メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

吉田拓郎 LIVE 2014

2014-09-23 21:10:00 | 音楽
吉田拓郎 LIVE 2014
7月22日 東京国際フォーラム WOWOW放送録画
久しぶりのツアーの最終日だそうだ。放送で多少編集はあっただろうが、曲の合間のおしゃべりはないといってよい。

淡々と「人生を語らず」、「今日までそして明日から」、「落陽」、後半は新曲をいくつか、という風に続いていく。
こうして聴いていて、多くが若い時に書かれたもの、それを今この歳になって歌っているという感はまったくない。これらの曲、特に歌詞は、その時その時の状況を反映しているとはいえ、その中でしっかり生きていくという姿勢に基づくものだからだろうか。

拓郎は若い時からラジオなどで、自分のことを「歌手」と規定していた。それはかなり意識的だったと思う。あんなに優れた作り手だったにもかかわらず。刺激的な印象を与えることもあり、プロテストする人と見られたこともあったようだが、すくなくとも音楽は音楽だった。
 
それを全体通して味わえた。

拓郎と同様に長い間地位を保っているひと、グループはあるが、とかくたてまつられ、大御所あつかいをされ、追従が多いけれども、拓郎の場合それがないのは、意外に地道な活動のせいだと考える。

さて拓郎は私と同じ歳である。何度か死にそうになったけれど、そのたびにどうかまだ死なないでくれ、と願ったことを記憶している。だからこれを見ることができ、聴くことができ、よかった。

バックバンドもそれなりの歳の熟練たちで、キーボードの武部聡志は若いほう、いろんなところでいつもいい仕事をしているけれど、その彼にしてこの日は一段と気合が入っていた。ギターの鳥山雄司という人は初めて認識したけれど、ソロで入ってきたときの輝きは聴かせた。

 

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ヴァロットン展

2014-09-16 21:36:48 | 美術
ヴァロットン展-冷たい炎の画家
2014年6月14日(土)~9月23日(火・祝) 三菱一号館美術館

 
久しぶりに行った美術展。フェリックス・ヴァロットン(Felix Vallotton)(1865-1925)はスイス生まれ、その後パリに出て、オルセーにはかなりたくさんの作品があるらしいのだが、これまでそれほど話題にされなかったようだ。それがなぜか近年評価が大きくなり、このところ展覧会に人気が集まっているらしい。

日曜美術館、「美の巨人たち」で見て、これなら全体を見てもいいかなと思った。
何か既成の題材、テーマ、解釈、手法などに納得がいかないのか、またどこか皮肉的に見ているところは確かにある。がそれはいやみというよりは面白さになっているのだろう。
 
こういう絵はフロイト的にしつこく解釈し、論じようとすれば出来るんだろうが、その一歩手前で感じる、楽しむところがここにはある。特に日本の浮世絵などの影響が強い版画など。

有名な「ボール」、「貞淑なシュザンヌ」など、物語の解釈は広がっていくだろうし、ヒッチコックなら映画にするかもしれないが、これはあくまで私の好みだが、もっといやらしいものになりそうだ。
その一歩手前で、いろんな可能性を見るものにゆだねるところで静止しているのがいい。


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ブログを引越しました

2014-09-15 11:15:12 | 日記
これまでブログ人にアップしていたメドレー日記、11月末でブログ人がクローズすることにともない、gooに引越しました。
内容などは特に変わらないと思います。

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ドニゼッティ「マリア・ストゥアルダ」(メトロポリタン)

2014-09-03 21:38:25 | 音楽一般

ドニゼッティ:「マリア・ストゥアルダ」

指揮:マウリツィオ・ベニーニ、演出:デイヴィッド・マクヴィカー

ジョイス・ディドナート(マリア・ストゥアルダ:メアリー・スチュアート)、エルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァー(エリザベッタ:エリザベスⅠ世)、マシュー・ボレンザーニ(レスター伯爵ロベルト)

2013年1月19日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2014年7月WOWOW

 

ドニゼッティのチューダー王朝もの3部作のひとつ、「アンナ・ボレーナ」に続くものである。前作のアン・ブーリンが処刑され、その幼子がエリザベス、スコットランドのメアリー・スチュアートを幽閉、メアリーが処刑されるまでの二人の確執、闘いが描かれる。

 

メアリーは最初から捕まっており、結末はほぼ想像されるから、勝負はドニゼッティの音楽、その演奏特に女声二人の歌唱ということになる。

メアリーは実際は相当悪いことをしてきていて、最後の懺悔にもそれは少し出てくるが、ここではシラーの原作をほぼ踏襲しそこはシンプルにしているようで、この運命にどう歌で立ち向かうかということになる。そうなるとディドナートには感心するばかりで、一瞬一瞬しみてくる。

 

一方エリザベスのヒーヴァーはこれがメトデビューらしいが、素直に作品に入っていったようにみえるところがむしろ成功しているようで、力いっぱいディドナートにぶつかっていて、それがいい。

 

それにしてもこの作品、メト初演だそうで、このところベルカントが充実しているところとしては意外である。ドニゼッティの中でも最高傑作のひとつだろう。コンパクトなプロットの中でのドラマ性、その音楽、ヴェルディでもこれに匹敵するものは少ない。

 

ベニーニの指揮、合唱も秀逸だった。

 

演出も無駄がなく効果的。最後の赤い衣装は血とイングランド?

 

さて話は現在、スコットランドは独立するのだろうか。


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檀ふみ「映画狂時代」

2014-09-02 10:51:46 | 本と雑誌

「映画狂時代」 檀ふみ 編 (2014年7月 新潮文庫)

 

女優であり、著述もあるからこういう本があって不思議はないが、著でなく編というところで、どういうものを選んでいるのか想像ができなかった。

映画を見ることが好きな人が選ぶ、ということから勝手に想像したものとは随分違っていた。

具体的な映画そのものというより、映画と人とのかかわりに関するものが主になっている。

武田百合子、谷崎潤一郎、江戸川乱歩、太宰治、内田百閒と並ぶと、渋いといえば渋い。

若い人では、私もファンである西川美和、それと三浦しをんは昔の世界を描いてなかなか楽しませる。

 

武田百合子が松本清張特集の情景を書いていて、その清張の「顔」も収録されている。[顔」はまさに映画がキーになっているが、本書の中ではこれだけ読んだ記憶がある。

ただ、清張作品は一時読んだあと、なにか出てくる人物が善悪は別として貧乏臭さばかりで、その後はなれてしまった。あの時代がそういうものだったということはわからないでないのだが。 

 

なぜ檀ふみが編者ということはあとがきの解説を読むとわかる。女優になったきっかけも。

 

さて壇ふみといえば「日本の面影」、1984年NHKのスペシャルドラマ(80分が4回)で、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の妻を演じたこれが記憶に残っている。ハーン役はなんとジョージ・チャキリス、最初は見逃し、だいぶ後に再放送で見たのだが、またやらないだろうか。

 


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