メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ベートーヴェン「フィデリオ」

2021-01-28 14:38:58 | 音楽
ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」
指揮:マンフレート・ほーネック、演出:クリストフ・ヴァルツ
エリック・カトラー(フロレスタン)、ニコール・シュヴァリエ(レオノーラ/フィデリオ)、カーロイ・セメレーティ(大臣ドン・フェルナンド)、カーボル・プレッツ(監獄長ドン・ピッツァロ)、クリストフ・フィシェッサー(看守ロッコ)、メリッサ・プティ(マルツェリーネ)、ベンジャミン・ヒューレット(ヤキーノ)
ウィーン交響楽団、アルノルト・シェーンベルク合唱団
2020年3月18日、20日 アン・デア・ウィーン劇場 2020年12月NHK BSP
 
フィデリオをしっかり観たのは2015年のスカラ座放送録画が初めて、今回はそれ以来である。
 
この劇場は作品が初演されたところで、生誕250年を記念しての公演として企画されたが、コロナの影響で無観客上演となった。
 
演出は、手前から曲線を描きながら舞台奥に上がっていく階段を舞台とするものとなっている。牢獄の中にも外にも動作と照明でなりうるわけで、このドラマというより理想というかメッセージを伝える作品には、向いた演出とも言える。
 
予定調和的なところは、聴く方としては、これはオペラというよりオラトリオというか、そういうものとして割り切って聴けばいいのだろう。
 
とはいえ、今気がついたのは、第一幕で、看守ロッコの娘マルツェリーネがそれまでの相手を振り切ってフィデリオ(男装したレオノーラ)に想いを寄せて歌を続けるところで、途中までレオノーラの夫フロレスタンは出てこないわけだから、このマルツェリーネのフィデリオに対する思いのよせ方、その歌は、聴いているとレオノーラのフロレスタンへの思いを代弁する仕掛けのようでもあって、面白く聴いた。マルツェリーネのメリッサ・プティの歌唱、可愛くしっとり聴かせた。
 
後半になるとレオノーラ、フロレスタン、ドン・ピッツァロ、ドン・フェルナンド、いずれもしっかりしたいい歌唱だった。ロッコは悪くなかったが、迷いの面はあまり出てなかったように思う。
 
無観客ということは、このちょっと変わった歌劇では、客をうならせるという感じにならない(?)からか、むしろプラスになったと思う。それを感じたのはまずオーケストラで、最初の序曲から、こまかい弾むようなリズムが軽やかで、そのあと進行していく全体でなにかを訴えるという感じにうまくなっていったように聴いた。
 
それにしても「フィデリオ」はその性格上、上演されればなんらかの社会的な政治的な意味を結果として感じさせてしまうところがある。1967年、日生劇場の杮落しとしてベルリンドイツオペラが来日、その第一日が「フィデリオ」だったが、それはこの時代、西ベルリンから来た、ということで当然ある意味を持たせられた。
昨年だったらどうなんだろう。ちょうど半ば、囚人たちが久しぶりに外気にふれ「なんという気持ちのいい、、、」と歌うが、コロナ? いくつかのどこかの国々? という連想は出てくる。


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小説伊勢物語 業平(高樹のぶ子)

2021-01-24 14:58:57 | 本と雑誌
小説伊勢物語 業平:高樹のぶ子 著 日本経済新聞出版
 
日経新聞に連載されていたのは覚えていて、本になったら読んでみてもいいと思っていた。評判もよく、このところ日本古典の新訳に親しみ、「方丈記」、「堤中納言物語」と和歌がよく出てくるものが続き、しかも後者は恋物語ということから、自然に本書ということになった。
 
これは伊勢物語の現代語訳ではなく、小説化したもので、作者が推理したり想像したりしたものが入っているが、結果としてより在原業平の生涯が、そして業平が読んだ歌が、いきいきとしてくる。

和歌のつらなりで話が展開していくが、歌はもちろん原文どおり、それに解説相当の文章がついて、そのまま話が続いていくから、歌をあじわいながら読み進んでいくことができる。
 
在原業平(825-880)は皇族が故あって名字を持つ傍系の出で、少年のころから歌の才があり、多くの女性との間に交情があった。
物語に語られているように、この時代特に業平に関しては、その交わりは歌を介して展開するもので、男女双方とも優しさ、思いやり(忖度といってもいいが)、そして思いのほかの大胆さがあって、あとの時代に比べるとより自由であり、人間的といってもよいように思われる。
 
多くの女性の中で、作者によれば男としての業平にとってのファム・ファタルは藤原高子(たかいこ)、人間として長く寄り添い続けたのは斎宮の恬子(やすこ)で、この二人との間の描き方は、交わされたいくつもの歌とあいまって深く感ずるところがあった。
 
そしてならぬ恋の相手であった高子は宮中で歌のサロン振興に務めたようで、現在まで続く和歌の流れにとって業平とともに功が大きいといえるだろう。
 
この時代、もちろん男性にとって大切なのは漢学、漢詩であって、かの菅原道真も業平より一世代あとである。いかに業平がある意味で先をいっていたか、ということだろう。
 
つひに行く道とはかねて聞きしかど
   昨日今日とは思はざりしを
              (在原業平)
 
まだ健康ではあるが、このご時勢では身に染みる。




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バンド・ワゴン

2021-01-13 16:43:47 | 映画
バンド・ワゴン( The Band Wagon、1953米、112分)
監督:ヴィンセント・ミネリ 音楽:アドルフ・ドイッチ、作詞:ハワード・ディーツ、作曲:アーサー・シュワルツ
フレッド・アステア(トニー・ハンター)、シド・チャリシー(ガブリエル・ジェラード)、オスカー・レヴァント(レスター・マートン)、ナネット・ファブレー(リリー・マートン)、ジャック・ブキャナン(ジェフリー・コルドバ)

ミュージカル映画として、またフレッド・アステアの名演としてあまりにも有名だが、そのさわりを見たことは記憶していても、全編通して観たのは初めてだと思う。こういうことはよくある。

かってのスターでrハンター(アステア)が知り合いのマートン夫婦の手引きで再起を図る。マートンはクラシックバレエもこなすジェラード、そして売れっ子の演出家コルドバと組むことを勧め、いろいろあって新作「バンド・ワゴン」を作り上げ、上演するが失敗、それでも再度練り直してツアーに出かけ、大ヒットに至る。この種の主人公、演じるスターに焦点を当てたものとしては定番といってもいいよくあるストーリー展開である。
 
これが成功したのはおそらくヴィンセント・ミネリによる、アステアの魅力とストーリーがある映画では省略した方がいいアステアの一面をよく見通した演出によるものだろう。
 
とにかくテンポがよく、映画は快調に進行していく。退屈している暇はなく、次から次へとアステアが動きまわり踊りまわる。アステアという人、間を持たせる演技をして面白い人ではないので、ここは他の映画よりこの人をたっぷり楽しむことができる。
それはシド・チャリシーもそうで、見る方はとにかく彼女の素晴らしいダンスを観たいわけである。

二人が互いを好きになってきたのではないか、ということを観客に思わせはするが、あまりはっきりとは描かず、そのまま終わるというところも、すっきりしていていい。
 
それにしてもこの映画のチャリシー、涼しげな顔立ち、抜群なスタイル特にダンスとの相性、ミュージカル映画史上おそらく最高といえるだろう。彼女、このあとも長いこと続けて活躍したらしいが、どちらかというと日本人好みかもしれない。この映画でカメオ出演したエヴァ・ガードナーと比べると特にそうで、宝塚の娘役トップといったところだろうか。
 
その脚に高額な保険がかかっていたそうだが、それをきくとアンジー・ディキンソン(「リオ・ブラボー」(1959))を思い出す。タイプは違うけれど彼女も派手ではなかった。
 
音楽は「ザッツ・エンターテイメント」、「あなたと夜と音楽と」などすでになじみ深いものが多く、作曲はアーサー・シュワルツ。後者は歌ったことがある。手本にしたのはシナトラで、もう少し後に出た歌と思っていた。

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サン=サーンス 「サムソンとデリラ」

2021-01-11 17:50:00 | 音楽
サン=サーンス:歌劇「サムソンとデリラ」
指揮:マーク・エルダー、演出:ダルコ・レズニヤック、フランス語
エリーナ・ガランチャ(デリラ)、ロベルト・アラーニャ(サムソン)、ロラン・ナウリ
2018年10月20日 ニューヨーク・メトロポリタン 2019年12月 WOWOW
 
有名なオペラだが初めて見ることができた。サン=サーンスに対する漠然としたイメージからするとかなり骨太で豪壮な音楽である。もっともオルガン付きの交響曲あたりと通じるところはあるようだし、すぐに却下したとはいえ最初はオラトリオという構想もあったらしいから、作曲の源泉にはそういう感じがあったのかもしれない。
 
旧約聖書時代のガザ、ペリシテ人に支配されていたヘブライ人のサムソンが反乱を起こす。ペリシテ人のデリラはその美貌でサムソンを誘惑し、その力の秘密を聴きだそうとする。
第2幕の愛の二重唱が見せ場、二人はお互い政治的な策謀を秘めて愛し合うが、同時に自らも相手もどこまで?という疑問を抱きながらの場面。
 
幕間のインタビューでガランチャが語っているようにここはメゾ・ソプラノの国歌ともいうべきものらしい。メゾは男役のズボンも多いから今回の衣装はうれしいともいう。
 
ガランチャはその美貌と役にぴったりの体のスタイル、そして強さのある官能的な歌唱、たっぷり見せ、聴かせてくれる。
10年近く前に彼女があのセクシーな「カルメン」を演じた時、今回と同様に翻弄される役(ホセ)はアラーニャだった。彼も声の強さが感じられるようになったけれども、風貌のバランスからするともう少し若い人でもよかったように思う。
 
エルダーの指揮は歌唱によく寄り添い、歌い手をうまくリードしていた。
 
舞台、衣装はかなり現代の要素が入っているが、レズニヤックの演出はむしろこれらもうまく使って、本質的な筋に観るものを集中させることに成功していると思う。
 
終幕は何かよくわからないところもあるのだが、捕らえられもうだめか思われたサムソンの神への訴えで逆転したか?というところで終わる。どうもこういうのを観ると、19世紀西欧、やはりヘブライ人の側に立たないといけなかったのか、という思ってしまう。


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七人の無頼漢

2021-01-05 17:47:26 | 映画
七人の無頼漢 ( Seven Men From Now、1956米、78分)
監督:バッド・ベティカー、脚本:バート・ケネディ
ランドルフ・スコット(ストライド)、ウォルター・リード(ジョン)、ゲイル・ラッセル(アニー)、リー・マーヴィン(マスターズ)
 
このところ放送される西部劇映画の中に、ランドルフ・スコットが出ているものがかなりあるのはいい。
七人の無頼漢が銀行を襲い、それに巻き込まれて妻を喪った元保安官のストライドが、泥沼でスタックしている幌馬車に出会い、助ける。乗っていた夫婦のジョンとアニーの目的地への経路が危険ということで付き添っていくことにする。その途中でまた嘗て逮捕したことがあるマスターズとその相棒に出会い、この二人も同行することになる。
 
このあたりの物語の背景は実際に描かれるわけではなく、彼らのやりとりから少しずつわかってくる。これが観ているものに次第にスリルとサスペンスを感じさせるうまい脚本になっている。
 
こうして静かに進行し、七人を少しずつしとめていくプロセスも、華麗なガンプレイがそう続くわけではないが、興味をつないでいく。
 
幌馬車夫婦の妻は魅力があって、彼女と男たちがどうなのか、どうなるのかもうまく見せているし、なぜあそこであの幌馬車?というのも、実は伏線だったということが、後半わかってくる。
 
このように映像で見せるアクションより、台詞で少しづつ筋を踏んでいくということになると、スコットの静かなる男、地味で繊細な表情はまさにぴったりである。見る人によってはあまりに静かすぎて、というかもしれない。
 
アニーにはマスターズが最初から色目を使うが、実は彼女しだいにストライドを好きになっていく。ここはゲイル・ラッセルの男たちの中での目立ち方で分かりやすい。そしてマスターズのリー・マーヴィン、この人がこの役だと最初からその後を想像してしまうけれど、鋭さと迫力はあり、うまくはまっている。
 
野外のロケ、カラーの魅力たっぷりでだし、上述のような背景説明のしかけで78分という短い尺で充分な演出、確かに監督バッド・ベティカーの名作といわれるだけのことはある。

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