メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

クラッシュ

2006-07-29 17:25:30 | 映画
「クラッシュ」(Crash)(2004年、米、112分)
監督(単独ではないが製作、脚本も) ポール・ハギス
サンドラ・ブロック、ドン・チードル、マット・ディロン、ジェニファー・エスポージト、ライアン・フィリップ、ブレンダン・グレイザー、テレンス・ハワード、ダンディ・ニュートン
 
テーマとドラマのつくりに欲張った作品だが、見事な空振りである。
 
ロスアンジェルスで車の衝突から起こる人と人との衝突、まさにこのクラッシュから、関係があるともないともつかない様々な衝突が次々と描かれモザイクが出来ていく。皆、白人、黒人、アラブ、ヒスパニック、アジアなど相互人種間衝突の要素があるように見受けられる。
 
そしてドラマ半ば、これら見ている人からはあまり好印象をもたれない登場人物たちも、家族などに問題を抱えており、彼らも人間なんだ、と思わせる。
と、展開はここから少しずこれらクラッシュを乗り越える要素が出てきて、いくつものクラッシュはつながり始める。解決はつかないものの少し希望も見えてくるというところで映画は終わる。したがって想像したほど暗くも重くもない。
 
問題は後半希望を抱かせていくところ。たとえばマット・ディロン扮する悪の警官が事故現場に遭遇して女性を助けてしまうところ、ポスターに使われている場面である。いかにもヒューマン映画に出てきそうな平凡なきっかけであり場面である。ほかのクラッシュが良い方向に向かう場面も似たようなもの。
 
これではドラマにならない。この脚本はほとんど監督ポール・ハギスによるものだろうが、自分が作り出した登場人物、作り出した場面、筋について、それらがどういう力を持ちどっちに向かっているのか、それを観ながら進めるということがなく、はじめからの設計どおり頭でつくっているのではないだろうか。
 
ハギスは「ミリオン・ダラー・ベイビー」(2004)の脚本も書いていると後で知り、妙に納得した。あの脚本も同じく頭だけで書いたように思える。
 
今年のアカデミー作品賞を取っているけれども、おそらく多くの人種相互間の問題を抱えている米国では、これに投票しておくのもいいと考える人が多かったのだろう。その種の場面はこの映画の中にもあらわれる。ある意味で米国を移す鏡になりえているのかもしれない。
 
出演者の中では、裕福な黒人を演ずるテレンス・ハワードがうまい。ワル警官マット・ディロンの部下を演じるライアン・フィリップはもうけ役であった。
ライアン・フィリップの役は唯一皆と逆の経過をたどる。これでもう一つの視点が与えられ、作品全体にバランスが取れているともいえる。
 
なお今年のアカデミー賞、マット・ディロンはこの演技で助演男優賞にノミネートされ、ライアン・フィリップの妻リース・ウィザスプーンは「ウォーク・ザ・ライン 君につづく道」で主演女優賞を獲得した。
 
さて気がついたことだが、終盤いたるところでクリスマスの飾りつけが目に入ってくる。そして音楽とともに様々なエピソードによるモザイクが一つのまとまった動きになっていくように見えてくる。
この映画より前の「ラブ・アクチュアリー」(2003年、英)を見た人なら、どうしても比較したくなるだろう。ハギスとて知らないはずはない。
だが「ラブ・アクチュアリー」ではいくつものエピソードが持つ問題がほとんど男女間の愛ということもあって、それら愛そのものの持つ力が、終盤このモザイクを大きく動かし大団円に持っていく。映画としての出来はこちらが数段上だ。

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ドゥンガ

2006-07-25 21:31:24 | サッカー
ドゥンガ(42歳)がブラジル代表チームの監督になった。
1990年、1994年、1998年と3度W杯に出場し、後の2回はキャプテン、1994年は優勝、1998年は準優勝している。
 
ジュビロ磐田のファンだから、1995年~1998年彼がジュビロにいたときのプレーはよく記憶しており、いつかジュビロか日本代表の監督に来てくれればいいと思っていたが、後者についてはジーコの直後にまたブラジルのしかも監督経験ない人ということにはならないとは予想できた。
しかしいきなりブラジル代表とは。ブラジルもこのままではいけない、少なくともムードを変えないとということだろう。第一戦は8月16日オスロでの対ノルウェーとか。
因みに、ノルウェーは一度もブラジルに負けたことがない国である。
 
彼は闘将といわれているけれども、指導には長けているだろう。
日本サッカー界で名ボランチとよばれる選手はそういないが、その中に確実に入る名波、福西をそうあらしめたのには、ドゥンガの力が大きい。試合中によく怒られていた。
 
そして闘志を表にあらわす一方で、無駄な力を使わない高度な読みによる確かなポジションニング能力があり、ずるさという意味もあわせたクレバネスを持ったプレーヤーであった。
 
監督は結果がすべてであるから、今後どうなるかは予想できないが、楽しみではある。
 
本名はカルロス・カエタノ・ブレトルン・ベリ。
ドゥンガは愛称で「白雪姫」に出てくる七人の小人たちの一番年下に似ているということからついたそうである。

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キーシン/カラヤンのチャイコフスキー

2006-07-24 21:24:57 | ピアノ
レコード芸術8月号にエフゲニー・キーシン来日時のインタビューが載っている。
このなかで何故か1988年12月31日ベルリン・フィル シルベスター・コンサートでカラヤンとチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏が詳しくふれられている。
 
このときキーシンは17歳、カラヤンは晩年80歳であった。そのカラヤンはこの曲に関して調べたことから、通常速く演奏されすぎでありもっとゆっくり演奏すべきであると話したそうだ。キーシンはそれに賛同したが周りから注意しないとカラヤンも歳だからどんどん遅くなってしまうと言われ注意したそうである。確かにテンポを遅くとると、だれないようにするにはかなりの緊張とエネルギーを要するだろうから、高年齢の場合むしろつらいはずであり、ピアノ演奏などに顕著だが年寄り特有の癇癪が出たりする場合も多い。
 
この時の演奏はDVDでも出ているが(SONY)、BS生中継録画のビデオを持っているから久しぶりに見てみた。インタビューを読んで感じるというのも恥ずかしいのだが、以前見たときには若いながらカラヤンと共演しても堂々としていてなかなかいい演奏くらいの印象だったのが、改めて聴くとこれはただものではない。ゆっくりしたテンポ、堂々とした演奏だが、そのゆっくりした中できわめてテンション高くまた密度が持続し終わりまで耳が離れない。キーシンといえどもこのレベルの演奏には若さがプラスに効いたのではないだろうか。
 
カラヤンは背中がつらい様子が明らかだが、やはりそこはブルックナー、ワーグナーなどど並んで何故か生涯こだわり続けたチャイコフスキーである。ダイナミック、カンタービレ、暗さを帯びた表情など申し分ない。
 
シルベスターとはいえベルリンの聴衆のスタンディング・オベーションは長時間続いた。そして明けて新年ということからカラヤンはマイクをとり新年の挨拶をし、最後にキーシンを抱きかかえ、一緒にロシア語で「ノーヴイム ゴーダム」と締めくくった。
 
この新年 1989年の夏 カラヤンは生涯を閉じ、秋にはベルリンの壁が崩壊した。
 
(訂正: 初出の「ソビエト連邦崩壊」は1991年の誤り)
 
この演奏を聴いた後、思い出して1991年来日時のコンサート録画で30分ほど小品4曲を弾いたものを見た。
これも同様で、ショパンのスケルツオ第2番など何時までも浸っていたい演奏、特に映像だとスタインウェイを気持ちよく鳴らすということはこういうことか、という感もしてくる。
この中には、キーシンがよくアンコールで弾くリスト編曲によるシューマンの歌曲「献呈(君にささぐ)」がある。これをアンコールに選ぶ彼のセンスと気持ちが好きだ。

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ステップフォード・ワイフ

2006-07-23 22:17:40 | 映画

「ステップフォード・ワイフ」(The Stepford Wives) (2004年、米、93分)
監督 フランク・オズ   原作 アイラ・レヴィン
ニコール・キッドマン、マシュー・ブロデリック、ベット・ミドラー、グレン・クローズ、クリストファー・ウォーケン、ロジャー・バート、ジョン・ロヴィッツ

アメリカのステレオタイプの勝ち組スノッブをステレオタイプで皮肉った映画ではある。

TV局のプロデューサーとして成功したニコール・キッドマンだが度が過ぎてとんでもない失敗となり失職、局では格下の夫は休養と治療のため子供と一緒に彼女をコネティカットのステップフォードというセレブが集う一帯・住宅地に連れて行く。そこでは妙にきれいなアメリカ的生活が営まれ、妻はみな絵にかいたように夫に従順で、映画でも裏には何かあると思わせる。
 
話はそれが実はどういうしかけであり、そのしかけをもとにアメリカ的なものが批評され、たいした形ではないがどう乗り越えられるかというプロセスを、細かい部分を楽しませながら描いていく。
 
ニコール・キッドマンはこの地域に入ってからは見え方が強すぎという感じがするが、夫役のマシュー・ブロデリックでバランスはうまくとれている。
むしろこの種のドラマの常としては脇役のうまさがキーであり、そこは先輩でちょっとこの世界に疑問をもっているベット・ミドラー、その夫のジョン・ロヴィッツ、ゲイ役のロジャー・バートは文句なしだし、女達を取り仕切るグレン・クローズは期待にたがわない。しかしやはりここは男社会の長クルストファー・ウォーケン、この人の適度なあくの強さといかがわしさの絶妙な表現、これ無しには成り立たない映画であろう。
 
クリストファー・ウォーケンはこのところ、「隣のリッチマン」(2004米、ベンスティラー、ジャック・ブラック他)の謎のホームレス、「ドミノ」(2005米)の妙に軽いTVプロデューサーなど、コミカルな役で好調のようで楽しく得がたい人である。
 
こういう世界を皮肉る道具としては、ブランドの名前が出てくる状況が面白い。バナナ・リパブリックのカーキはニコールの夫がここへ来て初めて着たそうで、ゲイのロジャーが議員に立候補するくだりではドルチェ&ガッバーナ、グッチ、ヴェルサーチが捨てられ演説にはブルックス・ブラザーズで登場、女達にあきれられる。
また男達が集うホールの内装はラルフ・ローレンで、シャーロック・ホームズ風と言われているから、以前から予想していたとおりこのブランドは英国コンプレックスを下敷きにしていることが確認できる。
 
このアイラ・レヴィンの原作は1975年にキャサリン・ロス主演で映画化されており、本作はリメイクになる。キャサリン・ロスは特にステップフォードに行ってからはこの役にマッチしそうで、近々DVDが出るそうだから見てみよう。
アイラ・レヴィンは「ローズマリーの赤ちゃん」などかなりの売れっ子作家で映画化されたものも多い。
 
噂によれば、ニコール・キッドマンは後にこの映画に出たのを後悔したらしい。オスカーも取り、このところ社会的なもの演劇的に難しいものに出ることが多くなっている彼女としては、何か薄っぺらな感があったのかもしれない。
しかしいいこともあったようで、共演したベット・ミドラーと仲良くなり、2度目の結婚パーティーで彼女に歌ってもらうことになったそうだ。


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2番目のキス

2006-07-20 23:15:52 | 映画
「2番目のキス」(Fever Pitch) (2005年、米、103分)
監督 ピーター・ファレリー、ボビー・ファレリー
ドリュー・バリモア、ジミー・ファロン
 
大好きなファレリー兄弟の近作である。
キャリア・ウーマンでそろそろ結婚をと考えているリンジー(ドリュー・バリモア)が出あったのが子供達には人気があるが垢抜けていない数学教師ベン(ジミー・ファロン)、いままでにないタイプということから仲良くなる。このプロセスをあまり丁寧にやらずに、あとからエピソードを引用したりする作りはうまい。
 
しかしベンには大きな問題があり、それは子供のころ伯父の影響で好きになりその後相続したボストン・レッドソックスのシーズン・シート、そしてレッドソックス最優先の生活・人生スケジュールというわけ。こっちが1番目で彼女とのキスは2番目というのが邦題の意味だろう。
 
いつものファレリー兄弟ほどは、ギャグ連発というわけではないが、そこはレッドソックスいのちの人たちがまた笑わせてくれる。ベンのシート周囲の人たちが、なじまないリンジーやリンジーのためにシートを売ろうかとするベンを責めたりするせりふがまた面白い。
中ほどで少したるみがあるものの、終盤は一気にクライマックスに持っていき、笑いと涙で見事である。もっともこれは例の86年間ワールドシリーズで優勝できなかったバンビーノの呪いが解ける劇的なシーズン、その実話プロセスをかぶせたからでもある。 これは撮影中の偶然とか!
 
原作は、ニック・ホーンビイ「ぼくのプレミア・ライフ(Fever Pitch) (新潮文庫)。いずれ読んでみよう。
邦題のように元来は、サッカーのイングランド・プレミアリーグの話で、アーセナル第一という主人公が出てくるそうだ。
1997年にイギリスですでに映画化されており何とコリン・ファース主演である。彼は少しぶきっちょなところがあるから合うかもしれない。見てみたい。
ところでこのピッチという言葉は日本でも最近サッカーの放送でよく使われるが、アメリカで野球場にも使われるのかどうかはわからない。手元の英和辞典はちょっと古いが、(大道商人の)店張り場というのが近いか。
ニック・ホーンビイはこれがデビュー作らしいが、他にも「ハイ・フィデリティ」、映画がヒットした「アバウト・ア・ボーイ」などがある。
 
ところでファレリー兄弟といえば「メリーに首ったけ」(1998)の脚本、監督がまず印象深い。ついでに言えばドリュー・バリモアとメリー役のキャメロン・ディアスは「チャーリーズ・エンジェル」つながりでもある。
 
実はこのメリー、人生の岐路に立った時に方角を決める重要なファクターとしてサンフランシスコ49ers (アメリカン・フットボール)が好きということが出てくる。今回の映画とまるで同じパターンではないのだが、ファレリー兄弟の2つの作品がこうということになると、それぞれの映画からのメッセージとは別のことも考えたくなる。
つまり、人生で何か決めなければならないとき、何も宗教、哲学、まじめな原則などによらなければならないということもないんじゃないか、どこかのチームが好きだからという選択でも許されるかもしれないよ、という彼らの寛容。
 
この映画には何人かカメオ出演があるらしい。
始球式にボストンゆかりの作家スティーヴン・キングというアナウンスがあったので見るとへんなおじさんが球を投げた。館内で見ていた外国人が声を出して笑っていたので本当かもしれないと思って調べたら、どうも本人らしい。
 
2004年シーズン終盤のレッドソックス快進撃はヤンキース戦7点差をひっくり返すところから始まるが、このヤンキース7点目が松井秀喜のホームランで、映画でも節目となるシーンでラジオ放送に出てくる。
 
ドリュー・バリモアのプロデュースはこれが最初ではないが、このひと才能ありそうである。
 
ボストン・フェンウェイ・パークでは8回終了後におきまりで「スウィート・キャロライン」(ニール・ダイヤモンド)が流れ観客が大合唱するらしく、映画でもそのシーンがある。
この曲調はぴったりだが、どういうわけでこうなったのだろうか。
 

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