グノー:歌劇「ファウスト」
指揮:ヤニック・ネゼ=セガン、演出:デス・マッカナフ
ヨナス・カウフマン(ファウスト)、ルネ・パーペ(メフィストフェレス)、マリーナ・ポプラフスカヤ(マルグリート)
2011年12月10日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2013年8月WOWOW
観るのは初めて、録音でも全曲を聴いたことはないし、なによりゲーテの原作はいずれ年取ったら読もうとおもっていたけれど、読んでいない。こういうものは無理しても若いころに読んでおかないと。
さて「ファウスト」はメトの杮落しだったそうで、このたっぷりしてきらびやかな音(褒め言葉で)はメトに似合うし、いくら映像がよくなったとしても、直に観るとさらに効果満点だろう。
今回はなによりカウフマンとパーペ、声も姿も、まあ今これほどの二人はいないだろう。この数年、TVでいろいろ見られるようになったおかげで、あの史上まれにみるジークムント、きわめて立派で悪いボリス、それらから期待は膨らんでいたわけだが、期待どおりだった。特にパーペの憎たらしい演技。
演出は、現代を想定した衣装、二つの大戦の間だそうで、ファウストは物理学者、原爆を開発したという想定らしく、メフィストフェレスと契約して若者になり、最後また老科学者にもどる。
この物語、いつでもそして誰にもある聖と俗の話。俗といってもそう悪いことではなくて大過なく生きていくという程度のことも含んでいる。その俗の世界でさらに飛躍しようとするものに悪魔がささやく。そしてうまくことを運びさらにそそのかしていく。しかしそうされたものには、どこかで自分の中に、また関係する他者との間で、どうしようもない「聖」との対峙が出てくる。さてそのときどうなるのか。
最後、兄との約束があり、また恋人がいながらファウストの子を生んで捕えられたマルグリートを救出し逃げようとするファウストを、彼女は振り切り、救済、昇天していき、老科学者にもどされたファウストは、毒を仰ぎ息絶える(この演出特有?)。
マルグリートが生んだ子が、大きな円筒形の原爆のように見えたが、、、実際に劇場で全体が見えればもっとよくわかっただろう。
マルグリートのポプラフスカヤは、歌だけならいいが、他の二人に比べ風貌がちょっと(失礼かもしれないが)。終盤の薄幸になってからは違和感ない。
こういう結末だけれども、こちらとしては悪魔とうまく取引しながら(その局面ではあまり高望みせず)生き続けるということ、だろうか。