ワーグナー:楽劇「パルシファル」
指揮:ダニエレ・ガッティ、演出:フランソワ・ジラール
ヨナス・カウフマン(パルシファル)、ルネ・パーペ(グルネマンツ)、ペーター・マッティ(アンフォルタス)、カタリーナ・ダライマン(クンドリ)、エフゲニー・ニキティン(クリングゾル)
2013年3月2日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2014年6月WOWOW
ワーグナー最後の、この長大なオペラをじっくりと味わうこのができる舞台である。今回の演出、背景や装置は必要最小限で、具象的なものはほとんどない。衣装もシンプル、男たちはシャツとスラックス、グルネマンツや騎士たちはビジネスマンのワイシャツでノータイ、パルシファルのみシャツは紺、クンドリも黒のシンプルなロングである。
以前ここでアップした2012年のバイロイト、あの幻滅はここにはもちろんない。
アンフォルタスの脇腹の傷、男たちを誘惑する女たちの白い下着に近いロングにこれでもかと現れる血、これはこの演出の中で非常に目立つところとなっている。幕間で技術の人が材質について話していたが、流れ出すしかけはどうなっているのだろう。あまりにも見事なコントロールなので、もしかしたらこれは光学的なもの、つまりプロジェクション・マッピングかと一瞬思った(まさか、、、)。
ここでグルネマンツ、パルシファル、クンドリの歌唱がどうか、ということだが、3人ともパワー、スタミナ、表現の妥当性、申し分ない。
まず第一幕でグルネマンツがこの物語の背景を長い時間をかけて語るのだが、パーペがいいから、ここで素直に入っていける。この人、このタイプの第一人者、たいへんな力を持っている人だ。
そしてカウフマン、これだけ力があって、そのうえ見てくれがいい人がこれまでにいたか? 同じメトのルパージュ演出(レヴァイン指揮)「ワルキューレ」にジークムントでとても感心したが、このパルシファルとともにリリックなところもいい。まだジークフリートはやってないけれど、この順番でいいだろう。
クンドリのダライマンも、この複雑なキャラクターを複雑なまま提示して、不思議な説得力を持たせている。
この3人を支えるガッティの指揮がまた思い切った表現で、説得力がある。このひと、ヨーロッパよりメトの方が水があうかもしれない。
思えば、過去の名演奏、クナッパーツブッシュ、ブーレーズ(いずれもバイロイト)、カラヤン(ベルリン・フィル)のいずれも、神秘的ではなく、明確に解釈を伝えるものだった。
さて以下は戯言だが、ワーグナーはあの「指輪」を書き進めて、ジークフリートの運命は、予定調和でなく、どこか後味のわるい過程であんなようになり、物語として決着をつけるためブリュンヒルデの自己犠牲にきわめてすぐれた音楽を与えた。
創作家としてはあの物語を作り始めた以上、あれは誠実だったのだが、人生の終わりとしては何かもう一つまとまりのよいものが欲しかったに違いない。そう考えれば、この長すぎるほどの作品、少し気楽に聴いてもいいのではないかと、考える。