メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

絵本読み聞かせ(2023年12月 クリスマス会)

2023-12-26 09:46:17 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2023年12月
12月は例年クリスマス会の一部で、サンタクロース登場の前座
 
さんかくサンタ(tupera tupera)
サンタさんのおとしもの(三浦太郎)
てぶくろ(ウクライナ民話)(エウゲニー・M・ラチョフ 、うちだりさこ 訳)
(おまけ)
しろくまちゃんのほっとけーき(わかやま けん)
 
いつもとちがって1歳から6歳まで全員一同に集まったところでやるので、ものによってはその年齢帯にフィットしないものもある。年長組はちょっと幼稚なもの(?)でもつきあってくれるが、年少組などなにかそれらしきものをやってるという受け取りかたでもやむをえない。うまく楽しんでくれていてたいしたもの、こっちも感謝である。

さんかくサンタがプレゼントをくばる、ということからはじめ、サンタさんがおとしたてぶくろをひろったおんなのこがサンタさんをさがしてとどける。さがすところのゆきがふるまちの絵がすばらしい。
そしてこの季節の定番「てぶくろ」、これで三題噺というわけではないが、セットにしてみた。
たいていサンタは少しおくれるので、みんなおなかが空いたかなとおまけの絵本。
 
上記三浦太郎の絵本は比較的あたらしいもので今回はじめて使った。おおぜいの前でやるには少し小さく、後ろの方の子たちによく見えたかどうか。大判を出してくれるといい。
三浦太郎のものは小さい版が多く、五味太郎のものは大き目、ただそのなかの人や動物は小さい。難しいものである。
 
ところで、はじめて参加した年には私がサンタという案もでたけれど毎月来ていて顔がわれているからやはりよしたほうがいいだろう、ということで普段は来園しない方に頼んだそうだ。


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キュビスム展

2023-12-15 10:12:12 | 美術
パリ ポンピドゥーセンター
キュビスム展 美の革命
国立西洋美術館 2024年1月28日(日)まで
 
キュビスムときいて、なんとなくのイメージはあるけれどそうまとめて見たことはなかった。セザンヌが静物画で複数の対象を別の視点から描いた「一枚の」絵からブラック、ピカソなどがそれぞれ意欲的な活動をはじめた、というくらいは知っていて、特にピカソの何枚かは説得力もあった。
 
今回こうして盛沢山の展示を見ると、それがだんだん一つの手法として落ち着いてきて、コラージュのようなものも増えてくる、その中には優れたものもあって、今回は楽しめるものとなった。
 
ピカソ、ブラックのほかドローネー、シャガール、デュシャンなどやはりポンピドゥーセンターの全面的協力となるとかなりのもの。
 
解説によると(私の受け取りが正しければ)第一次世界大戦あたりから、いろんな方向に分散し始め、ピカソなども新古典主義というかそんな面も出てきたらしい。そのあたり、音楽でストラヴィンスキーなど一時そっちにいったこともあったことと呼応しているのだろうか。
 
それで思い出したのだが、ほぼ同じ時期にドイツ中心に「表現派」があって、私にはどちらかというとそっちの方が親しみやすいというかわかりやすいからか、キュビスムにはそういうものがあるという認識にとどまっていたように思う。クレーなどは表現派からキュビスムの間ではないけれど、見る側からすると橋渡しになっているかもしれない。
1971年、ところも同じ西洋美術館で「ドイツ表現派展」を見ていた。
 
ドローネーの「パリ市」、人気があるのはわかる、大きく見栄えがして。
意外なみどころはかなりの数の彫刻で、これはあとに残った。
 
一つ、これ全体に絵画自体の著作権は切れているのだろうが、写真撮影が許可されている。それにしてもスマートフォンでほとんどすべて作品を撮影する人がかなりいるがこれは迷惑。いろんな距離に入ってくるし、シャッター音もそう小さくはない。これなら禁止したほうがいい。





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TAR / ター

2023-12-13 13:53:32 | 映画
TAR / ター
( Tar、 2022米、158分)
監督:トッド・フィールド
ケイト・ブランシェット(リディア・ター)、ノエミ・メルラン(フランチェスカ)、ニーナ・ホス(シャロン)、ゾフィー・カウアー(オルガ)、ジュリアン・グローヴァー(アンドリュー・デイヴィス)
 
かなり評判になっており好奇心と期待をもって見たが、がっかりだった。音楽に万能的な才能があり、なんとあのベルリンフィルの常任指揮者になっているターを、さまざまな音楽的な弁舌を表出しながら演じ切ったブランシェットは見事で、よくもここまで、他の人にはできないだろうとおもわせるが、要はそれだけである。
 
主人公ターはレズビアンを公言、女性の奏者をパートナーとして生活していて幼女がいる。また若い音楽家対象のアカデミーの仕事、副指揮者の交代検討、そしてレコード会社(ドイツグラムフォン)と単一オーケストラでは初めてのマーラー交響曲全集の最後として第5番にとりかかっている。
 
それがいろんなところからほころびが出てきて、これは観ているとどっちが真実かわからないところもあるのだが、セクハラ、パワハラなどSNSでいろいろ出てくる。周囲の妬みと、ターの独断的な性向などから、結局最後は、というわけになるが、そこからなんとか別の(私の世代にはちょっとわかりにくい)ところに着地するというのが救いといえば救いなのかもしれない。
 
2時間半の最初の30分くらい、ターへのインタビューが続き、それは(変ないい方だが)私のようにかなりクラシックの演奏・録音についてみてきたものにとっては理解できる(ほぼ正確だし)が、これわからなくて退屈な人もいるだろう。
 
あとこの数十年のあいだに、ポジションの交代、政治との関係、セクハラ・パワハラ疑惑の問題が出てきているのを、まだ生きている人の名前も出しているのは、いかがだろうか。ここで出すことではないと考える。
一方でバーンスタインをやたら持ち上げているが、この人にも私生活などかなりひどい面もあって、脚本の言説がなにかユダヤ上位の感じに見えることとともに、かたよっているように見える。

また本筋とは関係ないが、ベルリンフィルとマーラーの関係でいうと、全集というのは途方もなく無理な話だろう。いま録音は経費の点でライブからもってくることが多いから、一人の常任の期間に全部というのは無理な話である。合唱団が入るのも多いし。
 
ちなみにベルリンフィルがマーラーに取り組んだのは遅く、よく演奏するようになったのはこの30年くらいだろう。カラヤンが慎重すぎたのもあるだろうが(もっとも彼のいくつかの録音は素晴らしい)、おそらくきっかけは1963年にジョン・バルビローリが第9番を指揮て大評判となり、団員のリクエストで録音が実現したことだろう(このエピソードくらいは入れてほしかった)。
この映画では最後に残っていたのが第5だが、これは「ベニスに死す」でポピュラーになっていることをうけてかもしれないが、第5はいい曲だけれど点睛にというのはちょっと。
 
それにしても、いまはベルリンフィルもウィーンフィルも女性団員が多く活躍していて何の不思議もないし、女性の指揮者も多く大きな舞台で起用されている。
ただ、ベルリンもウィーンも正規団員として女性が加入するようになってから40年経っただろうか。今でも覚えているのはザビーネ・マイヤーという優れたクラリネット奏者をカラヤンがベルリンに迎えようとして楽団と対立、もめにもめたあげくあのカラヤンがあきらめたということ。
 
この映画は失敗作だが、今後オーケストラの世界は題材として面白いだろう(今までなかったわけではないが)。


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