メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

プッチーニ「ラ・ボエーム」(メトロポリタン)

2015-12-30 21:23:38 | 音楽
プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」
指揮:ステファーノ・ランザーニ 演出:フランコ・ゼフィレッリ
ヴィットーリオ・グリゴーロ(ロドルフォ)、クリスティーヌ・オポライス(ミミ)、スザンナ・フィリップス(ムゼッタ)、 マッシモ・カヴァレッティ(マルチェッロ)、パトリック・カルフィッツィ(ショナール)、オレン・グラドゥス(コルリーネ)、ドナルド・マックスウェル(ブノア)
2014年4月5日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2015年7月WOWOW
 
久しぶりに、好きなボエームである。3年ほど前にもザルツブルグでの上演、についてアップした。演奏もよかったし、舞台を現代に設定した演出も受け入れられるものだったが、やはり時々は長期にわたって定番となっているゼフィレッリ演出を見たくなる。そしてこれはメトだから、やはり見栄えがしていい。
 
今回ミミ役のオポライスは、当日突然依頼された代役だそうだ。それも前日同じプッチーニの「蝶々夫人」のタイトル・ロールをやり、高ぶって朝まで寝つけず、ようやく寝た少しあとに電話でその日のマチネーで「ラ・ボエーム」のミミが急病、なんとかやれないか、ということだったようだ。
それを知っていても、そんな感じは微塵もない。想像だが、ちょっと暗めの声がそうなんだろうか。でも、透明感のあるミミより、むしろこういう方が、ドラマにあっているようにも感じる。最初に屋根裏部屋、雪景色の場面、最後の場面、まぎれもなくプッチーニでありながら、歌唱は透明感があるというよりいい意味でリリックよりドラマチックの方に少し振れている。容貌も似合っている。

グリゴーロのロドルフォは偉大なテノールという感じではないが、真っ直ぐな中に苦悩が感じられるもの。
そしてムゼッタのフィリップス、プッチーニはこのパートにもっとも際立った音楽を書いていて、それを十分に歌い出している。ムゼッタの苦悩は、ミミのそしてロドルフォの苦悩の前触れになっている。
 
ランザーニの指揮は、冒頭の場面こそ急ぎすぎに聞こえたが、そのあとはこの作品の魅力を十分に出していたといえるだろう。
 
さてもう40年近くまえになるけれど、「若い人はクリスマスから年末くらいは「ラ・ボエーム」を聴いてほしい」と、確か音楽評論家の三浦敦史氏が書いていて、その対象となっていたレコードがフレーニ、パヴァロッティ、パネライ、ギャウロフ、カラヤン指揮ベルリン・フィル、というちょっとありえないドリーム・キャスト。今にして思うと、こういうものを作らせてしまう力が「ラ・ボエーム」にはあるのだ。中でもプッチーニにベルリン・フィルというのは驚きだった。でもあの冒頭の屋根裏部屋で男たちが暖を取るために各々の創作を火にくべるところの音のパレット、ミミが息絶えロドルフォだけが遅れて気づきマルチェロの「コラッジョ」の後にオーケストラのすさまじい慟哭が聴く者を打ちのめす、これらはその後のボエームに大きな影響を与えたと思う。

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バート・バカラック自伝

2015-12-29 14:31:57 | 本と雑誌
「バート・バカラック自伝 ザ・ルック・オブ・ラブ」
バート・バカラック著、共著:ロバート・グリーンフィールド 奥田祐士訳
原題:Anyone Who Had a Heart:My Life and Music
2014年 シンコーミュージック・エンターテイメント
 
バート・バカラックは1928年生まれ、年齢と業績からすれば自伝が出ておかしくない。バカラックの音楽についてもちろん知ってはいるものの、より注意が向いたのは歌を習い始めてからで、繰り返し練習する甲斐があるものということになるとこの人の作品を手に取ることが多かった。もちろん長くコンビを組んだハル・デヴィッドの歌詞も印象深い。
 
本書はおそらく共著者によるインタビューをもとにして作られたものだろうが、関係者たとえばアンジー・ディキンソン(元妻)、マレーネ・ディートリッヒをはじめ多くから、かなり辛口のものも含めて証言を採録していて、バカラックという人そしてその音楽を多面的に知ることができる。
 
この人は一応クラシック系の教育を受けたと言えそうだが、その世界でそんなに一流(学校が)のコースともいえないし、飛びぬけた才能を見せたということでもないようだ。一方で学生のころからバンドのアルバイト、徴兵されてからは音楽による慰問担当(というのか?)をやり、朝鮮戦争終了あたりから少しずつ世に出てくる。
 
あれだけの、つまり70曲以上のトップ40ヒットがあり、アカデミー、グラミー、エミーなどで数多く受賞したのだが、本書を読む限り、才能で音楽が降ってくるという感じではない。それはハル・デヴィッドも同様で、二人で時間をかけ念入りに作り上げていった結果が多いようだ。そういうものなのかもしれないが、その中で何が違うのか、結局言葉にするのは難しいということか。
私生活ではかなり人の特に女性の出入りがあって、欲が多い人だが、そう悪い、不誠実な印象はない。生きていくエネルギーは大きいのだろう。
 
ところで、この数年で読んだ「キャロル・キング自伝」、「レッキング・クルーのいい仕事」などとあわせると、1960年代、70年代あたりのミュージック・シーン(ジャズをのぞく)にかかわった人たち、その相互関係はだいたい見えてくる。広いようで狭い感じもある。ニューヨークでキャロルとバートは、それぞれ共にやっていた人たち、関係するエージェント、出版社などが、通りのちょうど反対側だったらしい。
 
もう一つ、バカラックはフランスの作曲家ダリウス・ミョーに習っている。彼以外でも、アメリカのポピュラー、ジャズ系の人たちは、こういうヨーロッパから亡命などで米国に来た実力ある作曲家、あるいはその直の弟子に教育を受けた人が結構いるようだ。確かマイルス・デイヴィスもそうだったと思う。このあたりがこの国の音楽が力を持っている一因ではないだろうか。

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アルゲリッチ 私こそ、音楽!

2015-12-27 21:35:11 | 映画
アルゲリッチ 私こそ、音楽!(ARGERICH BLOODY DAUGHTER、2012仏/スイス、96分)
監督:ステファニー・アルゲリッチ
 
ピアニスト マルタ・アルゲリッチの映像、インタビューで構成されたドキュメンタリー映画である。ステファニーは写真家
・映像作家でマルタの娘、この作品の前にもマルタに関する映像作品を見たような気がする。
 
これまで知っているようでそうでなかった(とわかる)家族関係が、かなりあっけらかんと語られる。マルタがかかわった男性は有名な音楽家でもかなりいるが、ここではまずステファニーの父親のビショップ・コヴァセヴィッチ(ピアニスト、私が初めて知ったころはスティーヴン・ビショップといっていた)が出てきて、夫婦関係でなくなっても親しいことがわかる。それは私がよく知っているシャルル・デュトワ(指揮者)も同様で、だから別れた後だいぶ経ってから一緒にコンチェルトを録れたりしているのだろう。デュトワとの間にステファニーの姉がいる。驚くのは、デュトワとの前に、それも日本で有名になったころより前、すでに中国系の音楽家との間に娘をもうけていたこと。今回三姉妹とマルタが仲よく出てくる。マルタの母親はユダヤ系かつウクライナ系だったようで、よくも悪くも母親の影響が強いみたい。どうも母系家族、、、
 
そしてマルタは母であり娘であっても、妻ではないようだ。多くの男と仲よくなっているけれど、どちらかというと共同生活者としてらしい。
 
音楽の面でいえば、この歳になると、シューマンとベートーヴェンだそうで、それはなんとなく理解できる。また練習については人前での演奏の直前には、あまり練習しすぎないようにとのこと。なぜかというと、自分の真似はしたくないからだそうだ。そういえばかのホロヴィッツも、100回も練習すると本番が101回目の練習になりかねない、と言っていた。
 
細かいことで面白いことはここに書ききれないほどで、このピアニストが好きな人には退屈しない映画である。
ただ、ある年齢以降、ソロをあまりやらなくなった、特にリリースされる録音がほとんどないのは何故なのか、ということに答としてあてはまることは思いつかなかった。
 
それと今回の発見は、彼女が通常使う言語がフランス語だということだ。デュトワと一緒のころなら不思議はないが、コヴァセヴィッチのネイティヴが英語でも、娘たちや周囲が皆フランス語で、アルゼンチン生まれというところはほとんど感じられない。
 
ところでアルゲリッチの演奏を生で聴いたのは一回、1976年6月12日(土)東京文化会館である。予想通り大変な美人だが、ずいぶん無造作な動きで舞台に登場したな、と感じたのを記憶している。あれからもう40年!
曲目は、幻想小曲集(シューマン)、夜のガスパール(ラヴェル)、ピアノソナタロ短調(リスト)、いいプログラムだった。




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ルービンシュタインのラフマニノフ

2015-12-25 21:28:34 | 音楽
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、パガニーニの主題による狂詩曲
ピアノ:アルトゥール・ルービンシュタイン、フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団
1956年録音
 
年齢をかなり重ねてからルービンシュタイン特にショパンを気持ちよく聴けるようになってきた。そして、この人のラフマニノフはあまり聴いてないと思って、この1枚。予想にたがわずブリリアントなところと程よい深みのバランスがよく、気持ちよく聴ける。ラフマニノフはこうでないと、、、
 
ステレオ初期だが、このころの米国RCAの音は悪くない。フリッツ・ライナーとのコンビはありそうなものだがそうでもないらしい。ライナーというひと、うまいが渋いという感じはあるけれど、あのヴァン・クライバーンとの協演でもわかるとおり、この種のものは得意だ。これもそうで、2曲とも曲の魅力と迫力を表出してあまりない。
 
パガニーニの方を聴くのは久しぶりだが、今回あらためて第16変奏からあのサビともいうべき第18変奏に入るところを聴くと、感に堪えず、ラフマニノフの才能に感心するしかない。これってベートーヴェン「英雄」の変奏部分で満を持したように現れるあれ、その部分に匹敵するといっていい。


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ストックホルムでワルツを

2015-12-24 10:15:33 | 映画
ストックホルムでワルツを(MONICA Z 、2013年スウェーデン、111分)
監督:ペール・フリー、音楽:ペーター・ノーダール
エッダ・マグナソン、スベリル・グドナソン
 
モニカ・ゼタールンド(1937-2005)の名前には少し記憶があったのだが、歌手というよりは女優、それもグラビアなどビジュアルな面で有名だったのでは?という感じ。スウェーデンで最も評価されたジャズ歌手ということは知らなかった。
 
この映画はそういう彼女の半生を描いたもの。若くて女の子が一人いるが、歌手への思いが断ち切れずに離婚、うまくいきかけるがアメリカでは問題にされず、その美貌からの男性遍歴と酒で生活は荒れ、精神科治療も受けたようだが、なんとか抜け出し、幸運にも(?)かのビル・エヴァンスと共演、最後は平安を得るというもの。ストーリー展開もスムースで、気持ちよく見ることができた。
 
エヴァンスとの共演には有名な「ワルツ・フォー・デビイ」があり、この邦題もそこから来ている。この曲の名前がついているアルバムは持っているが、これに歌詞があったのは知らなかった。おそらく後でできたものだろう。彼女はスウェーデン語で歌っている。
 
モニカ役のエッダ・マグナソン、とにかくきれいでぴったりで、演技もまずまず。荒れた生活をしていた時期も含めてずっと見守ってくれたベース奏者を演ずるスベリル・グドナソンもいい感じで、最後にモニカと一緒になりそうな雰囲気が出ていた。


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