メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

絵本読み聞かせ(2023年6月)

2023-06-29 13:54:52 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ 2023年6月
 
年少
なーらんだ(三浦太郎)
どんどこももんちゃん(とよた かずひこ)
くだもの(平山和子)
年中
どんどこももんちゃん
パパ、お月さまとって(エリック=カール、もりひさし訳)
くだもの
年長
きんぎょがにげた(五味太郎)
パパ、お月さまとって
くだもの
 
暑くなってきて、こっちも多少軽く出来るものがいいかな、と勝手に思い、さっぱりしたものを選んだつもり。
 
毎年やっているものの中で、「どんどこももんちゃん」はちょっとひさしぶり。年少ではどこまで理解が?と思ったが、早すぎることはなく、かなり入っていた。とよた かずひこは他と比べてちょっと飛んでるところがあって、;プログラムの中で、あきがこないアクセントになる。
 
エリック=カールの絵本の中でも、これはページのサイズが突然変わるという意外性がやはりうける。月が大きくなり小さくなりまた大きくなりというところは、今回あまり効かなかったかもしれない。子供たちの感覚も数年前からちょっと変化したか? いやそれは考えすぎか。
 
「くだもの」、年少だと生まれてからこれまで、今の時点で秋の果物はなじみがないだろう。そこは流していくしかないが、これはあまり気にしても、と最近考えている。
 
「きんぎょがにげた」、にげたきんぎょを画面のなかに見つけるのはたやすく、面白いのかなといつも思うのだが、今回またやってみてこれは絵の魅力、おもしろさなのかと感じた。さすが五味太郎なんだろうか。
そういえば最近のインタビュー記事で五味は、あまり教訓とか何か与えようなどど思ってなくて、元気にいきいきしてくれれば、というようなことを言っていた。これは典型例なのか。
 

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佐藤忠良 展

2023-06-07 14:31:39 | 美術
生誕110年傑作誕生・佐藤忠良
神奈川県立近代美術館 葉山
2023年4月22日(土)~7月2日(日)
佐藤忠良(1912-2011) の彫刻については、ある展覧会で宮城県美術館を訪れた時ここにあった佐藤忠良館をひととおり見て知ってはいたが、今回はじっくり見ることができた。
 
順に見ていくと、当初は画家をめざしていたようで、だからだろうか彫刻のデッサンなどもなかなか感心してしまうところがある。
ロダンをはじめ名高い作家を観察していたようだが、その作品は強い想いを表現して迫ってくるというよりも、そこからひとつ突き抜けた存在感というものが感じられる。そういうところが、日本の地方の人たち(「群馬の人」など)、そこから若いあるいは幼い女性、帽子についてのいくつもの試み、着衣しているもの(冬の上着、ジーンズ)などであるが、見おわってみると親しさが残っている。
 
表面的な強さよりじっくりと感じられる存在感ということでは、同じ歳に生まれた船越保武(1912-2002)も、こちらはテーマにキリスト教がかかわってはいても同じような面がある。二人は仲がよかったようで、20世紀の日本を代表する彫刻家たちだろう。
 
今回見にいってみようと思ったのにはもう一つあって、画家がいくつか描いた絵本のなかに、「おおきなかぶ」という世界でもっとも評価されている絵本の一つがあり、その背景が展示されているからだ。
 
絵本を描きだした経緯、原画など、この絵本を毎年読み聞かせに使っているだけになかなか興味深かった。このほかにも好きな絵本に「ゆきむすめ」がある。ふたつともロシア昔話で、作者の経歴を見るとシベリア抑留とあり、そのときの眼の記憶があったようだ。

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藤田真央の「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番」

2023-06-05 10:46:49 | 音楽
藤田真央という20歳前半のピアニスト、評判は知っていたがまとまった演奏を聴いたことはなかったが、先日NHK BSPでルツェルン音楽祭2022の録画放送があり、そこでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴くことができた。
 
はじまりのあの低音を響かせるところから聴くものを引き込んでしまう。あそこのストローク、タッチ、ペダリング、なんともチャーミング。そのあともオーケストラに無理なく溶け込み、ピアノの魅力を出すところは自然に出てきて、気がついたら終盤の盛り上がり。
聴衆のほとんどが立ち上がって拍手を続け、楽団員も心から賞賛しているのが見てとれた。
 
この曲、映画、フィギャースケートなどにもよく使われ、部分的には通俗的な印象も受けるけれど、そこはラフマニノフ、通して聴いて(コンチェルトとしては結構ながい)いい曲である。
そして今回よかったのは指揮台にいたのがリッカルド・シャイーだったこと。ベストだろう。
続いて振ったラフマニノフの交響曲第2番もはじめて(?)じっくり聴くことができた。
 
そういえば藤田真央は映画「蜜蜂と遠雷」で風間塵というちょっと変わった若いピアニストの演奏を担当していた。たしか本番前に主人公とやり取りするところで弾いていた月光の第三楽章がなかなか印象的だった。
 
ところでラフマニノフ(1873-1943)はこのところ演奏される機会が多いようだ。今年が生誕150年ということもあるのだろうか。またロシアだけれど最後はアメリカに渡ったということで、ロシアというイメージが多少薄められているのだろうか。
 
一方このところチャイコフスキーの演奏が少ないようで、これはロシアの代表的作曲家ということがあるようだが、それはないだろうと思うのだ。時代も違うし、他国の演奏者、聴衆への恩恵ははかりしれない。これまで映像で見ていても、多くの国のオーケストラ団員たち、チャイコフスキーを弾くのが好きなようだし。
 

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ショルティの「マーラー第7」

2023-06-04 09:25:40 | 音楽一般
このところマーラーを聴くことがほとんどなかったが、久しぶりに何かをと思い、作曲者の頭の中をあまりさぐる聴き方でなく、音から、ということで、交響曲なら第7番にしようと思った。

LPレコード、CDがずいぶん場所をとるので、何年か前に整理した時、同じ曲でも複数かなりあるマーラー、第7はショルティかな、そしてショルティなら第7かなということになった。
サー・ゲオルグ・ショルティ指揮 シカゴ交響楽団 録音:1970年のLPレコード
 
実にすっきりした響き、進行で、曲が、オーケストラが耳に入ってくる。変なストレスもない。
以前だったら、マーラーは鬱々として、歪みもあった方がなどと、いまから思うと先入観があったと記憶しているが、優れた作曲家なら今聴いているものが多分本来で、そこから出発するもの、という風に考えた方がいいのだろう。

ショルティという人も、私が若いころは、鋭敏でうまいが、何か表面的(なのではないかということだったのだが)という受け取り方だった。欧米の高い評価がよくわからなかったが、私の音楽への接し方も変化してきた。このタイミングでまた聴いてよかったと思う。
マーラーも思い通りに曲を進めていて、悲劇的なという思いを常に頭において聴いていた時期は、何ということだったのだろう。それも無理ないか?

ところで、これは英DECCA最盛期の録音である。50年前に買った時より再生環境が少しよくなったはいえ、まあこれは素晴らしい。英DECCAのマーラーではほかにもズービン・メータ指揮ウィーンフィルの第2番「復活」などあの最後のぐっと腰をいれフィナーレのトゥッティのになるところ、他の録音に聴けないすばらしさがある。

1970年前後には同じショルティでもワーグナーの「指輪」をはじめてとするオペラをはじめ、英DECCAの名録音は多い。カラヤン・ウィーンフィルのR.シュトラウス「ツァアラトゥストラ」(1959)なんか冒頭のパイプオルガンのまだ音らしいものが聴こえる前の空気の震えがたまらない。
このころはジョン・カルショウ、エリック・スミスというプロデューサーの名前を普通の音楽ファンでも知っていた。ある意味幸せな時代だった。

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