メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

走れメロス (太宰 治)

2009-12-30 21:32:00 | 本と雑誌
「走れメロス」 (太宰 治)(新潮文庫)
短編集で、ダス・ゲマイネ、満願、富嶽百景、女生徒、駆込み訴え、走れメロス、東京八景、帰去来、故郷、が収録されている。
   
ダス・ゲマイネ以外は太宰治(1909-1948)の活動の中で中期(1938-1945)の作品だそうだ。
まさに戦中だが、語り口、文章、ほんとうにうまい。こんなに思い切った表現、と受け取って、そのあとくどくどと補足の説明が出てこない。ここがいいのである。人気があるのももっともである。
   
富嶽百景も東京八景も、おそらく作家の創作活動の転換期を書いていると思われるが、いわゆる私小説の変な自意識はない。
    
「女生徒」も、ずいぶんあらためて読んでみると、よくもこんなと、女性に受けるのは当然だろう。
 
さて、「走れメロス」は確かに教科書にもなっていて、いくつかの箇所はいまだに鮮明に記憶している。
だが、こうして読んでみると、そのプロットには無理があって、暴君たる王にとって、メロスとの約束事は、結果がどちらに転んでも、彼に益があるとは思えない。
 
そういう強引なところはあるのだが、おそらく太宰はここで、磨かれた達者な語り口というものを完成したかったのではないだろうか。それが教科書にも使われ、多くの若い人に朗読されてきた。作家は例えば「五重塔」(幸田露伴)を目指しただろうか。
そのレベルには達していないけれども。

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野口久光の世界(香りたつフランス映画ポスター)展

2009-12-22 21:51:01 | 美術

生誕100年記念グラフィックデザイナー野口久光の世界 香りたつフランス映画ポスター」(ニューオータニ美術館、2009年11月28日~12月27日)
 
野口久光(1909-1994)は、先ずはジャズ評論家であり、しかも映画にも詳しい、と若い頃から思っていたのだが、実は東京美術学校工芸部図案化卒のグラフィックデザイナーであり、東和で、戦後しばらくまで主としてフランス映画のポスターを描いていた、とは知らなかった。
 
日本公開が1934年のものから1960年公開の「大人は判ってくれない」(フランソワ・トリュフォー)まで、本国のポスター原画をもとに日本向けに描いたものであるにしても、俳優たちは、そして映画は、オリジナルの画像よりチャーミングなのではないだろうか。
 
とても忙しい仕事だったようだけれど、こういう環境でこういう仕事が出来た野口は幸せだったのではないか。
 
映画は、どちらかというと、リアルタイムで新しいものを見るものだ、と思ってはいるけれど、こうしてみると懐かしいものである。
ジェラール・フィリップ、フランソワーズ・アルヌールなど、そして「旅情」。
 
実際にポスターとして記憶あるのは、「可愛い悪魔」(ブリジット・バルドオ)、「お嬢さんお手やわらかに」(アラン・ドロン、ミレーヌ・ドモンジョ、ジャクリーヌ・ササール、パスカル・プティ)あたり。特に後者では、女優はみななんとも可愛く、コケティッシュ。
 
フランソワ・トリュフォーが気に入って、自分の部屋に飾り、著書の表紙にもなっている「大人は判ってくれない」は、残念ながら記憶にない。ロード・ショーの時は見てなくて、後年フィルム・センターで上映された時に始めた見たけれども、ポスターの記憶はない。


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隈 研吾展

2009-12-18 21:57:31 | 美術
「隈 研吾展」(Kengo Kuma Studies Organic)
(ギャラリー・間、2009年10月15日~12月19日)
新装の根津美術館も手がけた隈研吾の活動を、コンセプト検討、設計の過程で作られた模型で見せるもの。
 
それほど大きくない二つのフロアに、グラナダ・パフォーミング・アーツ・センターとブザンソン芸術文化センターの大きな模型、多くの小さい模型が展示されていて、隈が提起している「有機的」、あるいは自然と付き合って結果として「負ける」という独特の表現がなされる建築とはどういうものか、が少しずつわかってくる。建造物というよりランドスケープ(景観)に近いものであろう。
 
それは目に入れて、他のものに移り、また戻ってきてという繰り返しをしていると、そうなってくるので、実際に建築物の中にいてだんだんその印象が定まっていくプロセスに似ているかもしれない。
 
「グラナダ」はコンサートホールでもあるが、どんな音になるのか、実際に行って聴いてみたい。その姿は高価なことでも知られたJBLのスピーカー「パラゴン」を思い出させた。
ブザンソンのセンター、いくらフランスの田舎でも田舎っぽいと思わせるけれども、実際に出来あがったらどんなになるのか。これを採用したフランスという国も大したものである。その傾向はこれまであったけれども。
 
平日の午前中、若い人たちは建築、デザイン系? 外国人も多く、多くの人たちが隈に関心をもっていることの証明だろう。

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ラグジュアリー:ファッションの欲望

2009-12-11 22:55:36 | 美術
ラグジュアリー:ファッションの欲望」 (東京都現代美術館、10月31日~1月17日)
 
着る人の欲望が「贅沢」つまりラグジュアリー、というコンセプトで、京都服飾文化研究財団(KCI) のコレクション、アーカイブを展示したものである。
 
18世紀、フランス宮廷で着られたものから始まり、20世紀になり、シャネル、バレンシアガ、カルダン、サン・ローラン、クレージュそして現代へと、衣裳がその時代の体格とアクセサリーをともなって、ガラスケースでなく、360度直に見える形で展示されている。
 
18世紀のものも驚くほど良い保存状態であり、その見事な生地、裁縫、そしてこういう時代にも対応できる主催者京都服飾文化研究財団が開発したマネキンを使い、効果的な展示が実現した。
 
その中で、1920~30年あたり、シャネルを中心に作り出された、今も生きている形態、組み合わせが、なるほどと思わせる。
ここに集められているものたちは、一見してその優れた形に見惚れてしまうが、中でもアフリカの影響をうけたカルダン、サン・ローランのミニ丈ドレスのシェイプは見事(中でもカルダン)。
 
そして宝飾のレベルにあるヒール(靴の)が数多く並べられているのは驚きだ。
 
このミュージアムに常設展があったとはうかつにも知らなかったが、のぞいてみたら、靉光「静物(雉)」、香月泰男、麻生三郎、鶴岡政男、岡本太郎、などなかなか見ごたえがある。
 
また、入って長い回廊正面、常設展入口にある井上雄彦 エントランス・スペース・プロジェクトは宮本武蔵などを思わせる巨大な墨絵「バガボンド」。このひと、名前は聞いたことがあるけれど、代表作「スラムダンク」(マンガ)も見たことないので、実質これが始めて見る作品。
館の一角でその製作風景をビデオで流していた。

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セバスチャン・サルガド アフリカ (写真展)

2009-12-08 21:43:32 | 美術

セバスチャン・サルガド アフリカ ~生きとし生けるものの未来へ~ 」
東京都写真美術館 10月24日-12月13日
 
セバスチャン・サルガド(1944- )はブラジル生まれパリ在住、もともとはカメラマンではなかったそうだ。
今回の多くはアフリカの、それも民族対立などの戦乱で厳しい生活を強いられた人々、動植物、自然環境などの姿を、ここしかないと選び取ったタイミングと構図で、美しい作品として提示している。
 
アフリカの悲惨を直接的に訴える写真は多く、その存在意義はある。ただ、多くの写真を、継続して見る事が、外の世界の人たちにとってあまり容易でないことも確かである。そのことを責めることはできるが、それで何かが動くかどうか。そういうことも考えなくていいことではない。
 
この一瞬を待っていたその時間の大きさ、そしてその間における美的とはいえない光景の数々、そういうものの存在を感じさせるものであることは確かだ。
そして、このような環境でも生きている人たち、その微笑み、生きる喜び、それらの存在は、こういう環境だからこそ貴重である。
 
美しいがゆえに、アフリカというところのそして人間の力強さ、尊厳を感じさせる写真である。

題材のなかでは、ルワンダの動乱が多い。これは映画「ホテル・ルワンダ(2004) 」を思いこさせる。


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