メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

最相葉月 「青いバラ」

2016-06-30 08:54:52 | 本と雑誌
青いバラ:最相葉月著、2001年5月 小学館、2004年6月 新潮文庫、2014年9月 岩波現代文庫
 
最相さんの本は「絶対音感」以来、主なものは読んできたが「青いバラ」はテーマがそれまでと違うと思ってしまったのか、そのうちという感じになり、気がついたときには入手困難になっていて、文庫化2回目にようやく出会った。
 
青いバラといえばサントリーがバイオ分野に乗り出して遺伝子工学を駆使し幻の青いバラを作り出した、というニュースが頭の中にあり、それに向かっての物語だと思っていた。
 
ところが、サントリーが「アプローズ」という青いバラを発表したのは2004年、本書の刊行より3年後であった。著者はサントリーも含めてこの不可能を意味する「青いバラ」に挑む人たちの活動を詳細に書いてはいるが、それが中心ではなく、主に日本の明治以来のバラの受容、海外との関係、バラと言う常に新しいものを生み出していく分野で遺伝子工学がかかわってきている、その流れを膨大な資料、多くのインタビューなどで、描いた。
 
その中心にいるのが鈴木省三(1913-2000)というバラの育種家で、海外からミスターローズと言われているひとである。とどろきばら園(名前は私でも知っている)を設立して多くの新種を作り出し、またその後は今も関東ではメジャーな京成バラ園で主役を務めた。
文庫で500頁、読むだけで大変で、細かいところは頭に入らないが、こういう内容だと端折るわけにはいかず、これだけ書いてしまうというのは著者の仕事に対する姿勢だろう。そこが好きだから、よく読んでいるのだが。
 
バラの種類にはもともと青の色素がなく、あとから注入してもそれが花弁に出て残るというメカニズムは?ということがわかるまででもずいぶん大変だったのだ、ということがわかった。そしてその追求がやまなかった背景にある育種家の熱意、愛好家、ビジネスなどなど、今後はこれらを感じながバラをみることになるだろう。
 
ところで年末に初めて行ったサントリーの小ホールにブルーローズという名前がついていた。サントリーホールは1986年のオープンだからそのころすでに小ホールがあったとしても、その名前はどうだったのか。ということで調べてみたら、2007年に改装したときにブルーローズとしたようで、アプローズ発表の3年後、これで納得した。
 
鈴木省三が出た都立(現在)園芸高校のバス停を時々利用する。いずれ季節のいい時に学校の周りを見てみようと思っている。
 
ところで我が家にはまめな手入れからは程遠い状態だが、一応何種類かのバラがある。本書の最後のあたりを読んで驚いたことに、鈴木省三が亡くなった2000年の国際バラとガーデニングショウ(西武ドーム)で、日本初公開の青いバラとして、イギリスのアマチュア育種家フランク・コリンショーが作出した濃紫の「ラプソディー・イン・ブルー」が展示された、とある。
 
おそらくその少しあとにやはり西武ドームで買ってきたのだろうが、この数年これが庭で咲き続けていて、その細い茎とは反対にかなり丈夫な品種のようで、日当たりが悪くても耐えるらしい。どちらかといえばやはり紫だが、この名を冠しただけに、ここまで来たのは大したものだったのだろう。名前もいい。ジョージ・ガーシュインは若死にだったが、作詞でよくコンビを組んでいた兄のアイラは長生きしたから、そっちの遺伝子が強いのだろうか。

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バタフライ(東急マスターズ)

2016-06-20 10:38:06 | スポーツ
昨日の東急マスタース、今回は年齢区分が一つ上がったこともあり、このあたりでこれまでやってみようかと考えていた50mバタフライにエントリーした。
 
バタフライはスイミング・スクールに入ってから最後になんとか出来るようになったで泳法である。これまでマスターズで参加した種目は、25m、50m、100mの平泳ぎ、25mの背泳ぎ、100m(25x4)個人メドレーで、バタフライはこのメドレーの最初で泳いだだけである。最初だからあとの3泳法を考えて泳ぐわけで、力の出し方など難しいといえばそうだが、とにかくバタフライに集中して泳ぐわけではない。
 
それに普段の練習でも、1コースに何人かいて、右側通行で順に泳ぐことがほとんどであり、50mだと往復だからすれ違いがあって、バタフライの場合はそこで必ず片手になる。したがって、50mで競技に出るのは一人だけコースを独占してで50mを泳げるめったにない機会となる。
 
そうはいってもこの種目でタイム狙いなどすれば、経験が少ないだけに最後はバタバタになるのは目に見えていたから、とにかくフォーム重視で、力まず、省エネを心掛けた。そのせいか、最後になっても心配する感じにはならず、ゴールした後、息も絶え絶えにはならなかった。
あらためてこうしたいい環境でバタフライをやってみると、その魅力は、背中から腰にかけてのうねりが感じられることと、手から頭を突っ込んだ後に前方に伸ばしていった時の下からみる水面の美しさだろうか。
 
終わってプールから上がったとき、傍にいた数年前のコーチに、「スタートの飛び込みがずいぶんうまくなりましたね」とほめられた。実はこれこのところ練習する機会がなくて、前回マスターズから1年ぶりのぶっつけ本番だった。まあそんなこともある。
 
ただ、この年齢でちょっと距離があるバタフライというのは、「まだこのくらい、チャレンジできる」という自分に対する「どうだ」感がないとはいえない。あまり調子に乗らない方がいいだろう。

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美女と野獣

2016-06-08 13:36:52 | 映画
美女と野獣(BEAUTY AND THE BEAST、1991米、84分)
監督:ゲイリー・トルースデール、カーク・ワイズ
脚本:リンダ・ウールヴァートン、音楽:ハワード・メンケン
声:ペイジ・オハラ(ベル)、ロビー・ベンソン(野獣)、リチャード・ホワイト(ガストン)、アンジェラ・ランズベリー(ポット夫人)、レックス・エヴァハート(モーリス)、ジェリー・ホーバック(ルミエール)
主題歌 劇中:アンジェラ・ランズベリー、エンディング:セリーヌ・ディオン/ピーボ・ブライソン
 
ディズニー・アニメの中で、子供のころ見たものは別として、より大々的に騒がれるものとなって以降のものとしては、一番いいのではないかと思った。
 
大人も観るものとしては、まず何度も映画化されたこのよく知られた話がベースになっているから、話の筋に違和感が少ない。この翌年の、先にアップした「アラジン」より出来は上である。アニメの作り方としては、アラジンでずいぶん変化している。進んだと言えばそうだが、アラジンは動きが早すぎるのと、眼がちかちかして、全体にうるさい。どうだ、すごいだろう、という感じ。
 
「美女と野獣」は絵と物語の進行が、もう少ししっとりしている。野獣が少し大きすぎるかというところはあるが、食器、家具などにされた昔の家来、使用人などの扱いがいいからか、なごむところがいくつもある。
最後の、野獣の変身(よみがえり)の絵は難しかっただろうが、味わいは良かった。
美女の絵は翌年のアラジンの王女とほとんど同じ。
 
主題歌も同じ作者だからアラジンと似ている。ヴォーカルとして聴けば今回のほうが印象は深い。劇中ではポット夫人をやってるアンジェラ・ランズベリーjが歌っているが、この人は1925年生まれで、これまでいろんな形の「美女と野獣」に出ているようだ。ポット夫人、とっても心温まった。
 
この話、王子がさまざまさな苦難と関係する人たちの手助けでよみがえるのだが、根本で似た話はいくつかあるようだ。

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