メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

虫めづる姫君 堤中納言物語

2020-11-26 17:29:06 | 本と雑誌
虫めづる姫君 堤中納言物語
作者未詳 蜂飼耳 訳  光文社古典新訳文庫
 
堤中納言物語はこの本の本書のタイトルにもなっている「虫めづる姫君」をはじめとする十編のタイトルと一編の断章からなる物語集で、平安後期から鎌倉にかけて書かれた短編をあつめたものである。それぞれの作者もよくわかっていないし、この時代の物語にあるように、写本で伝わったことから、本書も流布本をもとにしているが、これも近世に定着したものらしい。
それはともかく、これらの物語は男女の間柄を時にはおもしろく、時にはペーソスを交えながら、今の読者も入っていけるなかなか面白いものとなっている。
 
多くは貴族の男が、女を見初める、評判をききつける、ちょっと興味をいだく、見定める、そういったところから、この時代の物語によくあるように、和歌に想いを託してやりとりする。
近世以降、少し前に携帯電話・メールが普及するまでの間、互いに声をかけるのが難しかったのに比べれば、ずいぶん素直で容易なようにも見え、日本は意外にこういう感じの時期が長かったのだなあと思う。
 
同じ訳者の「方丈記」を読んだばかりだが、本書も現代人の私として、不自然なく読め、物語の世界にはいっていける。方丈記のようには原典がついていないけれど、登場人物が交わす会話の多くをしめる和歌は原文と訳をこの中に続けて入れてあるから、その場の気分にひたることができる。
 
「虫めづる姫君」は、この時代にもいた、自分の眼で見、頭で考える娘が印象的だ。また「花を手折る人」や「思いがけない一夜」などは、西欧中世のドンファンならどうしただろうと楽しく想像してしまった。

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プーランク 「声」

2020-11-09 14:17:37 | 音楽
プーランク:歌劇「声」
ドニーズ・デュヴァル(ソプラノ)
ジョルジュ・プレートル指揮 パリ・オペラ・コミック管弦楽団
 
フランシス・プーランク(1899-1963)は三つのオペラを書いている。「テレジアスの乳房」(1947)、先にアップした「カルメル会修道女の対話」(1957)についで三つめがこの「声」(1959)で、初演のメンバーによる同年の録音が上記のものである。
 
「カルメル会修道女の対話」を観た時、そういえば何か持っていたなとレコード棚を探したらこのLPがあった。昭和58年度(1985年度)芸術祭参加としておそらく最初の国内プレスとして出されたものである。プーランクに興味はあったから買っておいたのだが、多分1回聴き流してそのままになっていたものと思う。しかし、台本の元となった戯曲の作者ジャン・コクトーの絵がジャケットになっていて、なかなかのものである。あとから見るとこんなものか、というよくあるケース。
 
さてここで、登場人物は一人の女、かっての恋人で近く結婚するときいた男に電話をかけていて、約40分その場面が続くだけのもの。彼女の歌手というより女優という感じの会話だが、こちらにはモノローグにもきこえる流れ、これだけで聴かせる、また舞台では見せるのだろう。
 
解説(高崎保男)によれば、当時悪かったフランスの電話事情そのままに、よく途切れたり、混信(?)したりするが、それが流れの中でうまい変化になっている。
 
最期に男が新婚旅行でマルセイユに行くらしいと知り、以前自分たちが泊まったホテルには泊まらないでと乞い、コードを首に巻きつけていた電話機から、受話器が落ちて終わる。
 
ほとんど途切れることがないフランス語の歌詞・台詞、対訳(意外にも濱田滋郎、スペイン語、フラメンコの世界というイメージだが)で追うのはたいへんで、訳の方をながめていて、ほんの少し聴き取り理解できるフランス語の単語があると、ああここだ、という次第だから、あまり味わったとはいえない。
 
それでも、これで三作品のうち二つ、比較的好きなプーランクのオペラを少しは知ることができた。
出演者一人だが、今後映像で見る機会があればと思う。
 
この初演コンビはこれ以上望めないものだろう。デュヴァルはいうことなし、プレートルもまだ若いはずだが、才気あふれている。
ところで、原題がLa Voix Humaineということから、最近は「人間の声」としていることが多いけれど、ここはやはり「声」だろう。





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鴨長明 「方丈記」

2020-11-06 13:44:30 | 本と雑誌
方丈記:鴨長明  現代語訳:蜂飼耳 光文社古典新訳文庫
 
鴨長明(1155-1216)がしるした「方丈記」(1212)は、「枕草子」、「徒然草」、「平家物語」などと並んで、高校の古文でよく使われていた。記憶では少なくとも前半は読んだように思う。そう長いものではないから教室の外で後半も読んだかもしれない。
 
今回、蜂飼耳による現代語訳の存在を知り、これはぜひということで読んでみた。原典も掲載されているが、せっかくなので、それはいずれかなり後にしようと思う。
 
あらためて読んでみると、この変化が多かった、荒れた時代に対する見方、身の処し方、そしてこれは記憶にないのでやはりこの部分は読んでいなかったのかなと思う彼の来歴にかかわる部分など、多彩であり、一人の人間の一生のいろいろな側面を考えさせられた。
個々については、一方的な解釈になりがちだから、ここには書かない。
 
さて訳についてだが、これは古典を正確に解釈、解説するためだけでなく、文章としてすぐれた流れ、リズムが感じ取れるものである。そうでなければこの詩人が訳した意味がない。
 
読んでいて、平明さ、読点の入れ方など、おそらく詩作にも通じるような仕事であって、その結果だろうか気持ちよく流れる。
 
原典添付の他、長明作の和歌(新古今和歌集所収)、「発心集」もあり、訳者の解説もあって、これらにより、長明という人間について、いくつかの側面を知ることができた。
 
訳者による「エッセイ」は通常の解説以上のもの。またこの時代の災害を知るための地図、また方丈の図版などもあり、コンパクトでありながら充実した一冊となっている。
 
ところで、この本にはおもしろいでかたちでたどりついた。
少し前に書いた「旅のつばくろ」(沢木耕太郎)で鎌倉に行った時の記述に、鶴岡八幡宮の階段の左手にある銀杏の大木が出てくる。ここで源実朝が暗殺された。銀杏はしばらく前に強風で倒れてしまい根元だけになっていて、私もこの1月に参拝した時に見た。
 
そこで沢木が書いていることには、ここを訪れる数日前にこの現代語訳を読み、鴨長明は実朝の和歌の教師になるべく京都から鎌倉を訪れていたが、果たせず、不運をなげいた、ということを知り、もしそうなっていれば「方丈記」という名作は書けなかったかもしれない。
なんという縁だろうか、これは読んでみようという気になるというものである。
 
数年前、知人から蜂飼耳による絵本を教えられ、それを絵本読み聞かせで使ってみることになり、その間に詩壇評など日経で時々文章、名前を見るようになって、詩集(現代詩文庫)も読んでみた。沢木耕太郎はよく読んでいたとはいえ、「旅のつばくろ」はたまたまなんとなく手に取ってみたわけで、こういういくつかの要素がつながって「方丈記」というわけである。
それに今年はいろいろあって「方丈記」はなるほど思わせる出会い、再会である。

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