メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ワーグナー「ジークフリート」(メトロポリタン)

2012-12-30 11:27:33 | 音楽一般

ワーグナー:楽劇「ジークフリート」(ニーベルングの指輪第二夜)

指揮:ファビオ・ルイージ、演出:ロベール・ルパージュ

ジェイ・ハンター・モリス(ジークフリート)、デボラ・ヴォイト(ブリュンヒルデ)、ブリン・ターフェル(さすらい人(ウォータン))、ゲルハルト・ジーゲル(ミーメ)、エリック・オーウェンズ(アルベリヒ)、パトリシア・バードン(エルダ)、ハンス・ペーター・ケーニヒ(ファーフナー)、モイツァ・エルドマン(森の小鳥)

2011年11月5日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場  2012年12月 WOWOW放送録画

 

指輪の中でこの「ジークフリート」はこれで終わりではないからハッピーエンドとはいえないが、それでも特に不安もなく、見ている方は歌唱と舞台を堪能できる唯一のものではないだろうか。

 

解説によると、第2幕の途中あたりで、諸般の事情により作曲が長期間中断、その影響か第3幕は特にオーケストラが凝っているとか。そして第3幕はジークフリートがブリュンヒルデを見出し、目をさまし、結ばれるところである。

ブリュンヒルデはウォータンとエルダの娘ということもあり、またあのワルキューレでもわかるとおり、ウォータンつまり神々の意図をうけ、その計画を理解し、理解しながら個別の場面ではそれに疑問を持って抗ってきた女である。そして、ジークフリートはウォータンがはからずも持ってしまった、半分期待し、半分嫌った系統・プロセスで出来てしまった孫(?)である。

 

親なし子としてミーメに育てられ、ミーメが鍛えられなかった剣の破片からノートゥングを作り直し、大蛇に変身して指輪と財宝を抱え込んでいる巨人ファーフナーをやっつけ指輪を手にしたものの、母を知らず、「恐れ」を知らないジークフリートが、この「指輪」の話をもっともよく理解していて、ウォータンの怒りに触れてしまったために火で囲まれ守られた岩山に眠らされたブリュンヒルデに出会ってからの場面は、指輪の中で、またワーグナーの音楽の中で、もっとも美しく充実したものの一つである。

 

鎧を切り開いて美しい女が現れたことの驚愕をそれで初めて恐れを知る。そして二人とも一目ぼれではあるのだが、様々な不安と疑いから逡巡する、特にブリュンヒルデの歌唱は物語のすべてを知っている処女という、複雑な設定だから、最後に結ばれ、わかったうえで「神々の終末」を叫ぶという、たいへんな音楽。また二人の気持ちがようやく通いあうところに流れるあの「ジークフリートの夜明け」のメロディー。以前からこの幕は大好きで、映像はなくてもいいくらいである。

 

ジークフリートのモリスは、主役の急病でピンチヒッターとして起用されたほとんどオペラ経験のない人らしいが、姿といい、表情といい、声の輝きといい、抜擢にこたえている。

ブリュンヒルデのデボラ・ヴォイト、「ワルキューレ」からの期待通りで、ジークフリートに対するときの輝く表情もいい。

ターフェルはラインの黄金からここまで、変化してくるウォータンを一人でやるというのは当たり前ではないが、今回のさすらい人もなかなかで、案外器用なひとなのかもしれない。

ミーメのジーゲル、この役はもっと狡猾で貧相なイメージだったが、それとは反対、長丁場ではこの方がいいかもしれない。

 

さてルパージュの演出、前二作の横に連なる長い板は、火で囲まれた岩山でようやく登場するが、今回はそれがいきたという感じではない。小鳥の3D映像は、会場で直に見たら効果的だっただろう。岩山の二人はあまり動かさないほうがよかったのではないか。それと目覚めからの動きの連鎖は少し前がかりになりすぎていないか。次の「神々の黄昏」には期待したい。

 

あと欲を言えば、指揮者ルイ―ジはヨーロッパでも実績があり、今回も特に悪いところはないのだが、やはり前の二つに続いてここはレヴァインで聴きたかった。彼のマーラーから連想しても、大仕掛けで効果たっぷりのところと、きわめて繊細なところと、うまく描き分け、こちらもそれに浸りきれただろう。

確か腰と背中の持病で無期限休養とのこと。あの体重が原因ではあろうが、晩年のカラヤンもそうだったから、指揮者はなりやすいのかもしれない。

 

ほぼ同時期にスカラ座でバレンボイムが「指輪」プロジェクトを進めているだけに、本人も残念にちがいない。

 

 


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glee/ グリー ザ・コンサート3Dムービー

2012-12-26 14:41:05 | 映画

glee/ グリー ザ・コンサート3Dムービー ( glee: The 3D Concert Movie 、2011米、87分)

監督:ケヴィン・タンチャローエン

リー・ミッシェル、コーリー・モンテース 他

 

TVドラマでシーズン1、シーズン2を見たglee(シーズン4まであるらしい)のメンバーによるライブ・コンサートのドキュメンタリー映画である。これを見ると、出演者が本当に歌っていることが、まずわかるが、見事なものである。

 

人気は熱狂的だが、この映画を見ると、特にファンとして様々な事由からコンプレックスを持ったり、差別されたりしている子たちが取り上げられていて、彼らがドラマの中でやはりいろいろ問題を抱える登場人物と重なっていることが、繰り返し指摘されている。

 

ドラマを見ていてすでに気がついたことだが、特に美男美女は多くなく、人種もホワイト、ブラック、アジアン、ヒスパニック、ジュー、また通常でない発育、脚の障害、肥満、ゲイ、レズ、ダウン症など、日本ではなかなかここまで集めて扱ったものはないだろう。

 

こういう集団がどうやって自信を持ちパフォーマンスを繰り広げるか、ドラマでもそれが中心になっているわけだが、こうして大きな舞台でやられると迫力は絶大である。そして音響が素晴らしい。

 

こういう均質でない集団を積極的に評価していこうということは、現在のアメリカが抱える問題ともろに重なっていることは明らかで、たんなる問題児を集めた学園ものではないだろう。

おそらくオバマの登場、彼の苦労と同期している。こういうダイヴァーシティの認知とそれにむしろ価値を認めていくこと、いわば第二の独立宣言といったら大げさだろうか。

 

なにしろ前の大統領ブッシュがなんとか勝ったのは、彼がスペイン語をしゃべれたからという話もある。

 

ところで、ここにはドラマに登場する個性的な先生たちは出てこない?と思っていたら、途中でなんとあっといわせたのが、シーズン1、2でたまに代理教師として出てきていたグウィネス・パルトロー、ドラマ同様ミニスカートで歌い踊る。こういうの好きらしい。


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プッチーニ「ボエーム」(ザルツブルク)

2012-12-21 21:51:30 | 音楽一般

プッチーニ:歌劇「ボエーム」

指揮:ダニエレ・ガッティ ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

演出:ダミアーノ・ミキエレット

アンナ・ネトレプコ(ミミ)、ピョートル・ベチャワ(ロドルフォ)、マッシモ・カヴァルレッティ(マルチェロ)、ニーノ・マチャイゼ(ムゼッタ)、アレッシオ・アルドゥイーニ(ショナール)、カルロ・コロンバーラ(コルリーネ)

2012年8月、NHK BS BS Pre 放送録画

 

今年夏のザルツブルク・フェスティバル、アンナ・ネトレプコのミミで期待していたが、やはりボエームは年末に見た方が雰囲気がと、これまで待っていた。

ほんとボエームは好きで、このところ久しぶりだが、何回も見ききしてきた。4幕全編2時間ほど、ほとんどメロディーは覚えているけど、こうして今回も年末に聴くと、悲劇ではあるが「生きていること、そして音楽があること、悪くない」と思えてくる。

 

いくつもの素晴らしいアリア、重唱があるが、とりわけ今回感じたのは後半の、つまり第3幕から第4幕フィナーレにかけてのオーケストラの素晴らしさ。指揮者ガッティは指揮台に上がって間髪入れず勢いのある音を出すけれど、これが効果的、そしてやはりウィーン・フィルを使っただけのことはある。

だから、ミミが息をひきとるところの、男たちのセリフだけの数秒、そしてそのあとオケが彼らに、そして聴衆に襲いかかってくるところはほんとに効果的である。

 

ネトレプコは今もっとも力があり、そしてコメディーもこなすチャーミングなひと、それだからもしかしてミミには元気すぎるかとの心配は杞憂だった。衣装のせいもあってかスタイルもいいし、どちらかというと私がこれまで聴いてきた比較的リリックなミミにくらべドラマティックな歌い方も十分に納得がいった。

 

他の人たちを聴くのは多分初めて、でも皆役にうまくはまっていて満足した。ロドルフォのベチャワは風貌も含め、いままでで一番いいかもしれない。パヴァロッティもトヴォルスキーもよかったが、ベチャワの現代的なのも、今の気分で浸れていい。

 

さて演出は、これまであまりにもつまりカラヤンからクライバー、そしていくつかのメトロポリタンなどでフランコ・ゼッフィレルリの演出は定番中の定番となっていて、それは納得はいくものだったが、そろそろほかのものでも、とおもっていたら、いかにも現代の舞台が出てきた。つまり装置も衣装も現代で、ストーリーや歌詞の細部とは対応つきにくいところはあっても、こういう何度も見ている人が多い舞台では、音楽に浸るには特に衣装などはその時はぴたりとくるのは確かで、だから昨今このたぐいが多いのだろう。今回も一応成功している。

 

また第2幕のモミュス・カフェのところは、あの二階建てのゼッフィレルリ演出とは全くちがった、今のアニメヒーローをフィーチャーしたもので、面白い。

でも、、、やはり最後に、ミミが落とした鍵をほんとうは早く見つけてしまったんでしょとロドルフォにいう件に対応する前半の部分は、もっと忠実にやってほしかった。

 

そして指揮のダニエレ・ガッティ、今まで聴いた中で、確実にカラヤン、クライバーに並ぶ名演!


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四百字のデッサン(野見山暁治)

2012-12-19 15:16:39 | 本と雑誌

「四百字のデッサン」 野見山暁治 著 (河出文庫)

洋画家の野見山暁治(1920- ) の絵はいろいろな機会に少しは見ていたし、特に好きというのではなかったけれども、レベルの高い人だと思っていた。そしてこの年代だから「日曜美術館」などで、コメントを求められることも多かったと記憶している。

しかしこの本のような優れたエッセイを書き、賞までもらっていたとは知らなかった。

 

観察と表現はいずれも卓抜だが、それは他の文章家のものとはずいぶん違う。画家だからというと乱暴な見方だけれど。

 

人間に対する観察は、文学的というよりは、冷徹なデッサンなのだろうか。いろんな人が出てくるが、こちらも名前を知っている人たちも多いけれど、容赦ない。この人の眼差しが冷たいとか暖かいというのではなく、おそらく画家として誠実なのだろう。

 

そして、表現の進んでいくところ、普通だとどこか対象となる人に気遣いをみせるのだが、ついにそれはない。でも書かれた人が野見山を憎むこともないだろう。

 

たとえば森有正、小川国夫。パリにおける森有正についてなんとなくこういう噂はきいていたが。

そして小川国夫については、こんなことを書いて、それが小川の作品集の月報に載せられているのだから、面白い扱われ方である。

 

もちろん自身の、特に子供時代、青年時代についても容赦ないが、自虐的ではない。結果として不思議なバランスである。 


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ブリテン「ピーター・グライムズ」(メトロポリタン)

2012-12-07 14:15:58 | 音楽一般

ベンジャミン・ブリテン:歌劇「ピーター・グライムズ」

指揮:ドラルド・ラニクルズ、演出:ジョン・ドイル

アンソニー・ディーン・グリフィー(ピーター・グライムズ)、パトリシア・ラセット(エレン・オーフォード)

2008年3月15日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場  2012年9月 WOWOW放送録画

 

聴くのも初めてだから、多分陰鬱で気がめいるだろうと思っていたが、こうして映像で見るとそれほどでもなく、さすがにブリテンの音楽特に合唱とオーケストラはよくできているから、近代の人間悲劇としては退屈はしなかった。

 

イギリスの海岸にある村によそ者らしいグライムズがやってきていて、漁師としては腕があるらしいのだが、手伝いに雇っていた少年が海で死んでしまい、そのことで裁判(どうも正式のものではないらしい)になるが、ここは無実となる。しかしそのあと、また雇った少年の扱いで、周囲を軋轢があり、高潮がやってきたときに二人は消えてゆく。

 

よそものへの無理解、しかしその主人公も仕事にあまりに自信があるためか意地が強すぎ、また少年の扱いも一方的、強圧的である。

このように近代人とその周囲の問題、必ずしも悲劇の主人公とも言えない自身にも問題がある、というテーマを結論を押し付けないで提示している。

 

ただそうはいっても、なんとなく物足りない気持ちが残るのは、女教師エレンとの交流がうまく描けていないことや、たとえばベルクの「ヴォツェック」と比べると聴衆としてわが身に引き比べてというところが少ないせいかもしれない。

 

主人公のグリフィーは長丁場を立派にこなしている。いかにも乱暴者の風貌が現代のビデオ映像だと損になってるが。

ラセットのエレンも役にぴったりである。

 

舞台装置、この大きな壁と、内容に合わせて開く窓、そして照明は効果的だ。

 

ところでこの1945年の作品の後、ブリテンは1956年の来日時に観た能「隅田川」に感銘を受け、歌劇「カーリュー・リヴァー」(1964初演)を作った。これは愛児をさらわれた母が狂乱してさすらったのちに子供の死を知る、というもので、何か「ピーター・グライムズ」と内容的に対をなすようにも見える。両方とも作曲者による自演録音がある。

 

幕間のインタビュアーは私の大好きなナタリー・デセイ、話の引き出し方がとてもうまく感じのよいものであった。


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