メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

リヒャルト・シュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」(ザルツブルク音楽祭2012)

2013-03-30 10:07:23 | 音楽一般

  歌劇「ナクソス島のアリアドネ」(リヒャルト・シュトラウス)

(第1部) 喜劇「町人貴族」(モリエール原作 ホフマンスタール脚色)
(第2部) 歌劇「ナクソス島のアリアドネ」

<出 演>
プリマドンナ/アリアドネ:エミリー・マギー ツェルビネッタ:エレーナ・モシュク
テノール歌手/バッカス:ヨナス・カウフマン 水の精/羊飼いの女:エヴァ・リーバウ
木の精/羊飼いの男:マリ・クロード・シャピュイ やまびこ/歌手:エレオノーラ・ブラット
ハルレキン:ガブリエル・ベルムデス スカラムッチョ:ミヒャエル・ローレンツ
トルファルディーノ:トビアス・ケーラー ブリゲルラ:マルティン・ミッタールツナー
執事長:ペーター・マティッチ ジュールダン:コルネリウス・オボーニャ
ホフマンスタール/音楽教師/ドラント伯爵:ミヒャエル・ロチョフ
伯爵夫人オットニー/侯爵夫人ドリメーヌ:レジーナ・フリッチ
作曲家:トマス・フランク ニコリーヌ:ステファニー・ドボルザーク 従僕:ヨハネス・ランゲ
<管弦楽>ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
<指 揮>ダニエル・ハーディング <振 付>ハインツ・シュペルリ
<演 出>スヴェン・エリック・ベヒトルフ
2012年7月~8月   モーツァルト劇場(ザルツブルク) 2013年2月 NHK BS 放送録画

 

聴いたことも、ビデオで見たことも一度くらいはあるけれど、これといった印象はない、つまりわかりにくい作品だった。今回は見る環境がよくなっている。

ただこれは初演に近い形で、第1部はモリエールの「町人貴族」をホフマンスタールが翻案した台詞と少しの背景音楽というもの。成り上がり貴族が作家(ホフマンスタール)とその女友だちとのやり取りのなかで、オペラを発注し、それが第2部「ナクソス」ということになっている。

演劇好きとオペラ好き双方から不評だったらしく、その後序幕つきの一幕オペラという形が主流になって今に至っているそうだ。

 

こうしてみるとこの演劇部分はずいぶん長く、ホフマンスタールと女友だちの役者がさらに違う役に扮して登場したり、戸惑うけれども、執事長をはじめ役者が達者なせいもあって、なんとかああそういうものか、と納得した。

 

そしてオペラの「ナクソス」だが、ナクソス島に残され人生に絶望、悲嘆にくれているアリアドネをギリシャ神話(?)の典型的な役たち、そしてフランスやイタリア喜劇などでおなじみの役たちがいれかわりたちかわり出てきてなぐさめ何とかしようとし、そして驚異的な技巧で歌うツェルビネッタ、バッカスが登場、楽しませて幕となる。

 

これはあやふやな想像だけれども、こういう形にすることによって、見ているものはオペラが劇中劇であり、自分たちもこのしかけの中に一緒に入ってオペラの進行を眺めているという感覚を持つことになる。そしてアリアドネの救済と回復を願う気持ち、ツェルビネッタとバッカスへの入れ込み方も、身近な上演への応援のようなものになるのではないか。初演のかたちはそれが強くでるものとなるだろうし、一つの実験として評価できる。

 

演劇部分の役者はみな達者、オペラ部分も木の精、水の精、やまびこの3人はきれいだし、アリアドネもイメージにぴたり、ツェルビネッタはもう少し軽いころころとした感じを想像したけれどエレーナ・モシュクは強い声、しかし役の位置づけを考えればこれでもいいし、長丁場歌いきったのは見事、カウフマンのハンサムなバッカスもいいがワーグナーのカウフマンと比べるとこっちは音域が低いのかどうなのか。

 

オーケストラはウィーン・フィルの小編成、やはりうまいし、ハーディングの指揮は期待に応えた。そして全体に装置と衣装が魅力的で、この作品はこうでなければ。

 

それにしても、20世紀になって前世紀を哀愁をおびて美しく締めくくった「ばらの騎士」のあとにこういう作品を書いたリヒャルト・シュトラウス、この人がいてよかったと思う。

創作論みたいなものが出てくるのは「カプリッチョ」などど同様だが、浸りきれる音楽を生み出し続けたのは、他に誰がいただろうか。まあ晩年、戦後にあの「メタモルフォーゼン」を書くはめにはなるのだけれど、あれだってそういう性格の音楽としては十分に美しい。

 


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メイン・テーマ

2013-03-27 21:37:59 | 映画

メイン・テーマ (1984年、101分)

監督・脚本:森田芳光、製作:角川春樹、原作:片岡義男

薬師丸ひろ子、野村宏伸、財津和夫、桃井かおり

 

どんな筋の映画かという知識もなかったし、公開当時の記憶もない。ただ薬師丸ひろ子の主題歌だけは知っていてカラオケで歌ったこともあるという、見る映画としてはおかしなケースである。

 

しかし「映画として」傑作である。仕事をやめるはめになった保母(薬師丸)、彼女が海辺で遭遇した職業はマジシャンの若い男(野村)、彼らよりだいぶ年上の男(財津)と女(桃井)がからみ、東京から大阪、そして沖縄を舞台にストーリーは動いていく。かれらがどうやってほかの人の居場所を探したかは詳しく語られないし、行動の動機も丁寧に語られることはないから、見ているもの側にそんなに感情移入はない。 

 

しかし、多彩でよく変化するカメラ・アングル、カット特に短めに端折ってでも見るものに想像させればそんなに外れることはないという進行、台詞も多すぎない。まさに編集の自由があり、編集がすべての映画はこういうもんでしょといいたげな作品である。

そういう風に思えてきて、あそうかこれ監督は森田芳光だったんだ!とうかつにも途中で気付いた。 

 

そうして主人公(男)の職業がマジシャンということにもかこつけて、ときどきふざけたいたずら画面のようなものが出てくる。薬師丸がある家の行きかたをきいて、歩いてたずねていくその途中、変な出来事(人のうごきも含め)や背景があったりするが、それは案内に書いてもらった紙に劇場風に描かれている、という場面はこの種の映画としても秀逸。

ひょっとしてそのあとの世代、たとえば三木聡なんかは、この流れなんだろうか。

 

こういう映画の楽しさに、大人になりかけている女性の短い間の変化を薬師丸ひろ子はごく自然に演じている。それにしてもこの年齢の役を見ていて思うのは、彼女の声である。

角川春樹は炯眼だったと思う。すき通った高音とやわらかく温かみのある中低音のコンビネーション、これは彼女の女優としては低い身長とスタイルを補ってあまりある。 

 

桃井かおりの役はクラブ歌手だが、劇中で歌うのが「素敵なあなた」、米国での原題がBei Mir Bist Du Schonというドイツ語のめずらしいもので、歌詞も半分はドイツ語である。これは1960年代から、ラジオで特にラジオ関東でよくかかっていた。いろんな人がカヴァーしていたが、一番ポピュラーだったのはキーリー・スミス&ルイ・プリマ、懐かしいし、これを使ったセンス(片岡の原作にも出てくる?)もいい。

 


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Alone(アンドレ・プレヴィン)

2013-03-23 21:58:16 | 音楽一般

Alone: Ballads For Piano   

Pf: アンドレ・プレヴィン

 

ありそうであんまりない、ソロのジャズ・ピアノ・アルバム。セロニアス・モンクにはあるけれど、プレヴィンで本当にピアノだけというのは初めてではないか。

この人のジャズアルバムとしても1990年ころにレイ・ブラウン(ベース)と二人のギターで、ドラムスなしという変則トリオで2枚出して以来ではないだろうか。録音月日がなぜか書いてないが2007年リリースで、おそらくそのころの録音。1929年生まれのプレヴィンだから80歳手前!

 

半世紀以上前の、ウェスト・コースト・ジャズの代表的ピアニストだったころから比べれば、穏やかになっているとはいえ、この音、テクニック、センスすべてが楽しみを与えてくれる。

全部で13曲、ジョージ・ガーシュイン、コール・ポーター、リチャード・ロジャース、プレヴィン自作などスタンダード・ナンバーの佳曲を心地よさと適度なテンションで聴かせる。さて冒頭の曲はマット・デニスの「エンジェル・アイズ」、これはひょっとしていろんなつきあいと因縁があったシナトラへのオマージュだろうか。なしにろフランキーが人前で最後に歌った曲だから。しゃれていて、女に未練いっぱいで、シューベルト「冬の旅」みたいに悲しくて、という曲だから。念のため、「マイ・ウェイ」が最後ではありません。

 

こうして聴くとリチャード・ロジャースの曲は、この人なんといっても「サウンド・オブ・ミュージック」、「南太平洋」あたりが有名だが、なかなかきもちよく入っていける曲がそろっている。プレヴィンも好きなようだ。たとえば、Bewitched、I don't know what time it was 。

 

夜のんびりと聴くのにもいいけれど、どちらかというと気分はショパンというよりラフマニノフ。プレヴィンはピアニストとしても、指揮者としてもラフマニノフが好きなようで、これはかなりセンスがいいなと思う。 

 

プレヴィンを知ったのは半世紀ほど前だが、そのころはあの傑作アルバム「マイ・フェア・レディ」、「ウェスト・サイド・ストーリー」のピアニスト(ジャズ・ピアノ・トリオの)であり、ハリウッドの映画音楽作曲家、編曲家としてであって、「ペペ」という映画には画面にもちらっと出ていた。なにしろこのころオスカーを4つもとっている。あのジョン・ウィリアムズでも5つだからこれはすごい。

その後はあれよあれよという間にクラシックの指揮者(なんとウィーン・フィルなど)、ピアニストになり、作曲家としてもオペラ「欲望という名の電車」などという、これはテレビでみたころがあるが、傑作をものしている。

調べてみたらその出自からはこっちが本筋だったようだが、それでもジャズ・ピアノの方が私には楽しみで、最近習い始めた身としては、こんな風に弾けたらと空想するモデルでもある。

 

クラシックの世界でも重鎮だからか、このアルバムはクラシックのピアノ・ソロ並みの製作環境だったようで、録音はいい。記録を見ると使用ピアノは、なんとベーゼンドルファー。

 


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ジュリアス・シーザー(ヘンデル)

2013-03-21 11:04:07 | 音楽一般

ヘンデル:歌劇「ジュリアス・シーザー」

ジョヴァンニ・アントニーニ指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコ
演出:モーシェ・レゼール、パトリス・コーリエ

ジュリアス・シーザー(ローマの将軍):アンドレアス・ショル
クレオパトラ(エジプトの女王):チェチーリア・バルトリ
コルネリア(ポンペーオの妻):アンネ・ソフィー・フォン・オッター
セスト(コルネリアの息子):フィリップ・ジャルスキー
トロメーオ(クレオパトラの弟で エジプト王):クリストフ・デュモー
アキラ(エジプトの将軍):ルーベン・ドローレ
ニレーナ(クレオパトラの腹心):ヨッヘン・コヴァルスキー
クリオ(ローマの執政官):ペーター・カールマーン

2012年5月25日、27日 ザルツブルク聖霊降臨祭音楽祭2012

 

ヘンデルの歌劇、聴くのも見るのもはじめてである。モーツアルト以前のオペラでグルック「オルフェオとエウリディーチェ」もそうだが、最近こうして放送で見ることができるのはありがたい。その時代、作曲家への評価もちがってくる。

 

タイトルの「ジュリアス・シーザー」は正確には(英語だと)「エジプトのジュリアス・シーザー」で、シーザーのライバルであったポンペイウスがエジプト王トロメーネオの軍勢に殺され、その妻と息子がエジプトに駆けつけてくる。そこで王の姉で弟をこころよく思っていないクレオパトラ、さらにここに(このオペラでは)のこのこあらわれたシーザーがからみ、最後は皆が一緒になってトロメーネオをやっつける、というお話。

 

まず管弦楽と歌がこれまで聴いてきたものとはまったくちがう。グルックのオペラもいい意味でバロックの管弦楽組曲だったが、こっちは3幕4時間、のべつまくなくこの作曲家のあの「水上の音楽」みたいなずんずんと推進力ある音楽が切れ目なく続く。案外これはどんどん書き進んだのではないかと想像する。

そして、男性の主要な役はつまりシーザー、セスト、トロメーネオ、アキラ(未亡人コルネリアに一方的に惚れている)などは皆カウンター・テナーで、慣れるまでは、このキンキンするオペラはなんだという感じであった。これだけ歌手をそろえるのは今たいへんだろう。

女声はというと、クレオパトラはバルトリ得意のコロラトゥーラ、対してコルネリアのオッターは普通のオペラの声。

 

アリアは管弦楽それも強い通奏低音に支えられ、一つ一つがとてつもなく長い。ドラマとしてはこんなに長くなくてよいし、相手とのかけあいもあまり多くないレシタティーボをのぞくとほとんどない。おそらく当時、声の曲芸を存分に楽しみたかったのだろう。この公演でも勘所のアリアが終わった途端、ピタリのタイミングで「ブラヴィッシモ」とか歌舞伎みたいに声がかかっていた。

 

男声陣もうまいのだろうが、当方とにかく聴いたことが少ないのでまだ慣れていないし、評価はさしおく。

 

名前だけはよく知っているバルトリをじっくり聴くのははじめてだが、声も技巧もすごいけれど、映像で見てもとても品が合って、頭もいい人で、評価は頷けるものがある。

 

オッターはこの役にぴたりだが、あの男装の麗人オルロフスキー(こうもり)のころと比べ、やはり歳とってちょっとふっくらしたなという感がある。 コルネリアの役柄にははまっていて、とても共感できるものであった。 

 

そしてビジュアル的にはオッターはあの長身、そしてバルトリは比較的小柄でこれまでの数多のソプラノと比べてもなんとも巨大な胸、これも面白い。 

 

管弦楽はごくろうさま。演出は、衣装が現代というのは今は普通で、舞台上の戦闘など今の中東を彷彿とさせるドンパチもむしろヘンデルの管弦楽のテンポ、リズムとは合っている。

装置としぐさ(ちょっとお上品な方々には見せられないセクシャルなものも多い)は評価も別れるところらしく、終わってから「ブー」も多少あった。でも作品全体として、現代の観客にはこうしてマンガ的に見せた方がかえって音楽に集中できるかもしれない。

 

ところでバルトリは、このカラヤンが始めた音楽祭で先ごろまでムーティがやっていた総監督を2012年からつとめていて、今回はクレオパトラを一つのテーマにしていたそうである。

意外ではあるが、楽しみでもある。

 

 


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小さな建築 (隈 研吾)

2013-03-17 15:40:04 | 本と雑誌

小さな建築  隈 研吾 著 (岩波新書)2013年

 

建築を大きな建設会社が建てるというのでなく、もっと普通の人が作り、変えていき、解体しということができないかという発想から、そういうアイデア、手法を紹介したもので、知らなかった材料、工法がずいぶんたくさん出てくる。

 

最初はポリタンクの組み合わせで、レンガという人が一人で扱える要素に対応するもの、しかもそれは最初はもっと軽く、水を入れれば重量、強度も出て、いらなくなれば水は抜けばいい、というものである。

 

そうやって、積、もたれかかる、織る、ふくらます、という手法・コンセプトに分類し、隈自身がコンペや注文でトライしたものが説明される。

 

またそうして、従来型の建築のノウハウ、知恵もいくつかわかってくる。

 

一読、面白いが、さてこれで多くの建築、特に住居が変わってくるかというと、それはなかなか難しいだろう。

 

また、アメリカという国がヨーロッパ移民を中心にできたのにもかかわらず、郊外などに土地を取得、新築の比較的大きな個人住宅を求めるということを主流にした、という指摘はなるほどと思わせる。

だからあの最近の不況も生まれた、また日本も特に戦後は同じような流れになっているという指摘はそのとおりだろう。


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