メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

チャーチル ノルマンディーの決断

2019-06-20 10:09:51 | 映画
チャーチル ノルマンディーの決断(CHARCHIL、2017英、105分)
監督:ジョナサン・デブリツキー、脚本:アレックス・フォン・ダンゼルマン
ブライアン・コックス(ウィンストン・チャーチル)、ミランダ・リチャードソン(クレメンティーン・チャーチル)、ジョン・スラッテリー(アイゼンハワー)、ジェームズ・ピュアフォイ(ジョージ6世)、ジュリアン・ワダム(モントゴメリー)、エラ・パーネル(ミス・ギャレット)
 
イギリス首相チャーチルが1944年6月、ノルマンディー上陸作戦をめぐり、苦悩し決断するまでの、いわゆるDデイ前3日間の物語である。この映画と同時期に製作公開された「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」はチャーチルのメイクで日本人がオスカーをとったりして、話題になった(私は見ていない)が、本作の存在は知らなかった。
私の少ない知識では、チャーチルのイメージはその見ていない方に多分近く、融和しようとするチェンバレンの失敗のあと、貧乏くじを引いて、戦うことになる、というものだった。
 
それに対してこちらは、時期的にも戦争の終盤にはいるところで、この「地上最大の作戦」をめぐり、なんとなかなか承諾しない、決行すれば何万もの兵士が死ぬ、そういう正面突破のような作戦は認めがたい、という場面とやりとり。
 
戦闘場面はなく、すべて司令部と官邸、一部屋外、というもので、登場人物も、米軍トップのアイゼンハワー、英軍のモントゴメリー、国王ジョージ6世、チャーチル夫人、タイピストなどごく少数、舞台劇にしてもいいくらいである。
 
チャーチルの頭の中は作戦、政治ばかりでなく、第一次大戦時にトルコで多くの犠牲者をだしてしまったトラウマがある。それにこの人も年齢ととも個人的にいろんなことがあり、夫人とも険悪な場面を繰り返す。
 
最後は事実がもの語るとおりであるけれど、それでよかったかどうかを考えさせる作品ではない、というところが面白い。人の決断には結果よければということでなく、後悔もあれば、諦念もあるというところだろうか。

チャーチルのブライアン・コックスは私から見るとそっくりだが、ちょっと弱りすぎた感もある。本当にそうだったのかもしれないが、ドラマだからもう少し動いてくれた方が、と思う。
 
夫人はこういうきついちょっといやな感じだったのだろう。アイゼンハワーはアメリカの超エリートだが、ここではちょっとおとなしすぎる。ただ、軍のトップは部下の損失を最小限にということを考えるから、心中はチャーチルと同じだったのかもしれない。
 
こうしてみると、対独戦にはいろんあ要素、局面があったようで、さきごろようやく終わった英のTVドラマシリーズ「刑事フォイル」でも、大戦の終盤、終戦直後には、国内にもナチ協力者がいたという話が何度かあったし、シリーズ2では警察をやめたフォイルが公安MI5の非公式メンバーになって、ナチやソ連が入り組んだ話に巻き込まれる。長い年月の末に出てきた話ということもあるだろうが。

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マスネ「サンドリヨン」(メトロポリタン)

2019-06-11 15:22:11 | 音楽一般
マスネ:歌劇「サンドリヨン」 
指揮:ベルトラン・ド・ビリー、演出:ロラン・ペリー
ジョイス・ディドナート(サンドリヨン(リュゼット))、アリス・クート(シャルマン王子)、キャスリーン・キム(妖精)、ステファニー・ブライズ(ド・ラ・アルティエール夫人)、ロラン・ナウリ(パンドルフ)
2018年4月28日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2019年5月WOWOW
 
ペローの童話集で広く知られているサンドリヨン(仏語で灰かぶり)すなわちシンデレラ、マスネ(1842-1912)によるオペラの存在は知らなかった。マスネといえば「ウェルテル」、「マノン」が有名で、本作はメトロポリタンでは初演だそうだ。
 
これを原作とするオペラ、わたしにとってはまずはロッシーニの「ラ・チェネレントラ」でここでも何度かとりあげた。こっちは作られた当時、舞台で女性が脚を見せることを反対されたためもあり、このガラスの靴もかぼちゃの馬車もなくて、妖精は哲学者になっていて、娘が王子の愛の真実を積極的に確かめようとする自立性をむしろ表現したものになっていた。
 
マスネのものは、作曲家が円熟してから、1899年の作で、よりペローのものに近い。とはいえ、主人公の成長と、愛に関する作者の考えから、いくつかの模様替え、変更がある。
 
第一幕はおとぎ話調、オペレッタ調であって、特にサンドリヨンの父親が後妻と実の娘との間で見せるどっちつかずの煮え切らなさが笑いを誘い、また継母の存在感が際立つが、彼女もコミカルであって、演じるブライズが容姿ともピタリで見せる。父親のナウリもうまい。
第二幕の王子と会い、12時に逃げ帰ってきて、また再会、そしてという流れで、妖精の果たす役割がこのオペラでは大きく、大活躍だし、またその根底にあるこの二人をなんとかしてやろうという気持ちが、次第にこっちに効いてくる。キャスリーン・キムも名演。
 
王子をアルトに設定したのは、何回かある二人の愛の二重唱を透明感をもって盛り上げるのに成功したといえるだろう。クートとディドナートの声質もうまくマッチしていた。
 
ディドナートはロッシーニでも当たり役だったが、ここでももうすこしはかなげな見え方があるととは思う。ないものねだりだけど。
 
オペラの作り方でいえば、後半で二人が姿は見えないが愛の歌を交換して、その後それが夢の中だったのか、と思うところがある。いい仕掛けである。
最後、みんな仲良くなり、大団円、と短時間でさっと終わるところもいい。
 
ビリーの指揮はよく流れて、また手堅い。
ペリーの演出、衣装、舞台は、騒がれるほど感じなかったが、劇場で見るともっと効果的なのだろうか。





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ルート・ブリュック 蝶の軌跡

2019-06-08 14:22:43 | 美術
ルート・ブリュック 蝶の軌跡2019年4月27日(土)- 6月16日(日) 東京ステーションギャラリー
 
ルート・ブリュック(1916-1999)は名窯アラビア(フィンランド)の専属アーティストを50年続けた人で、今回はその後晩年までの彼女の作品群が集められた日本初の個展だそうだ。
名前をきくのも初めてだが、こうして陶板を中心とした作品を見ていくと、フィンランド陶器の奥にあるデザインの世界に、少し分け入ることが出来るように思われる。
 
タイトルにある蝶はかなり写実に近い形に、鮮やかな色彩で、ここで一つの特徴と魅力が打ち出されている。興味深いのは鳥のシリーズで、他の西欧に見られる観察する人の人間性を垣間見ることが出来ない、むしろそれを排除した、人間には理解しがたい生き物という感じがあり、こういう距離がおかれた対象とその表現は発見だった。
こういうヴィジュアルな表現はついシベリウスの音楽と共通点があるように感じてしまうが、本当に何かあるんだろうか。
 
帰宅してからもしやと思い、あるコーヒーカップの裏を見たら「アラビア」とあった。やはりここはフィンランド陶器の代表なのだろう。

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