メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

絵本読み聞かせ(2023年8月)

2023-08-31 14:19:54 | 本と雑誌
8月最後の日、親の実家に帰っていたりしていた子たちもようやく集まってきたようだ。

年少
はなびドーン(カズコG・ストーン)
だるまさんの(かがくい ひろし)
でてこいでてこい(はやしあきこ)
年中
だるまさんの
ガンピーさんのふなあそび(ジョン・バーニンガム さく みつよし なつや やく)
ねないこだれだ(せな けいこ)
年長
ガンピーさんのふなあそび
うきわねこ(ぶん 蜂飼耳 え 牧野千穂 )
ねないこだれだ
 
ほぼ昨年と同じプログラム
はなびドーン、年少にしては気楽に楽しんでいるようだ。
ガンピーさんのふなあそび、今年は年中も興味を持ってくれた。
 
うきわねこ、今年は絵、かたちも色もくいつきがよかった。今日は満月というはなしを入れることができたのは偶然とはいえ、興味を持ってもらえたのはよかったが、月にうさぎがいるというはなしをきいたことがないようで、そういう時代なんだろうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中 勘助「銀の匙」

2023-08-29 09:40:07 | 本と雑誌
銀の匙 中 勘助 作  
題名は若いころから知っていたが読んだのははじめてである。前に書いた荒川洋治「文庫の読書」にとり上げられていて、それではということになった。荒川はほんの一つ小さな話を紹介していたが、読んでみてその選択はなんとも秀逸だった。
  
「銀の匙」は中 勘助(1885-1965)が1913年に前編、1915年に後編を書いた文庫で200頁ほどの中編、主人公はおそらくこの時代の男の子、神田に生まれ小石川に移ったが、こどもどうしや家族内のやりとり、この時代のいろんな「もの」、風習、風俗などがえがかれている。ただ今回読んだ岩波文庫は注が少なくわかりにくいところもある。
 
それほど大きな展開はないが、細かい観察とていねいな描写が特色。
私の好きな「たけくらべ」(樋口一葉}ほどドラマの面白さがあるわけではないけれど、この時代のふつうの人たちのなさけが感じられるよさがある。
 
ところで「銀の匙」といえば、灘中学校の国語の先生が1950年代と1960年代、3年間この教科書だけで授業をしたことをきいている。選定教科書は一切使わなかったそうだ。
私も似たような私立校だったが、印象に残っている国語の授業はどちらかというと作品論、文学論だった。どちらがいいと一概には言えないが、一つの作品を徹底的に読むということのよさは確かにあるだろう。一つ一つの文章の読み方、それを通じて書き方も学んでいくと想像する。
 
文章の細かい読み方、書き方についてはあまり意識的になっていなかった。変わってきたのは中年を過ぎ谷崎潤一郎を続けて読むようになってからだと思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綿矢りさ「ひらいて」

2023-08-07 20:55:40 | 本と雑誌
ひらいて 綿矢りさ 著  新潮文庫
綿矢りさ(1984~ ) 2012年の作品
初期の「蹴りたい背中」からしばらくぶりの高校生の恋愛を描いた中編小説。
 
3年の女子生徒愛の一人称で書かれていて、彼女は「たとえ」という変わった名前の同級生男子を一方的に好きなのだが、ほとんど振り向かれない。あるきっかけで彼にはちがうクラスの美雪と数年前から知り合いで、男女のつきあいというより将来を話し合う友人という関係、しかし結びつきは強いということを愛は知ってしまう。
 
そこで愛は策を巡らし、美雪に近づき仲良くなる振りをして彼との仲を裂こうとするが、美雪を知るにつれ彼女と愛しあうことになってしまう。
 
この三角形は人工的ではあるけれど、そこは、前から知っているように、作者の優れて私の好きな文章で読ませ、説得力も感じさせる。
 
結末はちょっと混乱したところも感じられるのだが、登場人物たちの世代、生きることはこれから始まるということだろう。タイトルの「ひらいて」は象徴的に数回出てくるが、読み終わってみるとなかなかうまいネーミングだなと思う。
 
途中の会話の中に「春琴抄」(谷崎潤一郎)が出てくるけれど、私が好きな綿矢の文章、谷崎に通じるところがあると思っていたから、なるほど。

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プッチーニ「トゥーランドット」(メトロポリタン)

2023-08-04 09:24:45 | 音楽一般
プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン、演出:フランコ・ゼッフィレルリ
クリスティーン・ガーキー(トゥーランドット)、ユンク・エイヴァソフ(カラフ)、エレオノーラ・ブラット(リュー)、ジェイムズ・モリス(ティムール)
2019年10月12日 ニューヨーク・メトロポリタン  2021年11月 WOWOW
 
2019年のシーズン開幕でライブ配信されたもので、セガンにとっては初めての役割だったようだ。録画してあったのだが、なぜかそのままになっていた。
 
ゼッフィレルリが演出でこれを見るのは初めてかもしれない。彼が演出した「ボエーム」(指揮はカルロス・クライバー)はライブで見たことがあって感銘を受けたが、プッチーニの作品でボエームは音だけでも深く味わえるけれど、「トゥーランドット」はヴィジュアルの要素が入らないと難しいと思う。
 
話がかなり荒唐無稽なのもあるが、あの宮殿前の合唱とオーケストラの迫力ある流れはまさにゼッフィレルリとしてもやりがいがあって、特にこの人の衣装、美術の徹底が活きるところ。
この話、トゥーランドットとカラフの描き方は他の作品と比べて集中的ではなく、もう少し大きな広がりの中で進めていくように見える。
 
王女と先帝の専制体制ではあるものの、先帝の心配、役人の苦しみ、特にピン、ポン、パンが故郷を思い出してため息をつくところなど、映像と合わせてみた方がいい。
 
三つの謎ときがクリアされてしまい、それでもカラフの名前をめぐって、カラフの父チムールと従者の女性リューの葛藤が終幕まで続くが、以前からカラフを愛するリューが拷問されて名前をいってしまうのをおそれて自害してしまうところ、昔の話ではあるがどうも「身を退く」という感じで、台本でも工夫がほしかったところ。
 
最後は二人の口づけ、つまり男と女のシンプルな愛が勝つという答えで、これがこのオペラをこの位置に導いたのだろうか。
ユーラシアの様々な国、民族同士の軋轢がプライドと絡まっているのも考えてみたいところではある。
 
このオペラ、プッチーニ最後の作品で、これの初演を依頼されていたトスカニーニは、リューが死んだところでタクトを置き、作曲者はここで亡くなりましたと言って終わりにしたそうだ。
後にあらかじめスケッチを託されていた弟子が完成させた。
 
歌手は皆申し分ない。ガーキーが最後人間味を出してくるところもいいし、リューのブラットも共感を呼ぶ。カラフも王子としてのリリカルな歌が一途でタフなところをうまく出している。
モリスのティムール老、年取って演ずるのもいいものだ。
 
ところで、カラフといえば「誰も寝てはならぬ」、これはパヴァロッティ、と思い出して50年前のLPレコードを取り出してこの箇所を聴いてみた。メータの指揮、サザーランドのトぅーランドット、カバリエのリュー、ギャウロフのティムールという豪華キャストで、英デッカ録音。
パヴァロッティはリリカルというよりドラマティックで、もちろん美声ではあるが、その強さでトゥーランドットを圧しているようにも聴こえた。しかし久しぶり、楽しんだ。
 
セガンの指揮、この作品は合唱、オーケストラ合わせて大音響でドラマを雄弁に語ることが求められていると思うが、それが得意なメトだとしても、見事な指揮。
 
あと、この上演とは関係ないが、ディズニーの「アナと雪の女王」は「トゥーランドット」に影響をうけていると思う。

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする