メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

勝手にしやがれ

2021-09-17 14:35:06 | 映画
勝手にしやがれ (A BOUT DE SOUFFLE、1959仏、90分)
監督:ジャン=リュック・ゴダール、原案:フランソワ・トリュフォー
ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ
 
ベルモンドが亡くなって急遽TV放送され、録画して観た。かなり以前一度映像で(劇場ではなく)観たと思うが、あまりよく覚えてはいない。
原題は「息の果てに」、「万策つきて」といった意味。
 
いいかげんに生きているミシェル(ベルモンド)がマルセイユで車を盗み追いかけられている時に警官を射殺してしまいパリに逃げてくる。知り合いになっていた記者志望のアメリカ人パトリシア(セバーグ)と会うが、お尋ね者になる。その後あいかわらず車を盗んだり、金をちょろまかしたりしながら、きわどく逃れていく。パトリシアも新聞で知ってしまうが、すぐに感情的に激するということにはならない。
 
これがこの映画の話題になったのだろうが、台詞がとぎれなく続き、場面や登場人物たちの説明場面、その時間はなく、連綿と続いていく。ちょうど真ん中あたりで初めてミシェルが画面から離れ、パトリシアが一人で行動する場面が少しあるが、そのあとアパートで二人になり、なんともかみあわないが何か理解してほしいことも少しはあるような会話が続く。そのあとは、ついに予想された終盤。
 
ドライというと表面的すぎるが、こういうストーリー、「おれたちに明日はない」(ボニーとクライド)のようにならないのは、単にヌーベルバーグだからというわけではないだろう。むしろフランスだからともいえないが、個人というものに対するある考え方が根底にあるからだと、考える。そう思いたい。
これで愁嘆場では見てられない。
 
ベルモンドのこういう役を見るのは初めてだった。アクションも含め、また悪役でももっと立派な役が多かったかもしれない。父親が高名彫刻家で、パリのオペラ座の周囲にその作品があり、観光ガイドがその説明をするのが定番だった。
 
セバーグがうまいというか見事だったのは意外で、これより前の「悲しみよこんにちは」にくらべあまり痩せていないように思った。細かいやり取りはなかなかセンスがあるがいかにもインテリではないのがなかなか。
中盤と終盤でそれぞれレコードをかける。ショパンのワルツとモーツアルトの「クラリネット協奏曲」、後者はこれが好きだというミシェルの最後を暗示しているだろうか。
 
出てくる車はアメリカの大型が多く、特にオープンが好まれていたようだ。これも時代。
もう一つ、ミシェルがおそらくシャンゼリゼを逃げ歩いているとき、道の中央を楽隊が通っていく。これ戦勝記念日に凱旋門で大統領が献花する前ではないか。そうあの「ジャッカルの日」のドゴール登場の場面、フォーサイスが書いたのはこの映画の後。

11月16日
偶然、10年近く前にこの「勝手にしやがれ」をアップしたのを見つけた。


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谷崎潤一郎 「少将滋幹の母」

2021-09-16 09:33:07 | 本と雑誌
少将滋幹の母: 谷崎潤一郎 著  新潮文庫
 
昭和24年に書き上げてから新聞連載された多少長めの中編小説で、藤原氏栄華の平安一時期が舞台である。
まずは平中(へいちゅう)という色好みの男が登場する。文書にもある実在の人物のようで、在原業平ほどではないが、和歌も残っている。この人が左大臣藤原時平と色恋の話をする中で、平中から大納言國経の北の方(正妻)の話が出る。北の方は噂の美人、70代の国経とは50も歳のひらきがある。
 
時平はなんとかしてものにしたい。平中は以前北の方に言い寄って何かあったらしいのだが、時平のために一計を案じて宴を設け、衆人が観ている中で時平は北の方をさらっていってしまう。大納言は騒ぎ立てず一見平然としていたが、妻への愛着はやみがたい。
 
国経はそれから数年生きるが、時平もそのすぐ後に亡くなってしまう。北の方は在原氏の流れで、物語は在原業平、菅原道真の少し後、時平はじめその近親は道真のたたりで没したといわれたようだ。
 
国経には北の方との間に滋幹という男子がいて、この子が母をあまりよく知らずに育ち国経の晩年の姿を見、長じて出家した母の庵を訪ねるまでが後段である。
 
小説の書き方としては、多くをいにしえの物語を題材とし、一部創作をいれて物語るという形、今回は三人称で書いている。
 
平中が動き回る前段は和歌を介した男女のやりとりがかなりあって、これは「伊勢物語」、「堤中納言物語」などに通じる。ただ、平中というキャラクターからか、業平よりは下品とは言わないまでもえげつないところがある。
 
小説のタイトル、そして母恋というふれこみからすると、それは終盤だけという感じ、肩透かしの感もある。
老いた国経の幼き妻に対する変質的な愛玩、失った後の妄執など、作者後年の「鍵」、「瘋癲老人日記」に通じていて、納得するものがあった。
業平」を書いた高樹のぶ子はもちろん本作を読んでいるであろうが、トーンはかなりちがう。
 
なお、連載時の挿絵は小倉遊亀、この本にもいくつか載っているが、この時代にふさわしく、またこの人の絵に特有のエロティシズムがあって、みごとなものだったと想像される。
 

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「オリエント急行殺人事件」(1974)

2021-09-10 10:05:50 | 映画
オリエント急行殺人事件 (Murder on the Orient Express、1974英米、128分)
監督:シドニー・ルメット
アルバート・フィニー、リチャード・ウィドマーク、アンソニー・パーキンス、ジョン・ギールグッド、ショーン・コネリー、ヴァネッサ・レッドヅレーヴ、ローレン・バコール、イングリッド・バーグマン
 
アガサ・クリスティーのあまりにも有名な同名作品の映画化で、この原作ではおそらく初めてだろう。原作を読んですぐにリドリー・スコット監督の2017年版、そして最近再放送で見たTVシリーズ版(2010)、ようやく今回これを見た。つまり映画としては順序が逆であった。
 
ルメットとしてもかなり苦労したかもしれない。オリエント急行のセットに、おそらく制作側から提示されたオールスター・キャスト、しかし実はかなり細かく暗い陰湿な背景のかさなり、名探偵ポアロの推理とさばきといえども、仕上げていくのは簡単ではない。
 
最初にリンドバーグ事件にヒントを得たといわれる背景を出しているのはどうかなと思うのだが、この作品が通常の謎解きものとは違うという考えなのだろう。
そのあとの展開は特にどうということはないが、細部が解明されていくにつれて、こうだったという場面が後から初めていろいろ出てくるのはちょっと興ざめなところがある。
 
アルバート・フィニーはこのときまだ若かったらしいが、メイクと(無理して?)太った体躯で演ずるポアロ、しゃべりが強くせかせかしているのが気になった。
 
きらめくスターたちの中では、アンソニー・パーキンス、イングリッド・バーグマンが役としっくりあっていてここに配した価値があった。殺されるラチェットのリチャード・ウィドマーク、1960年代に西部劇を中心になじみがあったから、不思議ななつかしさ。
 
乗客の中でキーになるハバード夫人はローレン・バコール、好きな女優だけれど、彼女だと最初から重要人物という感じにどうしてもなりすぎてしまった。これは2017年版のミシェル・ファイファーが見事だった。
 
この作品、最後にさてどう格好をつけるかなのだが、オールスター・キャストになりがちな二つの映画ではえっそうなのという感じである。これらに比べ、そして原作に比べても、TV映画(2010)は秀逸だった。ここでのポアロ役デイヴィッド・スーシェの台詞と演技は長く記憶にのこるだろう。原作から一段階上に昇華したといえようか。

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