メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

W杯2006ドイツ・ベスト16(4)

2006-06-29 22:30:48 | サッカー
ブラジル対ガーナ 3-0
ブラジルは相当ガーナを研究し攻めさせておいて裏をとったそうだ。それにしても結果は順当だろう。
ロナウドはこのゴールでミュラーの通算記録を更新した。
  
フランス対スペイン 3-1
これはスペインが攻めている時間帯が多かったのだが、今大会ゴール数が多いもののいざディフェンスがいいところとあたると最後にしとめる強さに欠けるのだろうか。
長い間言われていることだろうが、国内リーグ特にFWには海外のビッグネームが来るから、人材が育たないということはあるかもしれない。
また、バルセロナとマドリードは違う国みたいなところがあって、ナショナルチームに対する応援などの盛り上がりに欠けるとも言われているがどうなのか。
  
ベスト8がそろったが、準々決勝ドイツ対アルゼンチンは技術、戦術の面で見ものだろう。またブラジル対フランスは1998年フランス大会決勝以来の因縁だが、勝負は何で決まるのかというところに興味がある。
 
フランスはジダンの34歳誕生日の6月23日、彼不在(カード累積)であったがトーゴを破り第3戦でやっとグループリーグ突破を決めた。
ジダンに代わってキャプテンマークをつけて先制ゴールをし、またスペイン戦でも勝ち越しゴールをはじめとする活躍をした絶好調ヴィエラの30歳誕生日も同じ23日であった。
また翌24日はアルゼンチン対メキシコであったが、アルゼンチンのメッシ19歳、リケルメ28歳の誕生日でもあった。この日はまた中村俊輔、ルイス・ガルシア(スペイン)のやはり28歳の誕生日!
さらに言えば6月22日はあのプラティニ(フランス)の誕生日である。
 
こう見ると、世代の順で面白い。
因みに私の誕生日が6月23日である。

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W杯2006ドイツ・ベスト16(3)

2006-06-27 19:31:16 | サッカー
イタリア対オーストラリア 1-0
ロスタイム終了間際、トッティがPKを決めた。
予想も出来ない、いや4年前を考えればシナリオどおり、あまりに出来すぎた結末だ。
 
前半スコアレスというのは、イタリアにとってはそんなに珍しくなく、またオーストラリアにとってそれも監督ヒディングにとっては計画通りだったのではないか。これから得意の攻撃用交代カード3枚をうまくつかっていけばいい。
 
そこに、後半5分ほどでのイタリアDFマテラッティの一発レッドカード退場である。これは横から来ていたザンブロッタの正当なディフェンスによって相手が倒れたもので、レッドはちょっと、であった。
しかも後半開始からイタリアはFW1人交代しており、ここでもう1人をDFに代えたため、残りのカードは1枚となった。ここでヒディングが優勢になったとはいえるだろう。
 
このあとイタリアは無理をせずに耐える。後半最後までじたばたしたって疲れるだけ、延長になればなおさらである。
そして30分近くになる、延長を含めるとあと45分。ここでイタリアの監督リッピはきわめて普通の選択をする。すなわちデル・ピエロをトッティに代える。調子いまいちとはいえ、敵味方の疲れた選手と比べれば段違いの運動能力だ。
 
しかしトッティはあまりあせらず、自分をならしながら様子を見る。40分、ヒディングはようやく日本戦でも得点したアロインジを入れる。
ここでピッチ内イタリアのアズーリ達が考えたことは、ヒディングは延長戦に持ち込みたい、そしてあと2枚のカードでとどめを刺すつもり、あと5分ほどあまり無理をしてこない、これはチャンスだ。
 
そしてカンナバーロ以下のDF、ボランチのガットゥーゾ、ピルロなどがさっとラインを上げプレスをかける。あと数分がんばれば一度休みである。このマインドのそろった動きは見事であった。これが伝統であり、文化だろう。
 
何度もはねかえされ、ロスタイム残り30秒というところでディフェンスライン近くまで下がっていたトッティから左前に大きめのパスが出される。誰かいるのと思ったらそれはなんとそれまであまり前に出こなかったDFグロッソ、ドリブルでコーナー近く激しいタックルを受けたが倒れずこれがアドバンテージ気味になったのが良かった。ペナルティエリア内に入ってもう1回進路をふさがれ倒されたとき審判は笛を吹かないではいられない。
 
このPKを蹴るのはトッティしかないと誰もが思う。4年前日韓W杯の同じベスト16、彼は倒されPKをとったと思ったらエクアドル人審判にシミュレーションを取られ退場となり、最終的にイタリアは敗れた。
こういうとき人は決めるのだ。そう強く蹴れば。
ローマに生まれ、ローマのチームでは一流だが、全イタリアの戦いではいまひとつの内弁慶といわれた王子が、ようやくアズーリの雄となった瞬間を見ることが出来た。
 
ウクライナ対スイス 延長で0-0 、PK戦3-0
スイスは予選リーグから無失点でW杯を去った。
PK戦最初のキッカー シェフチェンコははずしてしまったが、スイスがまた次々とはずした。
 
シェフチェンコのようなFWやMFのファンタジスタはえてして終盤のPKを外す。精神的なものというより、多彩なキックを持っている彼らに疲労がたまったとき、何か不安定になるのではないのだろうか。ディフェンダーが普通のパスの蹴り方でやるほうが確実なことが多い。

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W杯2006ドイツ・ベスト16(2)

2006-06-26 22:41:57 | サッカー
イングランド対エクアドル 1-0
ニュースでしか見ていない。エクアドルは相手のミスによる好機をものにできなかったらしい。イングランドは苦労したが、ベッカムのFK一発、ペナルティエリア左外、もっともねらいやすい地点から、巻いてニアサイド下にカーブして落下。やはり飛び道具は強い。
 
ポルトガル対オランダ 1-0
500年前の大航海時代を背景とした戦争を思わせる。2人ずつ4人の退場者、16枚のカード。
前半23分、中央右のスローインからデコ、クリスチャーノ・ロナルド、デコ、中央のパウレタに入り、落としたボールを上がってきたマニシェが右に2人次々とかわしてシュート。
全部が見事。
 
このときのロナルドは大分前に右ももをけられ、今にも交代かと様子見のところであったが3人に囲まれながらよくデコにパスした。そのあとも、戦術的なパスをなんと左軸足の後から右足を回して前にパスという芸(ラボーナというらしい)を見せてくれた。そのあとすぐに代わったが、この若者たくましくなったものである。
 
この試合はレフェリングの失敗だろう。前半もっと言葉だけの警告をうまく使い、両チームを落ち着かすべきであった。
一点先にとったポルトガルの執念と我慢がオランダを上回ったということだろう。フィーゴも昔の名前でないことを示した。
 
準々決勝はイングランドとポルトガル、デコとコスチーニョがレッドなのと、ロナルドの打撲の状態が心配だが、イングランドもルーニーの1トップは必ずしも機能していなかったという。予想はしがたい。

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W杯2006ドイツ・ベスト16(1)

2006-06-25 22:04:23 | サッカー
予選リーグ、日本は対オーストラリア1-3、対クロアチア0-0、対ブラジル1-4であった。これについて今書くことはやめよう。ジーコの次の監督候補はオシムとなっている。
 
6月24日からベスト16同士の戦いが始まった。
ドイツ対スウェーデン 2-0
スウェーデンは予選リーグ最終戦しぶとく追いついて2-2の引き分けとなり、38年続いた対イングランド負けなし記録を更新したのだが、勢いにのったドイツ クローゼの開始早々続けての活躍(ゴールはポドルスキーだが)に対し、挽回は出来なかった。しかし、レッドカード退場で前半から10人になったとはいえ、そのあと試合を崩さなかったのはさすがであった。ブラジル戦の日本とは違う。ラーションがPKをはずさなかったらもっと面白かったが。
ともかくこのレベルの試合だと、ドイツは2点のあと3点目が取れれば勝ちだが、取りに行ってカウンターなんかで2-1にされると今度は浮き足立つ。だからバラックはじめミドルシュートの多用を続けた。これをしのぎながら落ち着いて機会をうかがったスウェーデンもなかなか見所があった。これでホームのドイツは完全に準備整った。
アルゼンチン対メキシコ 2-1(延長)
メキシコ先行、そしてアルゼンチン同点、これが前半10分少しを過ぎたところ、このあと双方削りあいながらも辛抱強い戦いが続いた。こういうのも見ていると何か感じさせられる。最後はアルゼンチンのテベス、メッシ、アイマールといった交代選手層の厚さが、効いたかもしれない。それが最後ロドリゲスの思い切ったロング・カーブ・シュートにつながった。
双方日本より平均身長は低い。
ほとんど自国リーグのメキシコ、そのなかでバルセロナのマルケス、ボルトンのモルヘッティ、彼らが確かに引っ張っていたのも印象的であった。
次はドイツとの対戦、これはどうなるか予想がつかない。

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わたしを離さないで

2006-06-17 19:14:18 | フィクション
「わたしを離さないで」( Never Let Me Go )(2005)
作:カズオ・イシグロ、訳:土屋政雄 (早川書房)

こういう書き方がありうるのだろうか。小説だからとっぴな形式もあるとはいえ、またこの作家が、という驚きがまずある。
 
物語は1990年代イギリスのとある地方にある少年少女が暮らす施設からはじまる。はじめから終わりまでここで生活した経験を持つ一人の女性の語りという形式が取られている。魅力的な語り口である。
 
少しずつだが、それでもここの人たちはクローン人間(複製人間)で、だから出自はなく家族もなく、子孫は作れず、いずれ臓器提供者になるか、その介護人になるかのどちらかであるということは、しばらく読むとわかってくる。直接的ではなく巧妙な書き方である。
読んでいくうちにあれっと思うのは、この人たちは通常持っている背景としての過去がないからかもしれないが、その運命をうらんだり、この見えているコースに極端なおそれを抱いてはいない。そのなかでそれでも人と人の関係があり、それがどう思われ、その結果どう傷つき、それに対処していくかが綴られていく。
 
読んでいくうち、これは臓器提供者の話としてではなく、読んでいる我々のことではないかと思えてくる。すなわち我々の中には何らかのコピーがいくつもあり、そして生きていく中で何かを提供し、誰かを介護し、という風に、様々に解釈できる。
おそらく作者はそういう読み方も想定して書いているにちがいない。  
あたかも、人が現在と未来のみを考え、どう生きるかに悩み行動するとすればどうなるのか、をえがいているようだ。
 
本作の二つ前「充たされざる者」(1995)は未読(存在を最近まで知らなかった)だが、他の「遠い山なみの光」(1982)、「浮世の画家」(1986)、「日の名残り」(1989)、「わたしたちが孤児だったころ」(2000)、これらにおいては何らかの過去の大きな存在、そして何らかの後悔、こういうものに人はいかに向きあい生きていくかということが、テーマの一つになっている。
 
それは母であったり、男女の愛であったり、戦時の姿勢であったりする。強い過去が問題であるから、物語の細部の書き方もリアリズムが要求される。もっとも前作では戦時の上海租界におけるキッズの話がどこかお伽噺風であり、変化を感じさせる予感はあった。 
本作の結末はその前作のようにあっと見事なという体裁はとらないが、納得はいく。勇気を与えられると言ったらおおげさだろうか。
 
原題の「Never Let Me Go」は、話の中に出てくるカセットテープに入っている曲名。「わたしを(このまま)行かさないで」である。行くことにはなる、過去には戻れない、しかしここにとどまっていたいこともある。

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