青いバラ:最相葉月著、2001年5月 小学館、2004年6月 新潮文庫、2014年9月 岩波現代文庫
最相さんの本は「絶対音感」以来、主なものは読んできたが「青いバラ」はテーマがそれまでと違うと思ってしまったのか、そのうちという感じになり、気がついたときには入手困難になっていて、文庫化2回目にようやく出会った。
青いバラといえばサントリーがバイオ分野に乗り出して遺伝子工学を駆使し幻の青いバラを作り出した、というニュースが頭の中にあり、それに向かっての物語だと思っていた。
ところが、サントリーが「アプローズ」という青いバラを発表したのは2004年、本書の刊行より3年後であった。著者はサントリーも含めてこの不可能を意味する「青いバラ」に挑む人たちの活動を詳細に書いてはいるが、それが中心ではなく、主に日本の明治以来のバラの受容、海外との関係、バラと言う常に新しいものを生み出していく分野で遺伝子工学がかかわってきている、その流れを膨大な資料、多くのインタビューなどで、描いた。
その中心にいるのが鈴木省三(1913-2000)というバラの育種家で、海外からミスターローズと言われているひとである。とどろきばら園(名前は私でも知っている)を設立して多くの新種を作り出し、またその後は今も関東ではメジャーな京成バラ園で主役を務めた。
文庫で500頁、読むだけで大変で、細かいところは頭に入らないが、こういう内容だと端折るわけにはいかず、これだけ書いてしまうというのは著者の仕事に対する姿勢だろう。そこが好きだから、よく読んでいるのだが。
バラの種類にはもともと青の色素がなく、あとから注入してもそれが花弁に出て残るというメカニズムは?ということがわかるまででもずいぶん大変だったのだ、ということがわかった。そしてその追求がやまなかった背景にある育種家の熱意、愛好家、ビジネスなどなど、今後はこれらを感じながバラをみることになるだろう。
ところで年末に初めて行ったサントリーの小ホールにブルーローズという名前がついていた。サントリーホールは1986年のオープンだからそのころすでに小ホールがあったとしても、その名前はどうだったのか。ということで調べてみたら、2007年に改装したときにブルーローズとしたようで、アプローズ発表の3年後、これで納得した。
鈴木省三が出た都立(現在)園芸高校のバス停を時々利用する。いずれ季節のいい時に学校の周りを見てみようと思っている。
ところで我が家にはまめな手入れからは程遠い状態だが、一応何種類かのバラがある。本書の最後のあたりを読んで驚いたことに、鈴木省三が亡くなった2000年の国際バラとガーデニングショウ(西武ドーム)で、日本初公開の青いバラとして、イギリスのアマチュア育種家フランク・コリンショーが作出した濃紫の「ラプソディー・イン・ブルー」が展示された、とある。
おそらくその少しあとにやはり西武ドームで買ってきたのだろうが、この数年これが庭で咲き続けていて、その細い茎とは反対にかなり丈夫な品種のようで、日当たりが悪くても耐えるらしい。どちらかといえばやはり紫だが、この名を冠しただけに、ここまで来たのは大したものだったのだろう。名前もいい。ジョージ・ガーシュインは若死にだったが、作詞でよくコンビを組んでいた兄のアイラは長生きしたから、そっちの遺伝子が強いのだろうか。
最相さんの本は「絶対音感」以来、主なものは読んできたが「青いバラ」はテーマがそれまでと違うと思ってしまったのか、そのうちという感じになり、気がついたときには入手困難になっていて、文庫化2回目にようやく出会った。
青いバラといえばサントリーがバイオ分野に乗り出して遺伝子工学を駆使し幻の青いバラを作り出した、というニュースが頭の中にあり、それに向かっての物語だと思っていた。
ところが、サントリーが「アプローズ」という青いバラを発表したのは2004年、本書の刊行より3年後であった。著者はサントリーも含めてこの不可能を意味する「青いバラ」に挑む人たちの活動を詳細に書いてはいるが、それが中心ではなく、主に日本の明治以来のバラの受容、海外との関係、バラと言う常に新しいものを生み出していく分野で遺伝子工学がかかわってきている、その流れを膨大な資料、多くのインタビューなどで、描いた。
その中心にいるのが鈴木省三(1913-2000)というバラの育種家で、海外からミスターローズと言われているひとである。とどろきばら園(名前は私でも知っている)を設立して多くの新種を作り出し、またその後は今も関東ではメジャーな京成バラ園で主役を務めた。
文庫で500頁、読むだけで大変で、細かいところは頭に入らないが、こういう内容だと端折るわけにはいかず、これだけ書いてしまうというのは著者の仕事に対する姿勢だろう。そこが好きだから、よく読んでいるのだが。
バラの種類にはもともと青の色素がなく、あとから注入してもそれが花弁に出て残るというメカニズムは?ということがわかるまででもずいぶん大変だったのだ、ということがわかった。そしてその追求がやまなかった背景にある育種家の熱意、愛好家、ビジネスなどなど、今後はこれらを感じながバラをみることになるだろう。
ところで年末に初めて行ったサントリーの小ホールにブルーローズという名前がついていた。サントリーホールは1986年のオープンだからそのころすでに小ホールがあったとしても、その名前はどうだったのか。ということで調べてみたら、2007年に改装したときにブルーローズとしたようで、アプローズ発表の3年後、これで納得した。
鈴木省三が出た都立(現在)園芸高校のバス停を時々利用する。いずれ季節のいい時に学校の周りを見てみようと思っている。
ところで我が家にはまめな手入れからは程遠い状態だが、一応何種類かのバラがある。本書の最後のあたりを読んで驚いたことに、鈴木省三が亡くなった2000年の国際バラとガーデニングショウ(西武ドーム)で、日本初公開の青いバラとして、イギリスのアマチュア育種家フランク・コリンショーが作出した濃紫の「ラプソディー・イン・ブルー」が展示された、とある。
おそらくその少しあとにやはり西武ドームで買ってきたのだろうが、この数年これが庭で咲き続けていて、その細い茎とは反対にかなり丈夫な品種のようで、日当たりが悪くても耐えるらしい。どちらかといえばやはり紫だが、この名を冠しただけに、ここまで来たのは大したものだったのだろう。名前もいい。ジョージ・ガーシュインは若死にだったが、作詞でよくコンビを組んでいた兄のアイラは長生きしたから、そっちの遺伝子が強いのだろうか。