メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

グノー「ファウスト」(メトロポリタン)

2013-09-27 10:09:59 | 音楽一般

グノー:歌劇「ファウスト」

指揮:ヤニック・ネゼ=セガン、演出:デス・マッカナフ

ヨナス・カウフマン(ファウスト)、ルネ・パーペ(メフィストフェレス)、マリーナ・ポプラフスカヤ(マルグリート)

2011年12月10日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 2013年8月WOWOW

 

観るのは初めて、録音でも全曲を聴いたことはないし、なによりゲーテの原作はいずれ年取ったら読もうとおもっていたけれど、読んでいない。こういうものは無理しても若いころに読んでおかないと。

 

さて「ファウスト」はメトの杮落しだったそうで、このたっぷりしてきらびやかな音(褒め言葉で)はメトに似合うし、いくら映像がよくなったとしても、直に観るとさらに効果満点だろう。

 

今回はなによりカウフマンとパーペ、声も姿も、まあ今これほどの二人はいないだろう。この数年、TVでいろいろ見られるようになったおかげで、あの史上まれにみるジークムント、きわめて立派で悪いボリス、それらから期待は膨らんでいたわけだが、期待どおりだった。特にパーペの憎たらしい演技。

 

演出は、現代を想定した衣装、二つの大戦の間だそうで、ファウストは物理学者、原爆を開発したという想定らしく、メフィストフェレスと契約して若者になり、最後また老科学者にもどる。

 

この物語、いつでもそして誰にもある聖と俗の話。俗といってもそう悪いことではなくて大過なく生きていくという程度のことも含んでいる。その俗の世界でさらに飛躍しようとするものに悪魔がささやく。そしてうまくことを運びさらにそそのかしていく。しかしそうされたものには、どこかで自分の中に、また関係する他者との間で、どうしようもない「聖」との対峙が出てくる。さてそのときどうなるのか。

 

最後、兄との約束があり、また恋人がいながらファウストの子を生んで捕えられたマルグリートを救出し逃げようとするファウストを、彼女は振り切り、救済、昇天していき、老科学者にもどされたファウストは、毒を仰ぎ息絶える(この演出特有?)。

 

マルグリートが生んだ子が、大きな円筒形の原爆のように見えたが、、、実際に劇場で全体が見えればもっとよくわかっただろう。

 

マルグリートのポプラフスカヤは、歌だけならいいが、他の二人に比べ風貌がちょっと(失礼かもしれないが)。終盤の薄幸になってからは違和感ない。

 

こういう結末だけれども、こちらとしては悪魔とうまく取引しながら(その局面ではあまり高望みせず)生き続けるということ、だろうか。

 


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ワーグナー「さまよえるオランダ人」(バイロイト音楽祭2013)

2013-09-14 17:28:49 | 音楽一般

ワーグナー:歌劇「さまよえるオランダ人」

指揮:クリスティアン・ティーレマン、合唱指揮:エバハルト・フリードリヒ、演出:ヤン・フィリップ・グローガー

フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ(ダーラント)、リカルダ・メルベト(ゼンタ)、トミスラフ・ムジェク(エリック)、クリスタ・マイア(マリー)、ベンジャミン・ブランズ(かじ取り)、ヨン・サミュエル(オランダ人)

2013年7月25日 バイロイト  2013年8月 NHK BS Pre

 

「オランダ人」を映像で見たことは過去にあったような気もするが、どんなだったか記憶はない。今回はしっかり味わうことができた。

 

ワーグナー作品のなかではテーマを構成する要素がシンプルでわかりやすく、なにより3幕を2時間と少しで一気に上演してしまうのがいい。  

 

荒海を乗りきるという野望と自信が神の怒り触れ、呪いをかけられてさまよう運命となったオランダ人、白馬の王子願望とその王子を助けることができるのは自分だけというこれまたありがちな娘、それをとりまく人たちは俗っぽく、特に金への執着が強い。

 

演出はこの構図を強調していて、娘ゼンタの父ダーラントは現代の経営者、かじ取りとともに三つ揃いのスーツ、多くの港町の男たちも同様な服装、経営する工場で作られるのは扇風機かなにかで、いたるところ段ボールの箱があり、これが主要舞台装置である。

 

テーマとその構成がシンプルでどの時代にも共通ということは観客もすぐ納得できるから、変なリアリズムよりはこの方が作品の核心にはいっていけるだろう、という現代風演出の受け取り方は、今回もできないわけではない。

 

もっとも、チケットは高価で入手困難、それでこれ?という感は、現実にそこにいた観客には残るだろう。

 

個人的には、少し進んでから違和感は少なくなった。ただ、二人以外の金亡者ぶりの強調は、ちょっとやりすぎで、もうわかってると言いたくなるところもあった。

 

歌手ではゼンタのリカルダ・メルベトが、存在感とオランダ人に対する思いの絶対性を納得させる歌唱だった。オランダ人のヨン・サミュエル、話の筋からしても受けの演技になるが、ちょうどいいバランスだろうか。

 

ティーレマンの指揮は的確。むしろ問題はオーケストラと合唱で、今の主要オペラハウスと比べると、やはり毎年臨時でメンバを集めるという形は限界があるのだろうか。たとえば最近ワーグナー上演が盛んなスカラ、メトロポリタンと比べると、おちる。特に合唱はこれがメトロポリタンだったらと思った。たとえば第3幕の前半、この船乗りたちの合唱は、オランダ人の運命と絶望をさらに強く説得させてくれるはずなのだが。

 

 


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デイヴィッド・ゴードン「二流小説家」

2013-09-09 10:18:14 | 本と雑誌

デイヴィッド・ゴードン「二流小説家」 青木千鶴 訳 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

たいへん評判になった作品で、2011年いくつかのミステリ・ベスト10で軒並み1位になり、日本で映画化もされている。

 

主人公はニューヨーク・クイーンズ在住の小説家、といっても様々な名前、性別などを使い、怪奇、残虐、ポルノなどでなんとか続けている男。

 

そこに連続殺人犯で死刑間近の男から、一つのペンネームあてに手紙がくる。自分の告白をある条件のもとに小説にしていい、というもの。

面会するとその条件とは、こういう殺人犯には逆にファンとなった女性から手紙がくるらしいのだが、彼女たちに会って、彼女たちを主人公にした小説をその犯人だけのために書いてほしい、という変わったもの。

 

それに応じているうちに、その女性たちが次々と残虐な形で殺されていく。

はたして死刑囚は本当は無罪なのか、それともこの事件のからくりは、、、

というもの。

 

もとの事件の関係者の女性、主人公が金稼ぎに家庭教師をしている女の子が脇役として、進行を面白くしている。

 

この作品の斬新なところは、随所に出てくる作家論、小説執筆に関するいろんな悩み、事情などで、仕掛けとしては面白い。

 

ただ、その過程に出てくる小説の一部が、私はほとんど興味がないゾンビもの(というのかな)だったり、とにかく怪奇、そしてちょっと幼稚(わざとな)ものが多く、まあそこは飛ばし読みになってしまうから、評判ほどの感はない。

 

原題は The Serialist 、連載小説作家とでもいう意味だろうか。


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ヘンデル「ロデリンダ」(メトロポリタン)

2013-09-04 14:46:02 | 音楽一般

ヘンデル:歌劇「ロデリンダ」

指揮:ハリー・ビケット、演出:スティーヴン・ワズワース

ルネ・フレミング(ロデリンダ)、アンドレアス・ショル(ベルタリード)、ステファニー・ブライズ(エドゥイージュ)、ジョセフ・カイザー(グリモアルド)、イェスティン・ディヴィーズ(ウヌルフォ)、シェン・ヤン(ガリバルド)

2011年12月3日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場  2013年7月 WOWOW

 

先の「アルミーダ」に続くような、つまり共通するところが多いものである。アルミーダを作ったロッシーニがベルカント・オペラを作るにあたり、ヘンデルのオペラはベースとなったことだろう。ヘンデル作は40もあるそうだが、この「ロデリンダ」は評価が高いようだ。

それはそうだろう。夫の王(ベルタリード)が戦いに出て死んだと伝えられ、後を襲ったグリモアルドから幼い王子の命と引き換えに結婚を強要されるロデリンダ、夫の妹はグリモアルドといい仲だったらしいが裏切られ、それにつけ込むガリバルド、実は生きていた夫に忠実になんとかしようとする部下・友人のウヌルフフォ、こういう風に少数の人間のからみあいが、ドラマとしてちょうどいい。

 

音楽はダ・カーポというか、繰り返しが普通だが、上記の設定からするとそんなに急がず進んで行っても、聴く方に違和感はない。

 

そして、ここではショルとディヴィーズという二人の優れたカストラートが聴く楽しみを与えてくれる。特に第2幕終盤のショルとフレミングの二重唱は、いわばソプラノとソプラノが抱き合って歌うわけだが、そのハモリ方はぞくぞくするほどだった。

 

フレミングはメトのこの分野を広げていくことに積極的なようで、彼女の立場からすると半分プロデューサーのようなものだろう。

 

ショルは先の同じヘンデル作「ジュリアス・シーザー」 でシーザーをやっていたが、あそこよりはより心情の表出が豊かな役で、これは大変な人である。容貌、長身の姿も主役にピタリである。シーザーの時はあのかなり飛んでる演出(衣装も含め)で、私もなかなか評価できなかったところはある。それにあの演出はザルツブルクではよくても、性的な面でお堅いアメリカでは受け入れられないかもしれない。

 

もう一人のカストラートのディヴィーズもとてもいい。幕間のインタビューも面白く、二人とも普段話す声はバリトンに近い。声変わりに時に、素質を発見した教師の勧めでこういう声を保てるようにしていったそうだ。

 

繰り返しも3回が多いわけだが、2回目での変化が重要で、それを受けての3回目というのはなるほどであった。

 


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ロッシーニ「アルミーダ」(メトロポリタン)

2013-09-01 22:09:42 | 音楽一般

ロッシーニ:歌劇「アルミーダ」

指揮:リッカルド・フリッツァ、演出:メアリー・ジマーマン

ルネ・フレミング(アルミーダ)、ローレンス・ブラウンリー(リナルド)、ジョン・オズボーン(ゴッフレード)、バリー・バンクス(ジュルナンド/カルロ 二役)、ゴービー・ヴァン・レンズブルグ(ウバルド)

 

2010年5月1日 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場  2013年7月 WOWOW

 

ベルカント唱法が、それも曲芸的なほどのものが楽しめるロッシーニ得意分野のオペラである。

ダマスカスの女王にして魔女のアルミーダ、対するは十字軍、その中のリナルドとアルミーダが恋仲になり、アルミーダは一方でそれを利用して勝利を導こうとする。話は荒唐無稽というかおとぎ話だが、コメディではなくセリアといえばそう。特にフィナーレは「えっ」というハッピーエンドでも悲劇でもない中途半端なもの。

 

いろんな作曲家が扱った題材らしいが、ロッシーニが1817年に作曲してしばらく後からは忘れられていたそうだ。その後復活したが、メトではこのシーズンが初上演。

 

ルネ・フレミングはまだそれほど評価されていなかった時期、急遽代役でこれをやり大当たりとなり、その後順調なキャリアを積んだらしい。

 

アルミーダ、そしてなんと6人のテノールがくりひろげるベルカントのサーカスは楽しめる。リナルドのブラウンリーは同じメトのロッシーニ「ラ・チェネレントラ(シンデレラ)」で王子役だった。こういうのは当たり役なんだろう。欲を言えばシンデレラのガランチャほどの長身に見合うのは無理としても、今回のフレミングと並んでももう少し身長があれば、、、

 

アルミーダの心中を表す「愛」と「復讐」を象徴する二人のキャラクターが無言で飛び回るが、これは演出家のしかけ。まずはうまくいっている。

ところで幕間でフレミングが言うには、歌で繰り返しになるところは歌い手が自由に装飾していいことになっているそうで、そういう決まりはロッシーニではこれ、他にはヘンデルのいくつかだそうだ。

そういう形、進行は、ジャズ演奏の構成に通じるところがあって面白い。考え方は連綿と続いているのかもしれない。

 


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