メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

絵本読み聞かせ(2023年11月)

2023-11-30 16:41:44 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ(2023年11月)
 
年少
だるまさんと(かがくい ひろし)
いやだいやだ(せな けいこ)
でんしゃがきました(三浦太郎)
年中
だるまさんと
でんしゃがきました
ぐりとぐら(中川李枝子 大村百合子)
年長
ぐりとぐら
もりのなか(マリー・ホール・エッツ まさき るりこ 訳)
バスがきた(五味太郎)
 
「でんしゃがきました」と「バスがきた」は今回が初めて、そのほかは昨年ほぼこの時期に使ったもの。
年少組、年長組は何か月か幼い子が多かったと思う。この時期これで反応は少しちがってくる。
 
「だるまさんと」はシリーズ三作の最後で、ちょっとふざけすぎという感もあるところ、年少にはわかりにくかったか、年中だとじゅうぶん反応してくれたが。
 
「でんしゃがきました」は食べ物電車がつぎつぎとという趣向だが、絵は豪華でたのしいものの、てんこもりでくどい感じはある。それでも子供はなんとかという場合もあるのだが。
 
「ぐりとぐら」は意外にも今回あんまり反応がなかった。有名でよく知っているものでもよろこぶ場合もあるのだが。
 
モノクロで絵が地味な割に、集中してくれたのが「もりのなか」。男の子が森に入っていって、いろんな動物たちが「ついていっていい?」とききながらあとにつづいていく、というシンプルなもの。絵本と子供の世界のふしぎといえばそう。
 
「バスがきた」は背景に対しいろんなところでバスを降りる人たちがかなり小さいので心配したが、それはなく、頁の都度考えたのしんで反応していたようだ。
 
このところNHKで五味太郎の特集が数回あり、あらためて絵本への志向がほかのひととちがうなと思い今回これを使ってみたが、作者がいうおもしろさが第一ということ、これたいへんなんだが、あらためて感じたことであった。

 

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高樹のぶ子「小説小野小町 百夜」

2023-11-26 14:27:08 | 本と雑誌
小説小野小町 百夜(ももよ): 高木のぶ子 著  日本経済新聞出版
 
小野小町はいろいろなところにその名前が使われている。それも小町だけというのが多く、このように名前がなんらかの象徴それも多様な、品のよしあしによらずというのは珍しい。
 
著者は数年前に「小説伊勢物語 業平」で在原業平を描いた。業平については伊勢物語、古今和歌集などがあり、それらを素材として書いたのだが、業平と何人かの女性との歌を使ったやりとりを中心にしながらこの人のかなり大胆な行動を描いて読ませるところがあり、その一方でもののあわれもあり、こういう世界、かたちをはじめて見ることができた。
 
今回の小野小町は業平と比べると歌以外の情報がきわめて少ないから、そこは作者の想像力によるところが大きいが、読者からしてそれは成功しているといえるし、満足感もある。
 
小町は業平とほぼ同年齢、そこで業平との交流を想像して描いていて、恋の相手というよりは歌を極める同士という設定のようである。
 
小町は東北の生まれ、都からこの地を訪れた小野篁(たかむら)がほれた大町との間の子、篁はすぐ帰ってしまうが少女となって呼び寄せられ、宮廷の周囲に場所を得、歌の才能を発揮しながら存在感を増していく。
 
篁の義理のそしてかなりわけありの弟、眼をかけられた帝との間にいた宗貞(のちの歌人僧正遍照)、それらとの苦しさもある関係、その終末、あわれが描かれている。この小説としての流れは著者の創作だろう。幼時から輝いた時期、女性として円熟した時期、そして老い、その人間像はよくは知られていない小町を小説として生かしたということは出来る。
 
ただ業平の時は、女性との間、歌のやり取りからが基本とはいえ、かなり大胆でダイナミックな行動が物語としての面白さにつながっている。
それに比べると、小町の思い切った行動はほぼ一度で地味とはいえる。その一度の印象は強いが。
 
百夜(ももよ)とは笛の代表的な曲で、小町は幼時から笛を覚え名手であったが、都に来てからは女性は笛をしないものとされていたところ、この物語のここいちばんというところで吹かれる。

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横尾忠則 寒山百得展

2023-11-22 15:41:48 | 美術
横尾忠則 寒山百得 展
東京国立博物館 表慶館 9月12日(火)ー 12月3日(日)
 
横尾忠則(1936-)の作品をまとめて見たのは2002年東京都現代美術館の「横尾忠則森羅万象」だったと思う。この人のこと、作品はもちろん私も若いころから知ってはいたが、その奇抜さや気持ちの悪さ(大胆の裏返しだったか)で、そう積極的に見るまでいかなかったが、前記の展覧会でその中になにかあるなと思い始めた。
 
主にイラストレーターとして売れていた横尾が40歳を境に画家になろうとしたということを後に知ったけれど、それが表に出てきていたのかもしれない。
 
さて今回は古来名高い寒山拾得をテーマにコロナの期間閉じこもってたいへんなスピードで100枚近くをものした。1日に3枚描くこともあったようだで、TVの特集番組で語っていたがあまり念入りに密に描きこまず一気にということで、結果として自らのストレートな表現が、ということらしい。
それでタイトルが寒山百得となった。
 
たしか寒山はいつも巻物を、拾得は箒を持っていることになっているが、ここで多くは巻物がトイレットペーパー、箒は電気掃除機をはじめいろいろなもの(その中には魔女の箒も)、ということで、それに加え思いつきでとんでもない飛躍と連想を楽しませてくれる。
絵具はアクリルだろうか、みな派手で軽さのあるもの、一枚の絵の中、またいくつかのテーマに共通性のあるものなど、見ていてにはっとさせてくれた。
 
表慶館はひさしぶりだが、コンパクトな展示スペースと旧さが展示を効果的にしていたようだ。
コロナがなかったら生まれなかったと思うと不思議なものである。
 
来館者は意外に中高年が多かったが、考えてみれば画家は87歳、その誕生日の日付の作品が最後のものとなっていた。


 




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山田風太郎「あと千回の晩飯」

2023-11-20 09:27:38 | 本と雑誌
あと千回の晩飯 : 山田風太郎 著  朝日文庫
 
山田風太郎(1923‐2001)は流行作家でその名前をよく耳にしていたが、作品を読んだことはなかった。それが「あと千回の晩飯」というエッセイ集の評判をみて読んでみる気になったのこの文庫の奥付からしておそらく20年ほど前だろう。
表題部分は1994年に朝日新聞に連載されたらしいが、当時同紙を購読していたのに読んだ記憶がないのは迂闊だったのだろうか。
 
それはさておき、なにか読むものはないかと書棚をながめていて再読する気になった。多分私の歳のせいで親しみを感じるようになったのかもしれない。
 
著者は私とちがって、夕食時に飲み(ここは私も同じ)、夜あまりよく寝られずに朝また飲みだすという生活を続けていた、それでよくあれほどの多作をものしたと思うのだが、それで病を患い体調悪く、主に糖尿病で入院させられ、食事療法でなんとか血糖値も下がって(このあたりは素直に従う)相当痩せて(痩せすぎ)退院するがまたもとのような生活になり、というわけで不健康な状態。それでも無頼をいうような感じではなく、暗い感じでもない。
  
そんな著者が74歳で、そもそも人間は50歳くらいで子孫を残すことは終わり、15年くらいは子供の面倒をみるとすると(昔の元服が15くらいだから)65歳がある意味平均寿命だから、この歳まで生きてきたのはまずまず、あと千回くらいの晩飯(つまり3年くらい)だと思って、その献立でも考えてみよう、という考えで書き始めたようだ。
 
だから著者の食生活、飲酒生活、記録に残っている文豪の食卓などについても書いているけれど、それに加えて死生観、対社会など、自由におもしろおかしく書いているのがいい。これだけ売れた著者のポジションは相当なものだが、だからといって構えたところはなく、言いたいこと、自由な評価など、読んでいて楽しい。
 
夏目漱石、森鴎外の食卓は質実、少量(そのころはあるていど裕福でもこんなものだろうと著者は書いている)である反面、34歳で死んだ正岡子規が病んでいてもまあとにかく大食だったのには驚かされる。それだから日本の野球の草分けになれたのだろうか。
 
また江戸川乱歩の葬式(1965)の記述を読むと、当時の関係者、主に推理小説の世界の弟子などの名前が続々て出てきて、ああそうだったのかと思う。弟子筋に著者、松本清張、高木彬光、横溝正史、、、そして香典の額をどうするかの相談、公務員初任給が2万円ちょっとのときに5万円(いまなら50万円に相当)となったが、横溝正史は特に売れていたからか10万円だったそうな。やはりこういう世界は高額。
 
乱歩の二日後、著者が尊敬する谷崎潤一郎が逝去、この人は美食家だった。ちょうどそういう時代。
著者は79歳で亡くなった。

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メグレと若い女の死

2023-11-02 09:18:38 | 映画
メグレと若い女の死(Maigret、2022仏・ベルギー、89分)
監督:パトリス・ルコント、原作:ジョルジュ・シムノン、音楽:ブリュノ・クーレ
ジェラール・ドパルデュー(メグレ警視)、ジャド・ラベスト(ベティ)、メラニー・ベルニエ(ジャニーヌ)、オーロル・クレマン(ヴァロア夫人)、クララ・アントゥーン(ルイーズ)
 
ひさしぶりのパトリス・ルコント、「仕立てやの恋」、「髪結いの亭主」からどれくらい経ったか。
 
メグレシリーズはその存在とよく売れたということは知っているが、まだ読んだことはない。
もう引退が近い歳のメグレ警視、あるとき若い女の死体が路上で発見される。着ているものを調べるときわめて高価でレアな白いドレス、しかしその線からそれを着ていたのは地方からパリに出てきた娘ルイーズで、ジャニーヌという娘とアパートで同居していたが、ジャニーヌは離れていて、下っ端の女優、婚約、結婚が近く、その相手家族はかなり上の階級らしい。
 
一方、捜査の途中でメグレはやはり地方から出てきたベティに出会う。メグレと彼女のからみをなかなかうまく見せていて彼女は終盤の行方の鍵になる。
 
警察捜査もの、犯罪、ミステリーといい切れない、むしろメグレのときには行きあたりばったりに見える動き、それが暗めの映像と画角、動き、せりふで、雰囲気がうまく出ていて、パリに出てきた女の子たち、それに対するメグレの思い、でもそれを明にはださない、といった進行で、最後まで飽きさせない。
 
さすがルコントといったらそれまでだが、こういう映画でみる楽しみを提供するのはさすがで、最近の全般の動向とは一味ちがうなという感じ。
これの原作、あるいはシムノンの何か、いずれ読んでみよう。

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