メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

アンナ・カレーニナ

2021-07-19 09:20:53 | 映画
アンナ・カレーニナ(Anna Karenina、2012英、130分)
監督:ジョー・ライト、脚本:トム・ストッパード、原作:レフ・トルストイ
キーラ・ナイトレイ(アンナ・カレーニナ)、ジュード・ロウ(アレクセイ・カレーニン)、アーロン・テイラーー=ジョンソン(アレクセイ・ヴロンスキー)、マシュー・マクファディン(スティーヴァ)、ドーナル・グリーソン(リョーヴィン)、アリシア・ヴィキャンデル(キティ)、オリヴィア・ウィリアムズ(ヴロンスカヤ公爵夫人)
 
最初にことわっておくと、トルストイの原作は読んでいないし、何度か映画化されているようだが映画を見たのもこれが初めてである。
 
なかなか凝った作りで、舞台劇のような始まり、その後も随所に舞台上の場面展開みたいな背景、動きが入り、それらとよりリアルな映像がスピード感をもって編集され映画として作られていく。最近のオペラでこれに近い選出を見るいことがあるけれど、映画では初めてである。
 
そう、このジョー・ライトの作り方はリアリズムではなくて、いきなり登場人物の頭の中が飛び出してくるという感じはある。ただ、筋の展開は原作とそう変わってはいないらしい。
 
アンナには男の子が一人いて、夫は人格者で地位もあるが、あるとき若く容姿も優れたヴロンスキーと出会ってしまい、互いにひかれあっていく。ただこれも表面的な恋といえばそうで、このあとの展開、顛末はトルストイのまたこの映画ではジョー・ライトの腕の見せ所なのだろう。入り込むという感じではないが、最後はかなり納得するとはいえる。
 
このふたりともう一組、ヴロンスキーに相手にされなかったキティと彼女に相手にされなかったがその後結びつくリョーヴィン、この二人の結末は、人民の、農村の中へというか、トルストイに対して持っているステレオ・タイプのイメージに合っているが、それはそれで話の結末としていい終わり方になっている。
 
キーラ・ナイトレイはジョー・ライトの「プライドと偏見」、「つぐない」で主演していて、特に後者はあっていたと思うが、本作だと最初の貞淑な妻から後の展開にいってしまうにはやはりふくよかさが足りないかなと思う。ソフィー・マルソー主演の映画があるようで、ファンなのに見ていないのは残念、いずれ見てみたい。
 
夫アレクセイのジュード・ロウ、ずいぶん違うイメージでびっくりした。ヴロンスキーのジョンソン、もう少し美形で身長があってもいいかと思う。
 
さて、これから原作を読むことがあるか。「戦争と平和」より少し短く、あのような叙事的な部分は長くないだろうが、さてどうか。こういう長編はやはり若い時に読んでおけばよかったと思う。
 
不自由ない家庭的環境にもかかわらず情念の火が燃えてしまう、それに対する人々の反応、シンプルな反対、体裁を守るとはいえ家庭を崩壊させない理性と忍耐、また失敗を乗り越えての恋の成就、貴族と人民、などなど、いろんな要素がからみあった大作ではあるようだ。



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コルンゴルト 「死の都」

2021-07-05 16:18:05 | 音楽一般
コルンゴルト:歌劇「死の都」
指揮:キリル・ペトレンコ、演出:サイモン・ストーン
ヨナス・カウフマン(パウル)、マルリス・ペーターセン(マリエッタ/マリーの幻影)
2019年12月1.6日 バイエルン国立歌劇場  2021年6月 NHK BSP
 
コルンゴルト(1897-1957)23歳の作品、高い評価を得たオペラである。コルンゴルトの作品としては比較的よく演奏されるヴァイオリン協奏曲くらいしか知らなかったが、「死の都」もかなり上演されているらしい(日本でも)。この人、大戦を境に米国に亡命し、映画音楽で活躍、後の作曲家に大きな影響を与えたそうである。
 
原作はベルギーの詩人ローテンバックの「死の都ブリュージュ。これをベースに結末などいくつか翻案しているらしい。ブリュージュが過去の都であるように、主人公パウルは愛した妻マリーの死後も自宅を「在りし者の教会」と名付け、マリーの使っていたもの、洋服から鬘まで残してあり、おびただしい写真を貼り巡らしている。
 
その後パウルはマリエッタという女に出会う。彼女はマリーとうり二つで、好きになるが、自宅には連れてこない。マリエッタは劇団にいて、積極的だし、仲間たちと煽情的な騒ぎをよくしている。マリエッタはパウルがマリーの幻影を求めて自分と付き合っていることに気づき、最後はパウルの自宅に乗り込む。さて二人は殺し合い、自殺?と思わせるのだが、最後は死者を悼んでも、自らの生を、「生と死は分かたれるべき」と結ばれる。
 
作られたのが第一次世界大戦の直後だから、これは大きな意味を持つものだったと思われる。一方でそれまでのヨーロッパの過去に対する喪失感から、そうはいかない人たちもいただろう。ツヴァイク「昨日の世界」など?
 
音楽は聴いていてリヒャルト・シュトラウスを思わせる。きれいなところと、衝撃的なところ、いずれもオペラとしては聴いていて飽きさせない展開である。
 
主役の二人カウフマンとペーターセンは力のいる歌唱と、動きで出ずっぱりであり、これを演じることができる歌手はそう多くはないだろう。
演出は箱型の部屋の組み合わせを使い、回転舞台を使って円滑な場面展開をしている、近年よくあるものだが、照明との組み合わせがよく、効果的である。
 
指揮のペトレンコは、鋭さ、柔軟性、的確である。あまり最近の人に詳しくないこともあってか、1~2年前に突然ベルリンフィルの首席として名前をきいたとき、はてと思ったくらい。このバイエルン国立歌劇場ではもう少し前から実績があるらしい。今後新鮮な活躍を見せてくれそうだ。

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