メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ヴェルディ「リゴレット」(メトロポリタン)

2014-01-31 14:51:21 | インポート

ヴェルディ:歌劇「リゴレット」

指揮:ミケーレ・マリオッティ、演出:マイケル・メイヤー

ジェリコ・ルチッチ(リゴレット)、ディアナ・ダムラウ(ジルダ)、ピョートル・ベチャワ(マントヴァ公爵(デューク))、ステファン・コツァン(スパラフチーレ)

2013年2月16日 メトロポリタン歌劇場  2013年12月WOWOW

 

録音はLPレコードで聴いたことがあって、筋も特に最後はほぼ知ってはいるが、映像ではおそらく初めてだろう。

マントヴァ公の家来・道化のリゴレット、公は遊び人だが、学生と偽ってリゴレットの娘ジルダに言い寄り、彼女を夢中にしてしまう。それを知ったリゴレットは復讐を狙うが、最後はなんという結末! これがどうにも入っていけないいい加減な筋立て、ヴィクトル・ユーゴーの原作を下敷きにしていて、スキャンダラスといえばそう、それを逆手にとってミュージカルで実績のあるメイヤーは舞台を1960年代のラス・ヴェガスにして。全体を猥雑な雰囲気にし、このモラルがあるとは言えないスト―リーに沿ったものとしている。

 

マントヴァ公(デューク)のメイク、衣装などはフランク・シナトラを想定しているらしい。その取り巻きもサミー・デイヴィス・ジュニア、ディーン・マーチン、ピーター・ローフォードを想定しているらしく、舞台装置とともに中年以上のアメリカ人が見ると、私よりもっとよくわかるだろう。

 

とはいえヴェルディはこの変な話に立派な音楽をつけているから、場面場面の音楽、特にジルダとデューク、ジルダとリゴレットの2重唱は歌いきるのも大変だが素晴らしいものである。ちょっと長すぎるけれど。

 

ジルダのダムラウ、デュークのベチャワ、リゴレットのルチッチ、三人とも今一番勢いがあるというところだろう。リゴレットではヌッチが今一番定評があるけれど、残念ながら見ていない。

 

特にダムラウはリリックなところと力強いところ、そして音色が整っているところなど、ヴェルディのこういう役にはぴったり、いずれ「椿姫」も聴いてみたい。

 

ベチャワもこういうオペラのテノールとして今後も楽しみである。

 

ルチッチは長身、見事な体躯で、父親の怒りをヒステリックでない強い調子で聴かせた。

コツアン(バス)は、この雇われ殺し屋で、確かに喝采を浴びていい演技だった。

 

ヴェルディの歌劇としてこれは、「ナブッコ」、「エルナーニ」などのあと、中期と言われる時期に入ったところの作品らしい。このあと、「イル・トロヴァーレ」、「椿姫」などが続くと考えれば、音楽としては、確かにそうだなと感じる。このあたりのいくつかの作品が、史的物語を背景にしていなくてしかも人間同士のドラマとなっていて、私は好きである。歴史ものやシェークスピアものよりも。

 

PS:

「椿姫」のヴィオレッタは女性として自立していて、ヴェルディの歌もそれにふさわしいものになっている。一方このジルダ、女性としては自立していないが、歌は過剰なほど優れていて、これがこの作品に特異な位置を与えていると考える。

 


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ヴェルディ「エルナーニ」(メトロポリタン)

2014-01-29 11:35:32 | インポート

ヴェルディ:歌劇「エルナーニ」

指揮:マルコ・アルミリアート、演出:ピエール・ルイジ・サマリターニ

マルチェロ・ジョルダーニ(エルナーニ)、アンジェラ・ミード(エルヴィーラ)、ディミトリ・ホヴォロストフスキー(ドン・カルロ)、フェルッチョ・フルラネット(シルヴァ)

2012年2月25日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 

2013年10月WOWOW放送

 

ヴェルディとしては先の「ナブッコ」に続く時期の作品。以前にムーティ指揮スカラの録音を聴いたことがあるが、話が込み入っていたせいかあまり印象に残っていない。その時のエルナーニはドミンゴだったのだが。

 

さてこれは16世紀のスペイン、演出は衣装、背景もほぼその当時と思えるようなもので、大きな階段を多用した舞台は、理解しやすいものである。

 

王によって貴族の身分を剥奪されたエルナーニ(ジョルダーニ)には相思相愛の宮廷女官エルヴィーラ(ミード)がいるが、王のドン・カルロ(ホヴォロストフスキー)も彼女に思いを寄せている。そしてエルナーニがかくまってもらった貴族のシルヴァも、老齢でエルヴィーラの叔父でありながら彼女を結婚しようとしている。

 

こういう複雑で、しかもありえないような関係、ただオペラとしてはほとんどこの4人の歌唱と合唱だけで構成されていて、重唱もよくできているから、こうして字幕つきであることとあいまって飽きないで見ることができた。

ただ、音楽は充実しているとはいえ、特に耳に残る旋律はなかった。

 

4人ともレヴェルの高い人たちであるが、ここでまず注目されたのがエルヴィーラのミード、この人は2007年のMETオーディディションで選ばれたばかりで、この時のことは確かに覚えている。素質はあって、ロッシーニあたりのベルカントでなくいきなりヴェルディのプリマというのは大変だとはおもうけれど、見事だった。今回インタビュー役のディドナートがサザーランドの若いころを思わせるとコメントしていた。そうかもしれない。

ヴィジュアル的には恰幅がよすぎるが、あのオーディションで選ばれた女性は3人ともこのタイプで、今METのように大きいところだとこうなってしまうのかもしれない。もっとも今回はジョルダーニ(エルナーニ)も横幅のあるひとだから、デュエットを見ているうちに不自然でもなくなってくる。

 

ホヴォロストフスキー(ドン・カルロ)は力のあるきれいなバリトンで立ち姿もいいからこの役にはピタリだった。そしてなんといってもフルラネット(シルヴァ)が4人のなかでも聴かせる。老齢の負い目を意識しながら若い娘を好きにならずにはいられないという、一見変な感じになりそうな役であるが、うまい、そしてその気持ちを聴いているものにわからせてしまう。 

 

そういえば同じMETの「ドン・カルロ」(ヴェルディ)でフルラネットが演じていたカルロの父フィリッポ2世も、老齢ながら政略で再婚したフランス王女に対して、複雑な心情を歌っていて、今回シルヴァを聴いているとそっちも思い浮かべてしまった。

こういう心情を歌うバスとして随一だろう。

 

指揮のアルミリアート、こういう人がいるからMETはもっているのだろう。上記のオーディションでもこの人が参加者へのアドバイス、全体の仕切りなど、親切にかつ的確にやっていて、この大所帯を支えている。特にレヴァインが病欠になっている期間はなおさらである。

 

このエルナーニでも、たとえば一つの歌唱の中でドン・カルロの考えが不自然にころころ変わるようなところ、歌詞だけではおやっとおもうのだが、オーケストラがうまくそれを補完している。そのあたりのもっていきかたがうまい。

 

なおここに出てくるドン・カルロは、あの「ドン・カルロ」(ヴェルディ)のカルロの祖父だそうだ。もう死んだと思っていたら、最後にカルロを助けるために出てきた? 出てきたように見せた? あの先王である。

 

 

 


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ヴェルディ「ナブッコ」

2014-01-23 18:36:02 | 音楽一般

ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」

指揮:ニコラ・ルイゾッティ 演出:ダニエレ・アバド

レオ・ヌッチ(ナブッコ)、リュドミラ・モナスティルスカ(アビガイルレ)、ヴィタリー・コワリョフ(ザッカーリア)、ヴェロニカ・シメオーニ(フェネーナ)、アレクサンドルス・アントネンコ(イズマエーレ)

2013年2月 ミラノ・スカラ座   2013年12月NHK BS

 

ヴェルディの出世作と言われていて、「想いよ、金の翼で飛んでいけ」はヴェルディ作の合唱でもっとも有名なものといってよい。

確かに音楽の熱気はたいへんなもので、発表時の印象は強かっただろうし、それを狙っていたことはまちがいない。なにしろ劇としては欠陥が多く、場面から場面への間、どうしてそうなったのか見ていて戸惑うことが多い。オペラというよりオラトリオに近いという人もいる。

 

アッシリア、バビロンとヘブライの間の話。アッシリア王のナブッコ、その娘の異母姉妹、姉の方は奴隷に産ませている。ヘブライ虜囚の一人と姉妹の恋、その争いに、反乱がからみ、ちょっと信じられないプロセスで物語は進んでいく。どの程度、本当にあったことを下敷きにしているのかはわからない。また当時イタリアが置かれた状況を反映しているのかどうか、それも不明である。

 

おそらく場面、場面で、イタリアの人たちは何かを感じ、音楽からエネルギーをもらうのだろう。

 

今回はじめてじっくり見て、それほど長くないし音楽だけなら飽きなかった。

 

ナブッコのヌッチはとても評価の高い人で名前はもちろん知っているが、私が聴いてきた流れではカップチルリとレパートリーが重なっているせいか、じっくり聴くのは初めてである。カップチルリと比べるとちょっと渋いかもしれないが、これは年齢のせいもあるだろう。もっと前にも聴いてみたかった。このナブッコ役、もう少し狂気があれば。

 

ほかに歌唱ではリュドミラ・モナスティルスカ(アビガイルレ)とヴィタリー・コワリョフ(ザッカーリア)、初めて聴くがこういう実力がある人たちが現在いるのはいい。

 

ダニエレ・アバド(クラウディオ・アバドの息子)の演出は、今風のシンプルな装置と色彩、現代の衣装で、こういうストーリーでも違和感がないのはこっちもこの種のものに慣れてきたからだろうか。

ところどころ、周囲で起こっている騒ぎを説明するためか、あらかじめ撮ってあったシーンかアングルを変えて舞台上の動きを撮ったものかはわからないが、モノクロの映像が背景のスクリーンに出てくる。

 

映画ではあるまいし、ライヴの公演でこういう編集的な要素が目に入ってくるのはどうなのか。ちょっと違うんじゃないか、と考える。

 


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百田尚樹「「黄金のバンタム」を破った男」

2014-01-20 21:38:28 | 本と雑誌

「「黄金のバンタム」を破った男」 百田尚樹 著 (PHP文芸文庫)

 

昭和30年代、そして1960年代、ボクシングは日本国民の大きな関心事だった。昭和29年に白井義男が世界フライ級のタイトルを失って後、8年間、日本にチャンピオンは不在だった。今とちがって8階級しかなく、ボクシングの世界協会も一つしかない時代である。世界チャンピオンはわずか8人だった。だからチャンピオンの価値は、今のように80人近くいる時とはちがい、各段に高い。

 

そういう飢餓状況で、昭和37年(1962年)、その「男」ファイティング原田がフライ級のタイトルに挑戦して、ポーン・キングピッチ(タイ)からタイトルを獲得する。その前後、なんとも不思議な偶然的な事件、そして縁が重なっている。

多くの内外のボクサーが交錯するが、その名前のほとんどを記憶していることからも、当時のボクシングのステイタスの高さを再認識した。

 

登場する内外のボクサーのほとんどを記憶しているし、プロモーターやレフェリーにも覚えている名前がある。相撲で幕内力士をほぼ全部覚えていたから、それに近いものだったのだろう。

 

細かいことで、ああそうだったのかと納得することも多い。確かにボクシングは、今のように格闘技の一つとして扱われているのとは違って、本当に国民の一大関心事だった。

 

ここで「黄金のバンタム」とはエデル・ジョフレ(ブラジル)で、この人とジョー・メデル(メキシコ)は本当に強かった。

 

詳細な事実をよく調べて盛り込んでいるから、当時の記憶はよく蘇る。ただ、登場人物への入り方は、ストーリー・テリングとしてはちょっと物足りないところがある。たとえば沢木耕太郎「一瞬の夏」と比べて。

 


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ヴェルディ「ドン・カルロ」

2014-01-18 11:31:27 | 音楽一般

ヴェルディ:歌劇「ドン・カルロ」

指揮:アントニオ・パッパーノ、演出:ペーター・シュタイン

ヨナス・カウフマン(ドン・カルロ)、トマス・ハンプソン(ロドリーゴ)、マッティ・サルミネン(フィリッポ2世)、エリック・ハーフヴァーソン(大審問官)、ロバート・ロイド(修道士)、アニヤ・ハルテロス(エリザベッタ)、エカテリーナ・セメンチェク(エボリ公女)

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 2013年8月16日 ザルツブルク祝祭歌劇場  2013年9月 NHKBS

 

ヴェルディとしてはきわめて充実していた時期の音楽だとは思うが、この脚本の違和感については前にメトロポリタンの公演で書いたところと変わっていない。今回もその時と同じ5幕版、つまり受け狙いのフォンテンブロー出会いの場面が入ったものである。

 

それでも、個々の歌唱中心に聴いていると、これは今日もっとも楽しめるものかもしれない。なにしろカルロはヨナス・カウフマン、歌舞伎ではないが、登場すれば「よう、まってました」である。

 

カルロはこの人にあっているし、ハンプソンのロドリーゴとの相性もいい。欲を言えば後者が少し理性的で落ち着きすぎたところがあり、前半ではもう少し直情的な面があるとさらによかったが。

 

サルミネンの「ひとり静かに眠ろう」は聴かせる。もっともここがこのオペラではあのカルロとロドリーゴの2重唱以上によくできたところだろう。これも欲を言えば声がもう少し暗いともっとよかった。 

 

女声二人は役の性格にうまくはまっていたと思う。実を言えば、話としてはこの二人と王の三人のドラマが一番おもしろいところというのは皮肉。

 

演出は舞台装置とともに、ドラマ、音楽に入っていきやすいもので、余計な背景もなく、衣装も現代ではないものの各役の性格を表現しているほかはシンプル。

 

装置は舞台奥が明るいような、影絵というか逆光をうまく使ったもので、これはもう30年以上前になるだろうか、あのジョルジョ・ストレーラーが「シモン・ボッカネグラ」などで使った方法の流れをくむものだろう。ただ、奥のスクリーンに背面からいろんなものを投影できるから、ここでも効果を狙って炎が出てきたりするのは、あのスカラの「指輪」でもあったが、ちょっと見飽きた感がある。 

 

パッパーノの指揮はダイナミックで流れも勢いがあってよかった。もっとウィーンフィルであれば、場面によってはもっと濃淡を強調した味付けをやっても、オーケストラとしては面白い結果になっただろう。

 


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