勝手にしやがれ (A BOUT DE SOUFFLE、1959仏、90分)
監督:ジャン=リュック・ゴダール、原案:フランソワ・トリュフォー
ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ
ベルモンドが亡くなって急遽TV放送され、録画して観た。かなり以前一度映像で(劇場ではなく)観たと思うが、あまりよく覚えてはいない。
原題は「息の果てに」、「万策つきて」といった意味。
いいかげんに生きているミシェル(ベルモンド)がマルセイユで車を盗み追いかけられている時に警官を射殺してしまいパリに逃げてくる。知り合いになっていた記者志望のアメリカ人パトリシア(セバーグ)と会うが、お尋ね者になる。その後あいかわらず車を盗んだり、金をちょろまかしたりしながら、きわどく逃れていく。パトリシアも新聞で知ってしまうが、すぐに感情的に激するということにはならない。
これがこの映画の話題になったのだろうが、台詞がとぎれなく続き、場面や登場人物たちの説明場面、その時間はなく、連綿と続いていく。ちょうど真ん中あたりで初めてミシェルが画面から離れ、パトリシアが一人で行動する場面が少しあるが、そのあとアパートで二人になり、なんともかみあわないが何か理解してほしいことも少しはあるような会話が続く。そのあとは、ついに予想された終盤。
ドライというと表面的すぎるが、こういうストーリー、「おれたちに明日はない」(ボニーとクライド)のようにならないのは、単にヌーベルバーグだからというわけではないだろう。むしろフランスだからともいえないが、個人というものに対するある考え方が根底にあるからだと、考える。そう思いたい。
これで愁嘆場では見てられない。
ベルモンドのこういう役を見るのは初めてだった。アクションも含め、また悪役でももっと立派な役が多かったかもしれない。父親が高名彫刻家で、パリのオペラ座の周囲にその作品があり、観光ガイドがその説明をするのが定番だった。
セバーグがうまいというか見事だったのは意外で、これより前の「悲しみよこんにちは」にくらべあまり痩せていないように思った。細かいやり取りはなかなかセンスがあるがいかにもインテリではないのがなかなか。
中盤と終盤でそれぞれレコードをかける。ショパンのワルツとモーツアルトの「クラリネット協奏曲」、後者はこれが好きだというミシェルの最後を暗示しているだろうか。
出てくる車はアメリカの大型が多く、特にオープンが好まれていたようだ。これも時代。
もう一つ、ミシェルがおそらくシャンゼリゼを逃げ歩いているとき、道の中央を楽隊が通っていく。これ戦勝記念日に凱旋門で大統領が献花する前ではないか。そうあの「ジャッカルの日」のドゴール登場の場面、フォーサイスが書いたのはこの映画の後。
11月16日
偶然、10年近く前にこの「勝手にしやがれ」をアップしたのを見つけた。
監督:ジャン=リュック・ゴダール、原案:フランソワ・トリュフォー
ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ
ベルモンドが亡くなって急遽TV放送され、録画して観た。かなり以前一度映像で(劇場ではなく)観たと思うが、あまりよく覚えてはいない。
原題は「息の果てに」、「万策つきて」といった意味。
いいかげんに生きているミシェル(ベルモンド)がマルセイユで車を盗み追いかけられている時に警官を射殺してしまいパリに逃げてくる。知り合いになっていた記者志望のアメリカ人パトリシア(セバーグ)と会うが、お尋ね者になる。その後あいかわらず車を盗んだり、金をちょろまかしたりしながら、きわどく逃れていく。パトリシアも新聞で知ってしまうが、すぐに感情的に激するということにはならない。
これがこの映画の話題になったのだろうが、台詞がとぎれなく続き、場面や登場人物たちの説明場面、その時間はなく、連綿と続いていく。ちょうど真ん中あたりで初めてミシェルが画面から離れ、パトリシアが一人で行動する場面が少しあるが、そのあとアパートで二人になり、なんともかみあわないが何か理解してほしいことも少しはあるような会話が続く。そのあとは、ついに予想された終盤。
ドライというと表面的すぎるが、こういうストーリー、「おれたちに明日はない」(ボニーとクライド)のようにならないのは、単にヌーベルバーグだからというわけではないだろう。むしろフランスだからともいえないが、個人というものに対するある考え方が根底にあるからだと、考える。そう思いたい。
これで愁嘆場では見てられない。
ベルモンドのこういう役を見るのは初めてだった。アクションも含め、また悪役でももっと立派な役が多かったかもしれない。父親が高名彫刻家で、パリのオペラ座の周囲にその作品があり、観光ガイドがその説明をするのが定番だった。
セバーグがうまいというか見事だったのは意外で、これより前の「悲しみよこんにちは」にくらべあまり痩せていないように思った。細かいやり取りはなかなかセンスがあるがいかにもインテリではないのがなかなか。
中盤と終盤でそれぞれレコードをかける。ショパンのワルツとモーツアルトの「クラリネット協奏曲」、後者はこれが好きだというミシェルの最後を暗示しているだろうか。
出てくる車はアメリカの大型が多く、特にオープンが好まれていたようだ。これも時代。
もう一つ、ミシェルがおそらくシャンゼリゼを逃げ歩いているとき、道の中央を楽隊が通っていく。これ戦勝記念日に凱旋門で大統領が献花する前ではないか。そうあの「ジャッカルの日」のドゴール登場の場面、フォーサイスが書いたのはこの映画の後。
11月16日
偶然、10年近く前にこの「勝手にしやがれ」をアップしたのを見つけた。