽団、アルノルト・シェーンベルク合唱団
2020年3月18日、20日 アン・デア・ウィーン劇場 2020年12月NHK BSP
フィデリオをしっかり観たのは2015年のスカラ座放送録画が初めて、今回はそれ以来である。
この劇場は作品が初演されたところで、生誕250年を記念しての公演として企画されたが、コロナの影響で無観客上演となった。
演出は、手前から曲線を描きながら舞台奥に上がっていく階段を舞台とするものとなっている。牢獄の中にも外にも動作と照明でなりうるわけで、このドラマというより理想というかメッセージを伝える作品には、向いた演出とも言える。
予定調和的なところは、聴く方としては、これはオペラというよりオラトリオというか、そういうものとして割り切って聴けばいいのだろう。
とはいえ、今気がついたのは、第一幕で、看守ロッコの娘マルツェリーネがそれまでの相手を振り切ってフィデリオ(男装したレオノーラ)に想いを寄せて歌を続けるところで、途中までレオノーラの夫フロレスタンは出てこないわけだから、このマルツェリーネのフィデリオに対する思いのよせ方、その歌は、聴いているとレオノーラのフロレスタンへの思いを代弁する仕掛けのようでもあって、面白く聴いた。マルツェリーネのメリッサ・プティの歌唱、可愛くしっとり聴かせた。
後半になるとレオノーラ、フロレスタン、ドン・ピッツァロ、ドン・フェルナンド、いずれもしっかりしたいい歌唱だった。ロッコは悪くなかったが、迷いの面はあまり出てなかったように思う。
無観客ということは、このちょっと変わった歌劇では、客をうならせるという感じにならない(?)からか、むしろプラスになったと思う。それを感じたのはまずオーケストラで、最初の序曲から、こまかい弾むようなリズムが軽やかで、そのあと進行していく全体でなにかを訴えるという感じにうまくなっていったように聴いた。
それにしても「フィデリオ」はその性格上、上演されればなんらかの社会的な政治的な意味を結果として感じさせてしまうところがある。1967年、日生劇場の杮落しとしてベルリンドイツオペラが来日、その第一日が「フィデリオ」だったが、それはこの時代、西ベルリンから来た、ということで当然ある意味を持たせられた。
昨年だったらどうなんだろう。ちょうど半ば、囚人たちが久しぶりに外気にふれ「なんという気持ちのいい、、、」と歌うが、コロナ? いくつかのどこかの国々? という連想は出てくる。
指揮:マンフレート・ほーネック、演出:クリストフ・ヴァルツ
エリック・カトラー(フロレスタン)、ニコール・シュヴァリエ(レオノーラ/フィデリオ)、カーロイ・セメレーティ(大臣ドン・フェルナンド)、カーボル・プレッツ(監獄長ドン・ピッツァロ)、クリストフ・フィシェッサー(看守ロッコ)、メリッサ・プティ(マルツェリーネ)、ベンジャミン・ヒューレット(ヤキーノ)
ウィーン交響楽団、アルノルト・シェーンベルク合唱団
2020年3月18日、20日 アン・デア・ウィーン劇場 2020年12月NHK BSP
フィデリオをしっかり観たのは2015年のスカラ座放送録画が初めて、今回はそれ以来である。
この劇場は作品が初演されたところで、生誕250年を記念しての公演として企画されたが、コロナの影響で無観客上演となった。
演出は、手前から曲線を描きながら舞台奥に上がっていく階段を舞台とするものとなっている。牢獄の中にも外にも動作と照明でなりうるわけで、このドラマというより理想というかメッセージを伝える作品には、向いた演出とも言える。
予定調和的なところは、聴く方としては、これはオペラというよりオラトリオというか、そういうものとして割り切って聴けばいいのだろう。
とはいえ、今気がついたのは、第一幕で、看守ロッコの娘マルツェリーネがそれまでの相手を振り切ってフィデリオ(男装したレオノーラ)に想いを寄せて歌を続けるところで、途中までレオノーラの夫フロレスタンは出てこないわけだから、このマルツェリーネのフィデリオに対する思いのよせ方、その歌は、聴いているとレオノーラのフロレスタンへの思いを代弁する仕掛けのようでもあって、面白く聴いた。マルツェリーネのメリッサ・プティの歌唱、可愛くしっとり聴かせた。
後半になるとレオノーラ、フロレスタン、ドン・ピッツァロ、ドン・フェルナンド、いずれもしっかりしたいい歌唱だった。ロッコは悪くなかったが、迷いの面はあまり出てなかったように思う。
無観客ということは、このちょっと変わった歌劇では、客をうならせるという感じにならない(?)からか、むしろプラスになったと思う。それを感じたのはまずオーケストラで、最初の序曲から、こまかい弾むようなリズムが軽やかで、そのあと進行していく全体でなにかを訴えるという感じにうまくなっていったように聴いた。
それにしても「フィデリオ」はその性格上、上演されればなんらかの社会的な政治的な意味を結果として感じさせてしまうところがある。1967年、日生劇場の杮落しとしてベルリンドイツオペラが来日、その第一日が「フィデリオ」だったが、それはこの時代、西ベルリンから来た、ということで当然ある意味を持たせられた。
昨年だったらどうなんだろう。ちょうど半ば、囚人たちが久しぶりに外気にふれ「なんという気持ちのいい、、、」と歌うが、コロナ? いくつかのどこかの国々? という連想は出てくる。