メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

絵本読み聞かせ(2023年4月)

2023-04-29 15:27:58 | 本と雑誌
今月から新年度になった絵本読み聞かせ、年少組(1歳)はすべて初めての出会い、年中組(2歳)の多くは前年度からのなじみ。年長組(3歳~)は発育がいろいろ。
使った絵本は以下のとおり
  
年少
だるまさんが(かがくい ひろし)
くっついた(三浦太郎)
ととけっこう よが あけた(こばやし えみこ/ましま せつこ)
 
年中
だるまさんが
ととけっこう よが あけた
ぞうくんのさんぽ(なかの ひろたか)
 
年長
ぞうくんのさんぽ
かおかおどんなかお(柳原良平)
どろんこハリー(ジーン・シオン マーガレット・ブロイ・グレアム わたなべ しげお訳)
 
5年目になるとほぼ同じ月に同じものが使うことが多い。特に年少、年中はその段階の最初ということから、わかりやすくておもしろいという観点で選ぶけれども、なかなか難しい。
  
「だるまさんが」はもう超定番だけれど、これまで使うのは年少にとどめていて、年中だとやさしすぎるかなと思っていたが、このところ人気のある絵本は子供たちにとってもうよく知ってはいても、いやそれだから多分予想もつくし、おもしろがりやすくそれが楽しいのでは、と思い始めたので、今回は年中にも入れてみた。
  
年少組では発育度合でちがうけれど、わかる子は初めてでも喜んでいて、この絵本の威力を感じる。
 
年中組では驚いた。もうみんなよく知っていることは予想したが、進行にしたがって、だるまさんがつぎのページになるところでたおれたり、つぶれたり、のびてしまったり、おならをしたり、というところ、ページをめくったとたんおおきなジェスチャー入りでさけんでくれる。まあ楽しそうである。 
 
これは想像するに、自分たちで楽しさを再度呼びおこすのと、こちら読み手にサービスで反応する(無意識だろうが)のと、両方だろう。 

小学校以上のちょっと大人の絵本にも通じる感じとはちがう絵本の力、それはこういうことをやってみてわかるのかもしれない。
  
だるまさんシリーズ3冊はたいへんなベストセラーだが、作者のかがくいひろし(1955-2009)は美術教師活動のあと50歳くらいから絵本を発表しはじめ評価を高めていったが数年後に亡くなってしまった。でもこれから生まれてくる子たちに、おおきな喜び、楽しみを与え続けるにちがいない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビゼー「カルメン」(ヴェローナ野外劇場)

2023-04-23 10:14:14 | 音楽一般
ビゼー:歌劇「カルメン」
ゼッフィレッリ生誕100年 ヴェローナ野外劇場
指揮:マルコ・アルミリアート、演出・美術:フランコ・ゼッフィレッリ
エリーナ・ガランチャ(カルメン)、ブライアン・ジェイド(ドン・ホセ)、クラウディオ・スグーラ(エスカミーリオ)、マリア・テレーザ・レーヴァ(ミカエラ)、ガブリエーレ・サゴーナ(スニーガ)、ピアシオ・ピッツーティ
アントニオ・ガデス舞踏団、ヴェローナ野外劇場管弦楽団
2022年8月11、14日   2023年4月NHK BSP

ひさしぶりのカルメン、野外劇場だと大味かもしれずどうしようかと思ったが、ゼッフィレッリ生誕100年記念でこの人の演出・美術はどうだったのかということにひかれた。
 
ドラマとしてはカルメン、ホセ、エスカミーリオ、ミカエラの関係を見ていけばいいのだが、オペラとしてはセビリア、時代、その社会、民衆、闘牛場など、その中でのストーリーとして見せようというものだから、演出特に多くの人の動きと美術は見せようがある。
そこはゼッフィレッリで、カルメンははじめて見たが、あの見事な「ボエーム」に通じるところがある。
 
カルメンもボエームもあの時代、社会の人たち、時代の流れ・雰囲気のなかでの何人かのドラマということで、音楽の中でいきいきとしてくるのは確かだ。
この作品もたばこ工場、軍隊、闘牛、密輸団など、やはり色を添える以上のものがある。
 
野外劇場ということから音がどうかなと思ったが、さすが最近は録音、バランスが秀逸、現地で聴くより聴きやすいかもしれない。
 
配役だが、ホセのジェイドはもうすこしひ弱そうな感じもほしいがまずまず、ミカエラのレーヴァはホセを諭し迫る歌唱がいい。エスカミーリオのスグーラは長身、かっこいいというか、歌唱もカルメンがなびくのもねという感じ。
 
さてそこでカルメンのガランチャ、どうしても12年前のメトロポリタンのイメージが強く、あの時は歌唱もいいがとにかくあの美貌と男がころっといきそうな肢体、身振り、これ以上のカルメンがいるだろうか、と思ってしまった。
 
今回、歌唱は問題ないし、ホセを手玉にとるちょっと年増のカルメンはうまく演じているが、私の趣味からするとカルメンはもうすこし若く見えて実は内面は男よりかなり大人という方がいい。野外劇場だからアップの映像にフィットする表現にはならないのだろうが。
 
アントニオ・ガデスのダンスは楽しめた。
指揮のマルコ・アルミリアート、たしかメトロポリタンでよく見ていると思うが、こういう雰囲気だし、うまくやっていた。
 
ちょっと思いついたのだけれど、この作品で、男と女の関係は闘牛なんだろうか。
 
いろいろうるさいことをいうオペラ好きも、本当に好きなのは「椿姫」、「カルメン」、「ボエーム」という説があるが、多分そのとおりだと思う。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グルック「オルフェオとエウリディーチェ」(メトロポリタン)

2023-04-08 12:55:43 | 音楽一般
グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」
指揮:ジェイムズ・レヴァイン、演出・振付:マーク・モリス
ステファニー・ブライズ(オルフェオ)、ダニエル・ドゥ・ニース(エウリディーチェ)、ハイディ・グラント・マーフィー(愛の神アモーレ)
2009年1月24日 ニューヨーク・メトロポリタン
 
3年ほど前にシャンゼリゼ劇場の斬新な公演についてアップしたが、今回のメトロポリタンはそれより10年近く前、どちらかというと見やすい演出、といっても凡庸なのではなく、カラフルな衣装で楽しめるダンス、コーラスは後方、劇場バルコニー(3階くらい)のようなものに並べ、臨場感を出している。
 
オルフェオはカウンターテナーではなく、ここではメゾ・ソプラノ、いわゆるズボン役としてブライズが演じる。この形はよくあるようで、違和感はない。
 
前記の公演で本質的なところは気づかされたから、今回はグルックの優れたオーケストレーションを楽しみながら聴くことができた。はっきりした役は上記3人だけだから、追っていくのはやさしい。
 
ブライズは説得力ある表現だったし、ドゥ・ニースは声も容姿もふさわしかった。マーフィーのアモーレはもう少し不思議な(妖精というか)感じがあったらとさらによかった。
 
モリスの振付は退屈せずに楽しく見たが、もう少し大胆であってもよかったか。
この曲でレヴァイン?と思ったが、聴いているとやはり西洋音楽のオペラはここからという感じがして、聴いた甲斐があったと思う。
 
前記の公演についで、やはり男と女は、振り向く、振り向かないといや、ということが本質だろう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「証し」いくつか

2023-04-04 09:35:34 | 本と雑誌
先にアップした「証し」、他に気がついたいくつか。
 
ここでインタビューされた人の多くに先祖代々仏教で、親、祖父母が熱心だった人がいる。彼らの多くはそれに反発するわけでもなく、生きていく過程でキリスト教に出会い信仰に至ったようだ
 。
そして家が仏教だからというわけで多少は反対されるが、あまり後をひくということはない。また本人もいろんな経緯のなかで、仏教に傾いていったかもしれないということは言っていたり、知人の仏教についてもあまり反発はせず認めていることがあった。なかでも「親鸞」への共感は多く、中でも五木寛之「親鸞」を読んでという例が複数あった。
これ、なんとなくわかる。
 
他に、戦後の駐留軍の政策からいろんな派による布教が盛んに実施されたことは、想像以上であった。私の小中学校の時期、周囲で日曜学校、それに行く人たちは、かなりあったように記憶している。
 
救世軍については歳末に都心などで社会鍋を見る程度だったが、本書を読むと、その活動のいくつかは、貧困者などへの福祉支援、災害時の支援など、現在のいくつかの活動形態のモデルになっているように思われる。
 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最相葉月「証し 日本のキリスト者」

2023-04-02 11:54:29 | 本と雑誌
証し 日本のキリスト者
 最相葉月 著  KADOKAWA
「証し(あかし)」とは、キリスト者が神からいただいた恵みを言葉や行動を通して人に伝えること

本書の広告を見て次に書店で実物を見て驚いた。こういう本が出るとは思っていなかった。日本のキリスト者は人口の1.5%、きわめて少ない。
 
その一方、私にとって読書や音楽、絵画などでキリスト教との関連が出てくることは少なからずあった。とはいえもし私がキリスト教の信仰を持つとすれば、近親、付き合いなどで特に影響をうける信者がいるわけでもないから、聖書を読むなどのなかから頭の中で信仰にいたるという形なのだろうと考えていた。

その上で、ここで2016年からコロナ禍にいたるまで全国の教会をめぐり多くの信徒にインタビューし、135人の言葉をまとめたものを読むと、キリスト教とのかかわり、信仰に至る道のり、そしてその中での人生の波乱は、まったく想像を絶するものであった。
 
かなりの人たちには、神の、神の言葉が降りてきた経験があり、そこは理解しにくいが、そこから洗礼、また司祭、牧師を志すということは確かにあるらしい。
 
しかし読んでよかったと思うのは、信仰に関するもの以外に、この100年ちかく、全国いろんなところのいろんな境遇に生きた人たちの、読んでみるまでは想像もできない人生である。よくこんなことを経験しながら生きた、これは日本の文学、映画などいくら見ていても気がつかない要素が数多く、それは変な言い方だが凄い。
 
それもキリスト教の布教が盛んだった北海道、東北、長崎、奄美、沖縄などでさまざま固有の要素もあり、また小笠原では、知らなかったことだが、もともと日本の国籍を持たない外国人が普通の民だったわけで、戦後これまでのプロセスは大変だったらしい。またブラジルなど移民が関係した話にも驚かされた。
 
キリスト教というと、すぐに思い浮かぶのはカソリックといわゆるプロテスタントだが、後者にはいくつもの派があるらしいし、そのほかにも聖公会(英国教など)、正教(ギリシャ、ロシア)、救世軍など、これらの話もヴァラエティがあり、また人生との関わりが衝撃的なものが多い。
 
なにか近代日本の個人レベルにおける様々な苦難はこんなにあり、それにもかかわらず人たちは生き抜いてきた、という大きな感慨がある。
それにしてもこの内容で1000頁、分冊でなく全一冊、買って読む気になったのは著者が最相葉月だからである。この人の書く本はほぼすべてノンフィクション、詳細、膨大な調査がベースにあり、そしてあまりおしつけがましい主張はなく、調査内容に語らせるという感じだが、これまでに「絶対音感」、「青いバラ」、「セラピスト」、「星新一」など、多くを読んできた。私にとっては沢木耕太郎に続くノンフィクション作家といってよい。
 
本書の執筆についての苦労は著者自身の記述からもうかがえるが、ほかにもあって、それぞれの話者が自分で語る(かなり個性的な口調もある)という形をとっているから、その話は世代、地方、出自、経歴の他、さまざまである。それを、オリジナルは出来るだけのこしたまま、今の日本の読者が読めるような文章になっているのは、気がついてみるとたいへんなことである。著者がおこした原稿を各人に見せ承諾を取っただろう。さらにその上、こういう本にするにはそろらく「校正」でも問題は出てくるにちがいない。それらをクリアして、よくこの前代未聞の本を出してくれた。
KADOKAWAもこれを3,180円で出したのは英断? この著者ならある程度は売れる見込みがあったとしても。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする