メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

シフラ in Tokyo 1964

2009-04-22 22:24:40 | インポート
「シフラ in Tokyo 1964」
ジョルジュ・シフラ(Georges Cziffra)(1921-1994)が、確か最初に来日した1964年4月23日東京のリサイタル録音。BBCから発売されたCDだが、BBCLEGENDSシリーズではなく、mediciMASTERSというシリーズになっている。
前半がショパンを幻想曲、ワルツ、即興曲、バラード、ポロネーズなど7曲、後半が彼の売り物であるリストの技巧的な4曲、という構成になっている。
 
リストは好き嫌いはともかく、この圧倒的な演奏はカタルシスをもたらすことうけあいで、文字通り手に汗握るものだ。
 
そして意外なのはショパンのしっとりしていてなかなか聴き応えがあることだろうか。シフラは来日の数年前、母国ハンガリーでの迫害から西に逃れてデビュー、評判になり、このときはそれを証明するものであったのだが、その後、特に日本ではこういう技巧派、そしてジプシー的とされる演奏は、ドイツのクラシックにもつらなるリストの正しい解釈とはちがうという論調が主流となり、際物あつかいに近いものとなっていた。
 
ただ、シフラが国籍を得たフランスなど、そうでもなく受け入れられたところもあり、日本でもプロの演奏家には彼が好きな人もいたようである。
 
フランスでもSenlis(サンリ?)というところに居ついて、古いチャペルを修復、そこで晩年に録音した「Les Rendez-vous de Senlis」という4枚組みのCD(EMI)でも、クープランやラモーを多く弾いておやと思わせ、ショパンはとってもいいアンソロジーになっている。
 
リストも、おそらくこの流儀につらなる先人の演奏もあっただろうし、楽譜を見て実際に弾けばこういう勢い、流れも出てくるだろう。そうではなくて、リストも古典派をベースにしたロマン派のクラシックという人たちのよって立つところは何なのか。それがコンセルヴァトワールというものかもしれない。もっとも、シフラのやり方だって音楽的な本能でもあるけれど、誰かがこうしたらと言って、それが継承されてきたところもあるだろう。
 
リストはどうしたかったか。
 
演奏会の会場はどこだったのか。東京文化会館?
ネット上でいろいろ検索してみたが、どうもみつからない。一般に古いコンサート情報は、意外に少ない。音楽事務所の記録のアーカイブなど、出来ないだろうか。
 
録音はあまりよいとはいえないが、おそらく客席でのものではない。NHKの「20世紀の名演奏」にここにも入っているリスト「半音階的大ギャロップ」があったっから、NHKではないかとも思われるのだが、何か契約上の問題があるのだろうか。
 
実はこの少しあと、5月9日(土)日比谷公会堂で、シフラは協奏曲を弾いている。岩城宏之指揮のNHK交響楽団。
リサイタルは聴いていないが、これは聴くことが出来た。というより、まだピアノを聴きはじめたころだったから、一つだけ行くとすれば協奏曲のほうが飛びつきやすかったのだろう。
このときのチケットはスクラップ・ブックに貼られて残っているのだが、プログラムもメモもないから、何が演奏されたか、判然とはしない。リストのピアノ協奏曲第1番は確かであるが、もう一つは何だったか。かなりの確率でチャイコフスキーだったとは思うのだけれど、これも検索してみたが、確かな情報はない。
 
この2日前の5月7日(木)には、アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団の「ラヴェルの夕べ」というオール・ラヴェル・プログラムを東京文化会館で聴いている。クリュイタンスの来日はこれ一度でしばらくして亡くなってしまったし、このオーケストラもなくなってしまったから、この機会は貴重であったし、この週は特別に贅沢なものであったわけである。NHKの録音がCDになっている。

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俺たちフィギュアスケーター

2009-04-21 21:22:41 | 映画
「俺たちフィギュアスケーター」(Blades Of Glory、2007年、米、93分)
監督:ウィル・スペック、ジョシュ・ゴードン、製作:ベン・スティラー、スチュアート・コーンフェルド、ジョン・ジェイコブス
ウィル・フェレル、ジョン・ヘダー、ウィル・アーネット、エイミー・ポーラー、クレイグ・T・ネルソン、ジェナ・フィッシャー
 
フィギュアスケートの男子シングルでアメリカ代表を競って同点優勝した正反対タイプの二人が表彰式で喧嘩し、永久追放になったが、追放はシングルだけという抜け穴を見つけ、なんと男同士でペアを組み、男女では出来ないわざで世界に挑む。その過程で、男女ペアによる妨害、追っかけ、うまくいかない下手くそな恋など楽しませてくれる。
 
男二人は、女癖が悪いマッチョタイプ(ウィル・フェレル)と奥手な二枚目(ジョン・ヘダー)という対照的なコンビ、エピソードのそれぞれを取ればそこそこだが、笑いながら見続けてあきない。
 
製作にベン・スティラーが入っていて、それだから見る気にもなったのだが、彼の趣味満載である。
 
先日、TBSラジオで町山智浩が、アメリカ映画にはもてない男のための映画というジャンルがあって、それを男が一人または二人で見に行く、そういう恋愛指南映画は日本にない、と言っていたけれど、そういえばベン・スティラーやジャック・ブラックがかかわったものには、その種のものが多い。
 
ウィル・フェレルはどこかで見たと思ったら、映画版「奥様は魔女」のダーリン、ほかにもこの種の映画にはよく出ているようだ。
 
この映画には、フィギュアスケート界の有名選手、元選手が数多くカメオで出ている。ただ、ナンシー・ケリガンとサッシャ・コーエンはすぐわかってしかもかなりきわどい扱われ方をしているのだが、IMDBで調べると出ているTV解説のスコット・ハミルトン、ジャッジのボイタノ、ハミル、ペギー・フレミングなどは、わからなかった。年齢と衣装の違いとはいえ。
 
もう一つ、この映画にはアメリカの金持ちやセレブ(マドンナとかブランジェリーナとか)がなぜああも養子を取りたがるか、そのわけの一つが明かされ、そして茶化されているのが痛快である。

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近代日本の美術 (東京国立近代美術館)

2009-04-10 21:37:00 | 美術
所蔵作品展「近代日本の美術」 (東京国立近代美術館、3月14日-6月7日)
 
近美の所蔵品展、何度もいっているけれど、このところ企画展のついでに見るのは体力的に大変になってきて、久しぶりである。
 
日本近代の代表的な作品をこれだけまとめて見ることが出来るのはここだけだから、今回も好きな作品との再会、今回初めて知る作家、作品など、楽しみは多く、充実した2時間、と一応はいうことが出来る。
  
ただ、何かもどかしい感じは残るのだ。今回の少し前から感じたことだけれど、フロアの仕切りが変わり、展示の区分とエリアがはっきりしたからか、集中して贅沢に展示しているカテゴリが見当たらない。散漫なのである。
 
確か踊り場というか中3階だったか、藤田嗣治、荻原守衛、舟越保武の好きな作品があった場所、横山大観「生々流転」を全部広げて見られるよう長く作った日本画の部屋、それらの面影はない。
 
おそらく、所蔵品も増えて、これまで陽があたらなかったものに場所を与えるとか、相対的に現代ものが増えてきたとか、事情はあるのだろう。それなら、そろそろ現代もの中心の国立美術館を東京に作っても良いのではないか。ここは日本のオルセーにはなりえても、日本のポンピドゥーにはなりえない。東京都現代美術館は、確か所蔵はなく展示のみだったはずだ。ただあそこは、天井も高く、照明の自由度も高いから、コンテンポラリーの展示には適している。
 
それでも、展示の出だしあたりにある、岸田劉生、関根正二、村山槐多、この3人はここのスターである。そして、久しぶりに見る土田麦僊「舞妓林泉」、また横山大観「瀑布図」の白で見せる滝水、菱田春草「梅に雀」の絶妙な構図。
関根正二「三星」、あらためていいなあ、と思う。確か左から姉、作者、好きな人、その眼がいい。恋人とおぼしき人だけが正面を見ているのは、画家の希望だろうか。
 
伊東深水の木版「対鏡」「春」、これらの赤い衣装の女性を見ていると、伊東と関根という幼馴染の友情関係は、洋画、日本画の違いを超えて、やはりと思わせ、気持ちがいい。伊東の絵を見て、関根のヴァーミリオンを思い出すのもいいものだ。
 
ただ、館のサイトで展示作品リストを見て、あらかじめ知ってはいたものの、これらの中に舟越保武、横山操の作品が一つもないというのは、何か間違っているのではないか、という気がするのである。作品もさることながら、この二人が戦後日本美術界に残した無形のかけがえのない財産を思えば。

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痴人の愛 (谷崎潤一郎)

2009-04-09 10:52:38 | 本と雑誌
「痴人の愛」(谷崎潤一郎、1924年)
作品の存在は若いころから知っており、映画化されたことも知ってはいるが、読むのは初めて。
   
三十歳近い一流会社の技術系会社員が、カフェで気に入った十代の娘に、身だしなみ、教養を与えようと、一緒に住まわせ、結婚するが、次第に奔放で発展家の彼女が手に負えなくなる。それでも、最後はその女としての魅力に負け、虜になり、崇拝屈服する。
これだけ有名な話であれば、大筋は想像通りである。しかし、関東大震災翌年にしてはその影響がなさそうな東京で、設定はその前なのかもしれないが、風俗描写もうまく、また男と女の本質を描きつくす腕はやはり抜群、そして新聞連載ということもあるとはいえ、読みやすいのも驚きである。
  
そしてこれは後年の「細雪」を読んだときにも感じたのだが、この時代の男と女の話であるにもかかわらず、どこかこの男が「近代」を、「西洋」をどう見て、それをどうしようとし、その結果をうけてどう生きていく、という風に、最初から最後まで読める。「細雪」では二女の視点がそれにあたる。
  
ここで、「観念」「文学」にはじまり、「本能」に耽溺し、そして終盤の描写では「美学」になる。「美学」のあたりを読んでいると、これはこのままあの「陰翳礼讃」になだれ込んでいきそうな雰囲気だ。
 
「陰翳礼讃」は読んでいるこちらも、わかっていながらひたすら純粋な「日本」へと傾斜していって、危ないと思ったものである。しかし谷崎は終戦をまたいで完成させた「細雪」で平然とそこを踏み越える、その一連の道筋が、今回少し理解できた。

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フロスト X ニクソン

2009-04-07 22:03:04 | 映画
「フロスト X ニクソン」(Frost/Nixon、2008年米、122分)
監督:ロン・ハワード、原作(戯曲)・脚本:ピーター・モーガン、音楽:ハンス・ジマー
フランク・ランジェラ、マイケル・シーン、ケヴィン・ベーコン、レベッカ・ホール、サム・ロックウェル、オリヴァー・プラット
    
任期途中で辞任したただ一人の第37代アメリカ大統領リチャード・ニクソン(1913-1994)が、辞任3年後に、イギリスのTV司会者デヴィッド・フロストのインタビューを受けた。それとその前後の話である。
 
フロストは番組で特に政治を扱うわけでなく、芸能、ゴシップなどが多く、その軽さで人気を持っていたらしい。
 
ニクソンは辞任したものの、有罪にはなっておらず、過失を認めたり、謝罪はしていない。フロストとしてはそれをなんとかしたい。
 
さて、ニクソンについてはすでにオリヴァー・ストーンが映画を作っているが、この映画はウォーター・ゲート事件そのものを描いてはいない。その後の話であり、別に政治的に、また政治学上、どうという話ではない。興味は、こういう場面で、こういう二人がどういうやり取りをし、どいういう戦いをするかにある。だから、ロン・ハワードが監督する気になったのであろうし、こっちも見に行く気になったのである。
  
後世の立場からは、一見勝敗は明白と予想されるが、そうでもない。やはりニクソンは手ごわく、なかなか味も魅力もあるキャラクターである。それに引き込まれそうになっていることに、フロストも気づく。
 
インタビューは4回に分けられ、おのおのの間に数日ある。4回目に向けてフロストが反撃の準備をするところからが、演出もスピードと力が出てくる。そこで勝負あるか、と思うと、、、というのがこの映画のみどころ。
 
私が見るに、最後のフロストのいくつかの質問には、この対談を完結させるためのしかけが入っていると同時に、それは結果としてニクソンが完敗しないように行ってしまうものがある。
 
最後のほうで、これはロン・ハワードの主張なのだろうが、メディアはあまりにも問題を単純化しすぎる、確かに欲しかったのはニクソンの一瞬の表情、ということが言われる。対談後に二人がまた会っていくつか言葉を交わすシーンは、この二人がそれとTVカメラの前がすべてではないことを理解していることが見て取れて、いいエンディングになっている。
 
ニクソンを演じるフランク・ランジェラがとにかく見ものである。メイクでそっくりに出来るとはいえ、その動作、しゃべり方、すべてがこの大変な過去を背負い、いまだ生きようとしている男を表現してあまりない。この人に今年のオスカーあげてもよかった。ハリウッドだから共和党ニクソンを好演したこの人にというわけにはいかなかったのだろうが。
 
フロストのマイケル・シーンも、比較されると気の毒だが、これはこれで好演。フロスト・チームの二人もいいが、ニクソンのサポート役のケヴィン・ベーコンの存在感が抜けている。 
 
もちろん話としてはDVDになってから自宅で見てもいいのだが、フランク・ランジェラの演技は、大スクリーンで見てよかったと思わせるものであった。こういう男の役で、そう思わせるのはめずらしい。
 
ケネディとの討論以来話題になった、服装、くせなどに関する話題も面白く、靴の話など、ジョークも多く、これが楽しめるのはアメリカだからだろうか。
  
 
さて、家族が集まったところでニクソンがピアノを弾くシーンがある。やさしそうな曲だが、彼が一応弾けるひとであることがわかる。クレジットで、ニクソン作曲ピアノ協奏曲第1番というのがあり、これがそうだろう。この映画はこういうところも細かい。アメリカに、英語に通じている人が見ればもっとあるのだろう。
そして弾いていたピアノが、ベヒシュタイン。わざわざ使うのだから、彼は本当にこれをもっていたのだろう。
    
一つ思い出したのは、確か駐日大使だったハワード・ベーカーが「私の履歴書」(日経)で書いていたと思うのだが、戦後の大統領にほとんどすべて間近で接していて、切れ者はだれかといえば、ニクソンとクリントン、と意外な答えだった。
クリントンはスキャンダルの印象が強くなってしまったが、(セシル)ローズ奨学金でオックスフォードに行っていることからも、半端な成績ではなかったらしい。この映画を見れば、ニクソンが切れ者だったと想像できる。

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