メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

スティーヴン・キング「ビッグ・ドライバー」

2013-11-29 21:42:16 | 本と雑誌

スティーヴン・キング 「ビッグ・ドライバー」 高橋恭美子、・風間賢二 訳 (文春文庫)

 

 スティーヴン・キングの中編二つ、「ビッグ・ドライバー」(Big Driver)と「素晴らしき結婚生活」(A Good Marriage) が収められている。

「ビッグ・ドライバー」は、そこそこに売れている女性推理小説作家が講演を依頼されての帰りに凶悪な男に遭遇し命からがら生きのびてからの復讐譚、「素晴らしき結婚生活」は幸福な結婚生活をすごし二人の子供も成人したのちに夫が実は殺人鬼だったと知ってしまった妻のその後、という話。このレベルまでは文庫の帯に書いてるから、ネタバレにはならないだろう。

 

作者はあとがきで「純文学はたいてい普通の状況下における異様な人々に関心があるが、、、私がより興味を持っているのは異様な状況下における普通の人々を語ることである」と言っているように、二つとも主人公は普通のマインドを持った女性である。それだからこそ、主人公が遭遇するものは読者にとっては驚きでああり、その先どうなるか想像力を刺激される。

 

その一方で、話の細部があまりにも偶然ぴたりと結びつきがちで、読んでいる方は現実感にとぼしくなることがある。エンターテイメントとしてはやむを得ないということなのだろうが、それにしても最近読んだいくつかのスリル・サスペンス小説に共通するところだ。

 

二つ比べるとどちらかと言えば後者かと思う。原文と比べたわけではないが、訳がうまい(みたい)ということもあるだろうか。

 


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洲之内徹と現代画廊 展

2013-11-28 22:29:12 | 美術

洲之内徹と現代画廊 昭和を生きた目と精神

2013年11月2日(土)-12月23日(月)  宮城県美術館

 

洲之内徹(1913-1987)が藝術新潮に連載した「気まぐれ美術館」の一部が新潮文庫で出た1996年にこの人のことを初めて知り、その後文庫で出た2冊を合わせて、ずいぶん多くの日本の画家を知った。ほとんど洋画で、たとえば松本竣介、佐藤哲三。

 

画廊主として、惚れ込んだ絵や画家に入れ込むといってもよい関心、付き合いがあったことは、その著作からもわかる。最後まで所有していたコレクション、それがここ宮城県美術館にまとめて収蔵され、その一部は常設展として、あるいは極めて小規模な企画展として公開されていたが、今回のようにそのほぼ全体と、洲之内と縁が深い絵を全国から集め、一堂に見せるというのは初めてだろう。洲之内の生誕100年ということだそうだ。

これからまた見られるかどうかわからないから、仙台まで日帰りで見に行ってきた。

 

洲之内にとって、絵はあくまで絵であるわけだから、ここにある絵について説明はなくてもとにかく見れば、その絵の持つものは何か感じられてくる、まさにそういう絵がほとんどで、しかもこれまで著作の中に写真が出ていたもの、画家の名前を知って出かけたいくつもの回顧展などで見たものもかなりあって、長時間それらの世界に浸ることができた。

 

これらの中には、ずいぶん有名で、おそらくいろんな展覧会に貸し出されるものもかなりある。たとえば長谷川潾二郎「猫」、海老原喜之助「ポアソニエール」、松本竣介「ニコライ堂」「婦人像」、中村彜「自画像」、萬鐵五郎「自画像」、靉光「鳥」、村山槐多「自画像」、野田英夫「メリーゴーラウンド」、林武「星女嬢」など。先日回顧展を見に行った松田正平も洲之内との付き合いなしには語れない。

 

吉岡憲、小野幸吉などの絵は、あまり見る機会がないから、今回じっくりと楽しんだ。 

 

直に初めて見たもので一つだけ挙げれば、重松鶴之助(1903-1938)の「閑々亭肖像」。左翼運動で検挙され獄中で謎の死を遂げた人の絵にしては、それは勝手な言い方だが、描く人物としてはなんとも不思議な下駄屋の主人(だそうだ)、洲之内の著作で小さな写真を見てそのどこが、と思っていた。だが、実物をじっくり見て、なるほど、このちょっと気持ちの悪い現実感はなんだろう。忘れられないものとなった。

 

なお、以前やはりこの美術館で小規模な展示を見た時は、常設展の一部という扱いだったのだろうか、ミュージアムショップにも薄い小冊子しかなく、コレクションの全貌を収めたものがほしかった。今回は期待どおり、とても親切で丁寧な図録が作られており、いつでも自宅で参照できる状態になった。図録の常として、こんなに立派なものでも2,200円、いずれレアになるだろう。

 

それにしても「気まぐれ美術館」シリーズ3冊が新潮文庫で長く絶版であり、4冊目も出ていない。どうしてか。


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マスターズ水泳

2013-11-25 21:08:50 | スポーツ

昨日、東急系のマスターズに参加した。今回は横浜国際プールの短水路会場。

このところ続けて100m個人メドレーで出ていたが、今回は練習不足もあり、気楽に出られそうな平泳ぎで100mに出た。この距離の平泳ぎははじめて。

 

飛び込みスタートもまずまず、あせらずひとかきひとかき体をよく伸ばして泳げたとは思うが、普段と違いターンでどこもつかめない(ルール上はあたりまえだが)こともあり、キックでの再スタートの勢いがなく、それでタイムロスがあったと思う。

 

タイムは予想と近かったのだが、やはりというか問題でもあるのは同じ距離の個人メドレーよりこっちの方がいいこと。

もともとスイミング・スクールに入る前から唯一平泳ぎだけ50mは泳げたように、相性がいい得意な泳ぎではあるのだが、それにしても他の3種目は25mまともに泳げば平泳ぎよりは速いのに、これはどうしたことか。

 

おそらく、途中で泳ぎが変わるとリズムも変わるし、疲労もあるのだろう。本来は、4種目とも100m泳げないといけないという説もある。

バタフライ、背泳ぎまでいけば、あとは平泳ぎ、クロールとなんとか最後までいける、ということではじめたけれど、背泳ぎはあまり得意でなく、泳ごうと思えば100は泳げるだろうが、バタフライはこれまで最長で75mしか泳いだことはない。コースを一つ独占でもできないとこれを試すことできないから、普段の25、50をで来るだけ省エネで泳げるようにするしかないが。

今後の課題でもあり、楽しみでもある(?)。

 

このプール、本格的な施設であるのはいいが、たまにこういうところに来る素人にとっては、競技前後の動きが大変で、疲れる。

 

一方、記録が出やすい高速プールとのこと、確かに水温はスクールなどと比べると少し低い29℃で、水をキャッチしやすい感じはある。

 

さて、そんなに力んでないはずだったが、終わった途端に腿がばんばんに張っていた。おそらく無意識に力が入っていたのだろう。

トップクラスのスイマーで、1日に複数のレース、それらの予選に出る人がいるけれど、桁違いのスタミナである。


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沢木耕太郎 「流星ひとつ」

2013-11-20 22:18:07 | 本と雑誌

沢木耕太郎 「流星ひとつ」 新潮社 2013年10月

 

藤圭子(1951-2013) に沢木耕太郎が長時間インタヴューし、二人の会話以外なにもないという実験的なノンフィクションである。

 

藤圭子は十代でレコードデビュー、20歳頃に結婚、すぐに離婚、1979年に引退する。これはその引退直前のインタビューである。若くして引退とはいえ、この世界で一通りのことは体験しているかたら、一人の人間として、この世界で生きていくことについて、本質をついて多くの事象が語られている。

 

歌でなにかを表出することについて別に意識的ではなく、本能的に歌ってきたように言っているが、こうしてあとから語ることになると、その描写も分析も読んでいて正確なようだし、歌うということ、歌い続けるということが、自然に、納得されてくる。頭がよく、適切な言葉を選べる人である。

 

また、自分の持ち歌、その歌詞について語ることばが面白い。

 

引退を決心した原因は、喉の手術、それもしばらく休みをとればおそらく治癒したであろうが、長く休むわけにいかず、思い切って手術したら、おそらく医学的には成功だったのだろうが、声が楽にきれいに出るようになってしまい、抵抗感があるところから絞り出すと出てくるあの声が出なくなった、軽くきれいな声が出せるようになってしまった、それが自分としてはしっくりこない、というものだそうだ。

 

それでやめるのがもっともかどうかわからないが、彼女にこう語られると、歌を歌うことの不思議は受け取れる。 

 

彼女は彼女なりにまっすぐで、それは自己に偽りのないこと、そこは確かなようで、特に最近は歌というものついて考えさせられるところがあるから、一つ一つの会話が、すっと入ってくる。

 

引退した直後でも出版できただろうが、そうしなかった訳は後記に書かれている。8月に亡くなって、短期間でこの本が出たから、あの沢木としては何かキワモノでは、という感じをもっていたが、そうではなかった。  

 

題名の「流星ひとつ」、彼女が死んでしまったときまさに思ったことも「あっ、いってしまった」。

 


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宮 芳平 展

2013-11-13 21:08:36 | 美術

生誕120年 宮 芳平 展  -野の花として生くる。

練馬区立美術館 2013年9月15日(日)-11月24日(日)

宮 芳平 (1893-1971)は、名前もまったく知らない画家だった。こうしてまとめてみることができるのはありがたい。

中村彝や村山槐多と交流があったらしく、そういう雰囲気はある。しかし彼らのように切迫した感じはない。それでも、展覧会の広告などからすると素朴、朴訥な画家と思っていたが、こうして見るとどうして多彩で破天荒なところもある。

 

かなりいろんな画家や描き方に影響されていたようで、はっきりそれとわかるものを試行したものもある。

 

この人のいいところは、一つ一つの絵が、本当はどのくらいの時間をかけたのかわからないのだが、対象を細かく分析、再構成というよりは、見た瞬間の印象を大事にしているように見えることだ。そう、こう見えたのだろうな、と見ていて素直に感じられる。

 

それでいて、思い切ったユーモア、怪奇なるもの、など。 

 

この美術館はこのところ一年に一つはなかなかいい企画、それもレアなセンスがよいものをやるが、今年は「牧野邦夫展」に続いて二つ目だ。

 


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