メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

オッフェンバック 「天国と地獄」

2019-12-30 17:46:32 | 舞台
オッフェンバック:喜歌劇「天国と地獄」(地獄のオルフェ)
ザルツブルク音楽祭2019
指揮:エンリケ・マッツォーラ、演出:バリー・コスキー
アンネ・ソフィー・フォン・オッター(世論)、マックス・ホップ(ジョン・ステュクス)、キャスリーン・リーウェック(ウリディス)、ホエル・プリエト(オルフェ)、マルセル・ビークマン(アリステ/プリュトン)、マルティン・ウィンクラー(ジュピテル)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・ヴォーカル・コンソート(合唱)
2019年8月12、14、17日 ザルツブルク モーツァルト劇場 2019年12月 NHK BS
 
数限りなく作られている「オルフェウとエウリディーチェ」をもとにしたドラマの一つ、といってもこれはかなり大胆なパロディで、ドイツに生まれ、ほとんどパリで活躍したオッフェンバック1858年の作品である。いろんな版があるようだが、これはおそらくパリ初演の2幕版で、フランス語が主体である。
 
オルフェとウリディスは仲が悪く、別れたいと思っているのだが、それでもウリディスの不倫相手を殺そうとしたら、まちがってウリディスが死んでしまう。しかしここで世論というキャラクターが登場、こういうものを作ってしまうところが才能というべきなのだろうが、世論は体裁を重んじ、ここは妻を連れ戻しに冥界にいくべきだと説く。世論に狂言回しらしいジョン・ステュクスが加わるが、二人並んでいる場面では、世論がフランス語でしゃべるとステュクスがドイツ語で同じことを説明する、といったシーンが続くから、これは上演と観客の状況を意識してのことなのか、オリジナルなのか今回の演出なのかはわからない。
 
このパロディ、本筋の話しより、冥界でのバカ騒ぎ、乱痴気騒ぎが延々と続くのが主体。こうなると生で見ているのなら楽しいかもしれないが、TVで見ているとちょっとくどく、うんざり感も否めない。
 
音楽も有名なあの序曲(といってもこの版では第2幕のフィナーレ前あたりで出てくる)はともかく、同じオッフェンバックの「ホフマン物語」と比べるといま一つだった。とはいえ、序曲相当の部分は、ダンスも含めこれはすごい(なにしろこれをウィーンフィルがやっているんだから)。
 
歌手では、とにかく出番が多く、高音を駆使して出ずっぱりのキャスリーン・リーウェックはたいしたもの。風貌はヒロインというより太ったあばずれという感を出していたが、演技の思い切りの良さも格別。
 
世論のオッターは、頭の良いこの人ならこのくらいはできるだろう。対するマックス・ホップはそれより走り回るところが多く、これはかなりなもの。
 
最後は、ほかのものと同様、振り向いたらだめというところで、ジュピテルの騒ぎのために振り向いてしまう。しかし、もともと別れたかったのだから、ということ。
 
おそらく1858年のパリは、こういう享楽的なもの、それに対する「体裁」の両面があって、それはその後現在まで、私見ではフランスではこういう見方はかなり強いと思う。この演出、特に衣装は、なんとも卑猥であって、ここまでやるかという感じなのだが、それはこの批評のため、ということだろうか。でもちょっとくどい。
 
そういえば、この対比はたとえば文字どおり映画「カンカン」の表の社会と裏のキャバレーの世界という構図に続いているのかもしれない。

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山本周五郎「季節のない街」

2019-12-29 09:37:42 | 本と雑誌
季節のない街 山本周五郎 著 新潮文庫
 
著者が「青べか物語」の翌年(1962)に発表したもので、形式は前著と同様、短編を集めた構成になっている。「青べか物語」が東京湾岸の浦安あたりを舞台にしているのに対し、こちらは内陸のあまり職業に恵まれていない庶民の、長屋がいくつかあるような街の話しで、時代は戦後、少しモダンなものや語彙も出てくる。
 
人間、こんな思い、行動、つながりで生きていることもあるのだなあ、と思うような話が続く。こういう切り取り方ができるのは、よほどの、執拗なそして透徹した観察力によるものなのだろうか。
 
前作より、男女の不思議な関係、その遷移がなんとも鮮烈(ここでは変な言い方だが)で、現代ならスワッピングみたいなもの、そして五人の子供の実の父親は皆ちがうが、だから暮らしていけないわけではないという話とか、、、
 
冒頭の、電車趣味の子をえがいた「どですかでん」、どこかで聞いたと思ったらそうあの黒澤明の同名映画のもとになったものである。映画は見ていないが。
 
あの名作「さぶ」の発表はこの翌年、流れるような著述、文章は上記2作によるスケッチを経てと思えなくもない。

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小さなデザイン 駒形克己展

2019-12-27 09:54:02 | 美術
小さなデザイン 駒形克己展
2019年11月23日(土)- 2020年1月13日(月) 板橋区立美術館
 
駒形克己(1953-)というデザイナー(といっていいのかな)は評価が高い仕事を多くしているようで、今回一覧して、あっこれもというものがいくつかあった。名前を知ったきっかけはちょっと別のところにある。
 
数年前から絵本の読み聞かせをやっていて、サークルでの勉強会、数人での保育園実習などの後、1年前からある保育園で月1回、1人で年少、年中、年長の3クラスに読み聞かせを続けている。プログラムを組む時は結構思案するのだが、特に年少はやってみるとなかなか選択が難しい。
 
そんななかで、「ごぶごぶ ごぼごぼ」という絵本が一部で評判になっていて、トライしてみた。この本の作者が駒形である。これは駒形が子供を持った機会に、胎児の時の見聞きから外界に接して感じる世界を想定して作ったものらしい。採用して、幼児に見せる前は心配であったが、やってみると大うけするわけではないけれど、関心は持続しているようであった。
 
この展覧会、タイトルにあるように、小さいものが多く、それも紙に穴が開いたしかけ絵本風(必ずしも絵本ではない)のものが得意なようで、穴と折りのかなり凝った絶妙なものが多い。
ファッション業界からもオファーが多いらしく、最近ではエルメスから小さいもののデザインが出ているようだ。
 
板橋区立美術館は改装のためしばらく休館していたが、きれいになった。戦前から戦後の日本人画家特に洋画について、キュレーションに特長があって、我が家からはかなり遠く不便ではあるが、年に一つくらいは見たいものがある。

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カラヤンの「運命」(1957)

2019-12-23 09:08:51 | 音楽
カラヤン指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン「運命」1957年11月3日 旧NHKホール
 
今年はカラヤン(1908-1989)没後30年、もうそんなに経ったかという思いがあるが、このところNHK交響楽団の定期演奏放映の一部で、1957年来日時の演奏が見聴きできる。これは12月15日のもの。
 
解説していた指揮者高関健はコンクールで優勝したのち数年カラヤンの助手としてその活動をつぶさに見たようで、そのもようは興味深かった。たとえば、「運命」は最初の四つの音の動機で全体ができているわけだが、その最初の一撃に非常に細かい指示があり、それは例のないものだったらしい。楽譜から見てこうならなければという分析、理解とそれを実現する信念というか、すさまじいものだったという。
 
そういう話しを聴くと、今回放送された第一楽章、第三第四楽章(残念ながら第二は入らなかった)の映像は本当に感動的なもので、その後よく言われた格好よさ、見栄えのよさ狙いなどとは全く違う、この音楽の解釈、実現に奉仕するまったく無駄のない動き、そうであるからこその美しさであった。あの両手が広がったときの大きな鳥のような動き、この時はまだ若かったからなおのことであったのだろうか。
 
今後、さらにいくつか見られたらと思う。12月22日には同日の「マイスタージンガー前奏曲」をやったらしい(これから録画を見る予定)。
 
上記の出だし、アインザッツで言えば、今まで聴いたもので印象的なものに、フィルハーモニアを指揮した「プロムナード・コンサート」(1960)の第一曲、ワルトトイフェルのあの「スケーターズ・ワルツ」で、頭のアインザッツ、オケの音が出る前に、なんとなく団員がすっと入っていく雰囲気が聴き取れる、こういう楽しみはなかなかない。
 
もう一つはベルリンフィルを指揮したメンデルスゾーンの交響曲第四番「イタリア」の最初、オーケストラの上に一瞬美しい音の雲がすっと浮かんだ感じがする。

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吉田都 引退公演 ラストダンス

2019-12-12 09:17:32 | 舞台
吉田都引退公演 ラストダンス
2019年8月7日、8日 新国立劇場 NHK BSPre (11月18日)
 
音楽系では、長いこと器楽が中心で、オペラもかなり聴いてきたが、ファンというほどではなく、バレエとなるとオペラの中で見かけるくらいだった。
それが、10年ほど前からだろうか、NHKで英国ロイヤルバレエのプリンシパルである吉田都のことがよく扱われるようになり、単に有名な作品の公演をそっくり観るのではなく、バレエのいくつかの要素を注意して、興味を持って見るようになってきた。
 
この引退公演は、彼女がこれまで共演してきたダンサー、またこれから新国立劇場の芸術監督になるということからか、トップクラスの現役ダンサーを交えたもので、私がよく知らないけれど有名なものも含め、そのさわりを中心に構成されていて、この世界へのイントロダクションとして楽しめた。
 
吉田や英国で活躍する外国人ダンサーたちはもちろんだが、全体として日本のレベルが(おそらく)きわめて高いのに感心した。国際コンクールで若い人たちが毎年入賞するのももっともである。
 
こうしてみるとバレエというのは、流れるような、またダイナミックな動きの見事さもさることながら、「静止」、「着地」の素晴らしさに見とれるものだなあ、と思う。
 
「シンデレラ」、「ドン・キホーテ」、「白鳥の湖」、「シルヴィア」など、そして有名なものらしいのだがこれまで知らなかった「誕生日の贈り物」(グラズーノフ)、「ミラー・ウォーカーズ」(チャイコフスキー)の二つは、この放送の前に見た公演までのドキュメンタリーでも、その次第を詳しく見ることが出来たから、味わいも深かった。後者がチャイコフスキーのどの作品からとったものかはわからない(検索したけれど)。
 
一つだけあげれば、最初のシンデレラ。吉田のソロで、シューズを取り出していつくしむ最後の場面、このダンサーにとってはガラスの靴だったのだろう
 
12月21日に再放送されるようだ。

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