メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ムターのブラームス

2010-03-31 22:17:36 | 音楽一般
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ 全曲 (ドイツ・グラモフォン)
アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)、ランバート・オーキス(ピアノ)
録音:2009年
 
最初に聴いたときはムターらしいなくらいだったが、2回目でまいった。
3曲まとめて、ブラームスの中でもこれほど魅力があるとは、初めて感じさせられた。
 
なぜか第2番(op.100)、第1番(op.78)、第3番(op.108)の順、でも第1番だって、交響曲第2番よりは後で、ブラームスの若書きではないし、リサイタルの構成ということだろう。
 
ムターの音は澄んで美しいというよりは、弓の使い方もあるのだろうか、いろんな音が混じっているが豊かな感じで、熟した果実とでもいうべきか、最後まで聴く者を離さない。
 
そうして、第2番はドイツ浪漫派の歌曲のように始まり、次の第1番はむしろドイツ表現派のちょっと濃くてどろっとした感じ、誤解をおそれずにいえば演歌のようでもある。そして第3番はクラシックの風格があってしかも疾風怒濤。
 
この数年、20世紀の作品の録音も多く、解釈・表現も大胆に切り込んでいるけれど、それが今回も同様で成功している。ピアノのオーキスとのコンビネーションもよい。
 
1963年生まれのムター、晩年のカラヤンに抜擢されたころは初々しかったが、今や円熟した表現者、カラヤンといえどもこれを見通していただろうか。

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リヒテル・プレイズ・ショパン

2010-03-16 22:01:42 | 音楽一般
「リヒテル・プレイズ・ショパン」
 
スヴャトスラフ・リヒテルのモスクワ音楽院大ホールにおける1967年、1971年、1976年のライヴ録音から選ばれたCD。メロディアから出ているロシア盤。
 
これもグルダのものと同様、ショパン生誕200年をあてこんだものだろう。リヒテルによるショパンのまとまったアルバムは、正規盤とでもいうべきものでは、このほかでやはりメロディアから出ていた第2協奏曲、バラードの第1、第2など、そしてフィリップスから出ていたエチュードをまとめて入れた(全曲ではないが)ものくらいしか記憶にない。
 
しかし、ブリューノ・モンサンジョン「リヒテル」についている演奏記録の統計によれば、作曲家別で最も演奏回数が多いのはなんとショパンであって、リヒテルはショパン弾きといってもおかしくないようだ。
ショパンの曲は演奏時間が平均して短いから、長い時間の間にはカウントは上がりやすいが、それを差し引いてもショパンの演奏回数は多いし、本人も好きだったのだろう。ショパンは旧ソ連音楽界でも定番だったはずで、確かスターリンはベートーヴェンなら好きだったようだから、これらを弾いていれば、たまにショスタコーヴィチを弾いても文句を言われなかったか? というのは考えすぎだろうか。
 
さて、ショパンはやはりこういうアンソロジイがいい。曲の種類でなんとか全曲という作られ方のCDは一そろいあればよくて、あとはうまく並べられたものに限る。
 
このCDもなかなかで、よく歌い、ルパートもよく、もちろんピアニスティックな満足感も大きい。
ショパンの曲はおそらくピアニストの生理に訴える部分があるはずで、リヒテルの感応力は高い。
例えば「幻想ポロネーズ」変イ長調Op.61、そしてホロヴィッツも得意にしていたエチュード嬰ハ短調Op.25-7。
 
ところでメロディア盤は10年前あたり、本国で問題があったか、また日本で販売しているBMGビクターとの間に問題があったのか、両方だったのか、もうこれきりという話があり、最後はセールになって1000円以下でたくさん売り出されていた。急いだわけではないけれど、これ幸いと、リヒテル、ヴェデルニコフ(ピアニスト)、ショスタコーヴィチの録音の少ないもの、などだいぶ買った。ヴェデルニコフなんか買っておいてよかったと思う。
 
最近また、カラヤンのモスクワ・ライヴあたりから、珍しいものも含めて出始めているようで、期待できそうだ。

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グルダのショパン

2010-03-14 17:30:17 | 音楽一般
フリードリッヒ・グルダ(1930-2000)によるショパンの演奏2枚組CDで、1954~1955年ころの演奏会録音である。発売はDGだが、最初は英Deccaの制作。
 
モーツアルト、バッハとグルダのアーカイブという感じでこの数年DGから出されてきたが、生誕200年ということでショパンなのだろう。でも、こうやってある程度まとめて聴けるとそれはいいことかなと思う。
 
このときまだ20代前半である。たしかグルダは20歳前にピアニストとしてのテクニックは完成してしまったと自ら語っていたように記憶するから、キャリアの途中でこなさなければいけないであろうショパンについてもお手のものだったにちがいない。
 
そうであっても、ベートーベン、モーツアルトなどで名をなしていったピアニストは、なぜかあまりショパンは弾かなくなり、あるいは録音しなくなり、それぞれのイメージを作っていってしまう。本人の意図か、マネージャー、レコード会社の意図かは別にして。
 
実は、いわゆるショパン弾き以外の人にもいいショパン演奏はある。これもその一つ。
 
「24の前奏曲」、これはおやっとおもうほどくぐもった音響で進んでいく。会場のせい、録音のせいというよりかなり意図的ではないだろうか。ペダルの使い方かもしれない。最初は違和感があるけれども次第にこの方が聴く者を中に引っ張り込んでいく。うまいピアニスト、その名演奏といわれるものは、もっときらきら音たちがこちらに降り注いでくる。それはいいのだが、なにか音楽は離散的になりがちだ。この曲集は明らかに一つのストーリーのもとに作られているのだろうから、こういう演奏もいい。
 
もっと激しい感じで違った方向ではあったけれど、ストーリー性を感じさせる演奏に、クリストフ・エッシェンバッハの演奏(1971)があった。あまり評判よくはなかったが、吉田秀和だけが評価して「黒の詩集」と書いたことを覚えている。
 
ピアノ協奏曲第1番、これも若いときでないと録音してくれない。でもやはりこうして聴くと、たまにはいいなと思うのだ。エイドリアン・ボールト指揮ロンドン・フィル、伴奏も一流。 
 
2枚目は4つのバラード、ノクターン、ワルツなどにバルカロール(舟歌)で、ライブならではか、楽しそうに弾いているのがいい。ベートーヴェンでもそうだったように、グルダという人は演奏すると出てくる自然の勢いをうまく使う。
バラード第1番のフィナーレ、あの大げさに駆け下りてくるこけおどしのような音楽、そうあのホロヴィッツはここで大見得を切ってみせたけれど、グルダもちょっとはずした形でやる。楽しい。
 
これまでに聴いたグルダのショパンは、アマデオに1960年ころ録音したアンコールピース集のようなLPに入っていた「ワルツホ短調(遺作)と「子犬のワルツ」(なんと!)だけ。全体にこういう商品を弾くと、エキセントリックなところをうまく織り交ぜながら楽しませるのだけれど、今あまり発売されていないのは残念だ。ドビュッシーなども再発売されないだろうか。
 
おしまいに入っているのは自作「EPITAPH fur eine Liebe」、「一つの愛に捧ぐ(碑文)」とでもいうのだろうか。ショパンの前奏曲ハ短調が最初にあって、そのあとはバラード風のジャズ・ピアノという感じである。しかしジャズとしてはちょっと思い切りが足りないというか、うまくいえないけれど。
そして、途中で突然、歌というよりグルダの語りが大きな声で出てくる。これは???
 
ジャズ・ピアノでこんなにダイナミック・レンジが広いってことはないし、それはそれですごいけれど。

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オイストラフのショスタコーヴィチ第2/チャイコフスキー

2010-03-09 13:06:38 | 音楽一般
ショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第2番」
チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」
ヴァイオリン:ダヴィッド・オイストラフ
ユージン・オーマンディ指揮ロンドン交響楽団(LSO) 
マキシム・ショスタコーヴィチ指揮ロンドンフィルハーモニー(LPO)
BBCのLEGENDSシリーズCD
 
オイストラフによるこの2曲の演奏はもちろんこれまでにも出ている。とはいえ、今回おそらく初めてリリースされたこのCDは、よくぞといううれしいものだ。
 
ショスタコーヴィチは、スベトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団とのロンドンにおけるライブ録音(1968年)がやはりBBCから出ていてる。これも持っているが、今回まだ比較はしていない。
今回のは1967年10月にモスクワでオイストラフによって初演された1か月あとロンドンで演奏されたものだから、この曲の演奏記録としてもより貴重なものだろう。
 
曲はスターリン時代の恐怖が反映しているといわれ怖ろしいカデンツァがある第1番とは趣がちがうけれど、構成、演奏テクニックの披瀝、感情など全てに関して、繰り返し演奏され、また聴かれていいものだ。
 
そして客演指揮者がなんとオーマンディで、このころの記憶ではこの人はポピュラーな名曲をあの世界一輝かしいフィラデルフィア交響楽団で多く録音しており、こういうものをやるというイメージではなかった。
もっとも広いレパートリーのポピュラー名曲がうまい指揮者というのは、カラヤンの例もあるように、現代ものをやっても達者なことがよくある。ここでも、特に最後の楽章など、見事なサポートで、演奏直後の拍手(日本のこれがよく批判されるけれど、ロンドンはそれ以上のことがよくある)は、オーマンディにも幾分向けられているだろう。
 
実はオイストラフのチャイコフスキーは聴いた記憶がないのだけれど、この録音の演奏は想像したより、表現の振幅も大きく、スピード感も見事であって、あのハイフェッツとは対極の名演奏だろうか。
録音は1972年、オイストラフ (1908-1974)がその晩年、このような自信に満ちた迫力ある演奏をしたということには、感慨が深い。
 
オイストラフというと、美しい音、恰幅がよく、押し付けがましくない、というイメージだった。リアルタイムでは。
聴くほうも若かったから、だから物足りないということもあったけれど、それでもベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲(ピアノはオボーリン)、そして、アンドレ・クリュイタンス指揮フランス国立交響楽団とのあの奇跡的なベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、これらはいまでも時々取り出して聴いている。 
 
ロストロポーヴィチ、リヒテルなどと比べると人がよくて、だからスターリン時代はこの二人からすると危ないと思われていたようだ。
若いころから天才だったのだが、1935年第1回ヴィニャフスキー国際ヴァイオリンコンクールに出場したときは2位、しかしこのとき1位の1天才ジネット・ヌヴー(15歳)の演奏を聴いて、残念がるどころか素晴らしい才能の発見と妻に伝えた、と何かに書いてあった記憶がある。さもありなん。
 
ついでに今回確かめるために調べたところ、アメリカに向かうエール・フランス機の墜落でヌヴー(1919-1949)は30歳の生涯を終えてしまう。これはよく知られているが、このときやはり犠牲になった乗客にあのエディット・ピアフが愛したフランス人プロボクサー マルセル・セルダンがいた、というのは初めて知った。ピアフの映画でも悲しみにくれる場面が記憶にある。

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