メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

長谷川利行展

2018-05-31 09:27:32 | 美術
長谷川利行展 七色の東京
2018年5月19日(土) - 7月8日(日) 府中市美術館
 
長谷川利行(1891-1940)は今は見る機会が多い画家である。先日の池袋モンパルナスも利行につながるもので、まとめて見たくなったと書いてしまったが、早くも実現した。それでもこれだけまとめて見るのは、2000年の没後60年展展(鎌倉近代美術館)以来である。
全貌を見ると、やはり街の風景というか景色というか、そういったものと、人物に二分される。特に前者は独特でありながら、抵抗なく入っていける。構成と色彩のバランスが、なんともいい。計算ずくには見えないが、そこは画家だからこちらには見えない才があるのだろう。
 
独学に近いらしく、また放浪の画家でもあり、入っていきやすいが俗ではない。
そのなかで、有名なところだが、カミヤバーやパウリスタなどバーやカフェを描いた一連の作品、また水泳場、夏の遊園地などは対象の選択も含め秀逸である。
 
府中市美術館ははじめてで、府中の森にあり、内外ともスペースがゆったりしていて、気持ちのいいところである。

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東京都立園芸高校のバラ

2018-05-14 10:34:11 | 雑・一般
5月12日(土)、東京都立園芸高校のバラ園年一回の公開日ということがわかり、はじめて見に行くことができた。
 
今年で設立110年、園芸科がある高校としてはもっとも古いものだろう。このバラ園は、ここの卒業生で世界的にミスター・ローズと言われ日本バラ界育ての親といえる鈴木省三(1913-2000)が寄贈したもので作られ、「鈴木省三記念バラ園」という名を冠している。
 
立派なバラ園、バラで有名な庭園は多いが、ここでは高校生の丁寧な説明をききながら、多くの品種を系統だててみることができ、また香りのいいものについては特に勧めてくれたので、多くを楽しむことができた。
 
この分野が高等学校の特徴であることは、バラの未来に期待が持てるともいえるだろう。高校があるのは世田谷区深沢で東急大井町線等々力駅からバスで二つ目であるが、この周辺は「等々力バラ園」(なくなってしまったが)をはじめ、バラの記憶ともいうべき感じがある。
 
今年は3月、4月の気温が高かったせいか、手入れがいいかげんな我が家のバラも例年になく大輪がたくさん咲いている。実はこのばら園も今年は連休あたりが最高だったそうだ。
 
バラに多少興味があったとはいえ、もし「青いバラ」(最相葉月)を読まなかったらこの高校、バラ園には行き着かなかっただろう。大著を読んだ甲斐があったというものである。

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ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿

2018-05-07 20:56:28 | 映画
ミラノ・スカラ座 魅惑の神殿(TEATRO ALLA SCAL:IL TEMPO DELLE MERVAGLIE、2015伊、103分)
これも先のメトロポリタンと同様、オペラの殿堂の由来とこれまでに関するものであるが、すべてドキュメンタリーではなく、記録映像がない一部分は俳優によるものとなっている。
 
現在のスカラ座は1776年に建設されたが、その後ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニ等々、優れた作曲家と歌手たちに恵まれ、高い地位を保っていて、現在でもオペラハウスといえば、先ずメトロポリタンとここだろう。
 
それでも19世紀から20世紀にかかるまでは、いろいろあったみたいで、ドニゼッティとヴェルディには、後に嫌われたようだ。若きヴェルディが貧困にあえいでいたとき、彼を救ったのがここで上演した「ナブッコ」であるのだが。
それでも2001年、ヴェルディが死んだときには、この近くから国葬(!)の葬列が出たのだが、その一部の映像も出てくる。
 
また関係者で重要なのは楽譜出版をしたリコルディで、この名前は知っているけれど、この人は才覚がきき、スカラにかけあって、チラシを只で刷ってやるから地下室に眠っている楽譜をくれといい、それを出版したことにより、イタリアオペラが各地に普及し、またその活動が著作権概念のはしりにもなったという。。
 
トスカニーニ以降は、歌手たちや指揮者たちの映像が、そして一部は現代のインタビューが出てくる。このあたりになると、私もリアルタイムで知っている人たちがかなりいるし、スカラ座に行ったことはないが、その日本公演などで、実際に聴いた人たち、また録音で聴いた人たちはかなりいる。
 
プッチーニもスカラで成功したことはあまりなかったそうだが、20世紀に入って最後の「トゥーランドット」が未完で亡くなった後、ここでそれを初演したトスカニーニは、終盤リューが死ぬところで、タクトを置き、ここでプッチーニは亡くなったと述べたという。こんなことはそれまでなかった。またトスカニーニは、上演の大改革をし、アンコールをなくすなど、音楽の本質本位の方向を出し、その後はどちらかと言えば指揮者が中心になっていったという。
 
20世紀の歌手たちでいえば、やはりマリア・カラスは特別で、男ではフランコ・コレルリが跳びぬけたスターだったようで、これは先のメトロポリタンと同じである。
 
歌手たちでは、コッソット、カヴァイバンスカ、フレーニ、ドミンゴなどがインタビューに出てくる。ずいぶんふくよかになってしまったフレーニが24歳ではじめて「ボエーム」のミミで出た時、指揮をしたカラヤンがアリアのあとに彼女にキスをし、私が涙を流したのは母親が死んだときと今このときだけだ、といったそうで、さすがカラヤンと思う。
 
劇場側の誰かが、日本の招聘者が20年以上かかって熱心に呼んでくれて1981年ようやく日本公演が実現したと言っていた。そうまさにその時、ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」(指揮クラウディオ・アバド、演出ジョルジョ・ストレーレル、カップチルリ、フレーニ、ギャウロフ)と、プッチーニの「ボエーム」(指揮カルロス・クライバー、演出フランコ・ゼッフィレルリ、トヴォルスキー、フレーニ)を見ることができたのは、大げさに言えば生涯の宝物である。
 
さてスカラの合唱はこれがまた飛びぬけていて、ヴェルディのレクイエムが十八番だが、そう昔でないエピソードとして、ムーティが率いてニューヨーク公演をしたとき、ある夜グラウンド・ゼロを訪れた時、皆であの「行け、わが想いよ、黄金の翼に乗って」(ナブッコ)を歌ったという。よく思いついたと思う。
 
もう一つ、エジソンの発明のすぐあと、こんなにまとめて電球を使った施設は極めて珍しいという。なにしろスカラ専用に発電所を作ったらしい。上演のために役立つものにはここまで投資を惜しまなかったとは、驚きだ。

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レッズ

2018-05-05 17:12:06 | 映画
レッズ(REDS、1981米、196分)
監督:ウォーレン・ベイティ、脚本:ウォーレン・ベイティ、トレヴァー・グリフィス、撮影:ヴィットリオ・ストラーロ、音楽:スティーヴン・ソンドハイム、デイヴ・グル―シン
ウォーレン・ベイティ(ジョン・リード)、ダイアン・キートン(ルイーズ・ブライアント)、ジャック・ニコルソン(ユージン・オニール)、モーリン・ステイプルトン(エマ・ゴールドマン)
 
「世界を揺るがした十日間」を著したジョン・リード(1887-1920)(ジャック)はジャーナリストとしての活動の中で、次第にアメリカの労働運動、共産党運動、第一次世界大戦への反戦運動に、熱中していく。当初、差別への抵抗活動をしていたルイーズの方が書くことより活動することを上位に置いていたが、二人が一緒になり、離反を繰り返して行くうちに、ジャックの方が熱くなり、彼は革命の真っただ中のロシアに密航し、アメリカ国内の分裂した共産党運動で彼が属する一派の認定をコミンテルンに働きかけるが、これは失敗し、最後はなんとかたどり着いてルイーズと会ったものの、病と負傷(?)で息絶える。
40代で製作、脚本、監督そしてもちろん主演という驚くべき活躍をしたベイティ、この必ずしも共感ばかりできない主人公の表情、エネルギー、いい加減さを、長時間よく演じた。
パートナー役のダイアン・キートン、前半はユージン・オニールとも一緒になったり、跳ね上がりであるが、後半次第にイデオロギーのつきものが落ちてきて、それでも現実にはジャックを救いに勇敢な行動を続けていく。これもこの映画の一つの軸。
 
当時のアメリカの労働運動についてはよく知らないが、この映画で見る限り、インテリ主導の色彩がかなり強く、後半ユージン・オニールが皮肉っぽく言っているように、労働者のため、反戦のためと言いながら、生活感覚としてはまったくの中流意識から抜け出せないというのが本当のところなのだろうか。そのあたり、映画として関係者たちの矛盾は矛盾として置いたまま描いている。
 
何度も出てきてコメントする何人もの老人男女たち、最初は役者かと思ったが、そうではなくて主人公二人と同時代を生き、存命している人たちのようで、この映画をドキュメンタリーの要素が加えられたものにしている。
 
反戦は当初はウイルソン大統領の政策として支持されたが、ドイツに対抗するものとしての参戦の方が、単に英仏に投資している財閥を守るためとばかりは言えなくなって、国民の多くから支持されるものになっていった。
 
この映画を作ったベイティについては、国内でいわゆるリベラルというイメージがあったけれども、今回ずいびん久しぶりに見て、そう単純なものではなく、こういう大きな物語と個人の生活(意識)の物語の相克、矛盾を描き出すことを怠ってはいない。ベイティの映画デビュー(草原の輝き)で監督したエリア・カザンの赤狩り協力批判に対する見方にも、それは今考えてみれば現れている。
 
本作のカメラはアカデミー撮影賞をとっているが、全編にわたって鮮明なフォーカスと画面の明るさ(人間の眼の明るさに見合った)、アングルで、この長編を疲れないで見ることに貢献している。素晴らしい。
 
それから、何度も歌われるあの「インターナショナル」、言語、環境でいくぶん違うようだが、こんな風に歌われていたのかと、はじめて知った。

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本郷和人 「日本史のツボ」

2018-05-01 20:44:59 | 本と雑誌
日本史のツボ
本郷和人 著 2018年1月 文春新書
日本史全体を概観するにあたり、天皇、宗教、土地、軍事、地域、女性、経済の七つの視点をツボとして著したものである。著者は東京大学史料編纂所教授で、私が毎週見ているNHKBS「英雄たちの選択」にはよく出てきている。この番組は進行役が磯田道史で、近年発見された資料を読み込み、これまでの史観にとらわれない議論が進められるが、著者もその役割を担うことが多いと思う。
 
本書では、上記七つについて、現代のものと比べてどうだったのかということを外していないから、これらの観点から時代の移り変わりも納得いく形で読み取ることができる。
特に土地、地域、経済と見ていくと、古代から近代まで、交通、情報がなかなか進歩しない中で、これらがどうだったのか、その状態からして権力の支配、軍事など、必ずしもこれまで受け取られていたようなものではないことがわかる。
女性についても、エマニエル・トッドの家族論も下敷きにしているから、これまでの固定観念とは違うことも理解される。それは渡辺京二「逝きし世の面影」とも符合する。
 
そして支配者として、土地、軍事、経済などの観点で、特出しているのは源頼朝、織田信長だったようだ。また、外国との交易、貨幣が何時から本格的に出回ったのか、それらが日本国内の支配地域の大きさ、支配の程度を決めているようだ。
 
本書は新書で、このタイトル、しかしまともな本である。私が大人になるまでの日本史の教科書、参考書などは、戦後の時代を反映し、主として支配者と被支配者関係の変遷であり、イデオロギッシュなものであった。途中で辟易としてきたが、無理してでも通観するためにはそういう方法も必要とされたのだろう。もう今後は、それぞれの時代のいくつかの面でどうだったのか、新しい資料をもとに冷静に多面的に見ていくべきである。

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