メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ハンナ・アーレント(映画)

2015-01-31 11:18:49 | 映画
ハンナ・アーレント(2012独、114分)(HANNAH ARENT)

監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
バルバラ・スコヴァ(ハンナ・アーレント)、アクセル・ミルベルク(ハインリッヒ・ブリュッヒャー)、ジャネット・マクティア(メアリー・マッカーシー)
 

先に「ハンナ・アーレント」(矢野久美子著)をアップしたが、その少し前から、この映画の評判はいろいろきいていた。岩波ホール(?)での上映は常に満席だったとか。
ようやくこうして見ることが出来たのだが、さて映画としてはいま一つであった。
 

ユダヤ人が収容所から解放されて70年、アイヒマン裁判とアーレントによるそのレポートから半世紀も経ってみれば、この機会によく知っておこうという人は多いだろうし、あの裁判が引き起こしたことについて、映画は一応的確には伝えているとは思う。しかしあのころ、欧米から離れた日本で彼女の言説やそれに対する多少の論評を読んでいれば、特に加わるものはない。
 

ちょうど70年ということからか、先日NHKでホロコーストに関するいくつかのドキュメンタリーが放送され、その中にイェルサレムにおけるアイヒマン裁判があった。この裁判にイスラエルは世界に対して、そしてホロコーストをあまり意識したくない若いユダヤ人たちに対してアピールするために、当時はそれほど普及していなかったビデオ録画を駆使して配信したようだ。今回の50分番組は、裁判の状況を生々しく、また的確に要点をまとめ(?)、その後生存している人たちのコメントを加えたものである。製作者は当然アーレントの「イェルサレムのアイヒマン」を知っているだろうから、この番組を見てしまうと、少なくともこの裁判がどういうものだったかということは、今回の映画と食い違ってはいないし、むしろこのドキュメンタリーの方がよくわかる。
 

なお、映画に出てくる裁判の場面は、このときのビデオを使っていて、当然モノクロ、映画の中に流れとしてうまく収めてはあるけれど、作り手として怠慢ではないだろうか。いま太平洋戦争の映画を作ったとして、それに米軍が撮ったニュース映画映像を使うだろうか。もっとも、アイヒマン役を引き受ける俳優がいるかどうか。
 

ハンナ本人の人、人生については、夫ハインリッヒ、その愛人らしき女、ハイデガーと、よく知られている人たちが出てくる。ハンナは男女関係について、特に潔癖でも禁欲的でもなかったと思う。そういう彼女のある意味での強さも描くのであれば、ハイデガーとのいくつかの場面はもう少し生々しくてもよかったのではないだろうか。そうであれば、あのへヴィー・スモーカーの彼女と対応する。
 

バルバラ・スコヴァは、容貌、演技とも、私のアーレントについてのイメージからするともう少し研ぎ澄まされた感じが欲しい。上記のドキュメンタリーには、法廷で取材しているアーレントが一瞬出てくるが、ちょっとどうかと思う幅広縞のシャツで、浮いているが鋭い感じ。
あと、友人のメアリー・マッカーシーは、1960年代話題になった映画「グループ」(キャンデス・バーゲン他)の原作で知られた。ヴァッサー大学の才媛のイメージで、映画のいろどりとしてはいい。

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殺意は薔薇の香り

2015-01-26 20:55:24 | 映画
殺意は薔薇の香り(2013仏、103分)(AVANT L'HIVER)
監督:フィリップ・クローデル
ダニエル・オートゥイユ、クリスティン・スコット・トーマス、レイラ・ベクティ
 

主人公の脳外科医に謎の若い女性がストーカーのようにくいつき、医者の妻、娘の家族、妻の姉、同僚などに波紋が広がる。もっと緊張感があるサスペンスを想像したけれど、この時代の、フランスの、こういサークルを描いた広い意味での風俗映画ともいえる。それはそれで見ていて興味は浅からずなのだけれど。
映画の冒頭で前記の若い女性の運命が暗示されてしまっているのはどうなんだろう。
 

ダニエル・オートゥイユはこの役としてはちょっと太り気味で、切迫感に欠けるように見えた。若い女性役のレイラ・ベクティは北アフリカ系の設定らしい。役にははまっているが、監督が少し内面を引き出す演出をしてもよかったと考える。
 

映画としての楽しみはほとんど外科医の妻を演じるクリスティン・スコット・トーマスで、スタイルもいいし、しぐさ、雰囲気がさりげないのだが、なんともセクシーである。イギリス生まれだが、いまアリュール(allure)という言葉がもっともふさわしい女優の一人。「イングリッシュ・ペイシェント」以来のファンとしては、まあ見てよかった。



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ピエール・ルメートル「その女アレックス」

2015-01-22 09:31:15 | 本と雑誌
「その女アレックス」ピエール・ルメートル著 橘明美訳 2014年9月 文春文庫
昨年の各種ミステリ・ランキングで圧倒的な評価を得た評判作。確かにあっと驚く展開。
 

にアレックスという女がパリの路上で夜に誘拐され閉じ込められひどい目にあう。どういう目的なのかがわからないまま継続する。
一方、追う警察側は個性的な3人と意地悪な判事、その描写が面白い。警察が被害者についても何もわからないまま続くのだが、これが一つの鍵になっていて、犯人の追及から、この女は誰だったのか、その解きほぐし(つまり将棋や碁の対戦後の解説みたいなもの)の過程でまた、、、と大筋で3つくらいのどんてん返しがある。
 

パリを題材ということでは先の「古書店主」があるが、それとは対照的だ。パリの描写は後者の方がしゃれていて気持ちいいけれど。
追う側の極端に小柄な警部の半生と心象が丁寧に描かれ、これがこの後味のよくなさそうな事件とバランスをとっている。
 

アレックスとはなにもの?と思わせるところは「ジャッカルの日」みたいなところがあり、この犯罪の背景としてはあの「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」を連想させる。とはいえ、まあそれはいいだろう、全体としてうまく組み上げられていれば。

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LIFE !

2015-01-20 14:40:55 | 映画
LIFE! (2013米、114分)(THE SECRET LIFE OF WALTER MITTY)
監督:ベン・スティラー、原作:ジェームズ・サーバー
ベン・スティラー、クリスティン・ウィグ、アダム・スコット、キャスリーン・ハーン、シャーリー・マクレーン、ショーン・ペン
 

これはコメディではあるけれど、ベン・スティラーの関係した映画としては、ヒューマンで真面目な面が強い。経営があやしくなってきているタイム・ライフ社でライフのネガ管理を担当しているウォルター(ベン・スティラー)、最終号の表紙として有名写真家から指定されたネガがなくなってしまい、それを探して世界をといってもグリーンランドからアイスランドという極寒の地をあたふた駆けめぐるというストーリー。彼の妄想と多くはそれに起因するドタバタが現実を非現実をないまぜた画面として作られていく。
それにあまり頼っていないバランス感もある。また画面の変化が、写真のネガを眺めるところに呼応しているのか(?)横に流れていくことが多いのも面白い。
 

ネガの行方、結末の予想も途中から大よそつくし、シングルマザーの子と仲よくなりさてというのはヒュー・グラントあたりの映画にあったような記憶がある。またまったく違うようでいて「メリーに首ったけ」に通じる感覚もある。
ともあれ後味は悪くない。ただベン・スティラーとしてはもっと何か冒険をしたかったのではないだろうか。
 

グリーンランドからアイルランドのヘリコプター、ボート、スケートボードの快走などはカメラワークもいい。
共演の配役もいいし皆なかなかの演技で、彼ら彼女らのモチベーションもよかったのだろう。ショーン・ペンのカメラマン、この人こういう風ないい味もだすんだと思った。
 

なおこの原作は1947年にダニー・ケイ主演で映画化されていて、今回WOWOWでも連続して放映したのだが、こういうように両方見られる状況にあるときはいつも新しい方から見ることにしている。教養主義がいやだというよりも、それが時代に沿った作られ方をする映画には合っていると考えるからだ。前作についてはいずれ。
 

さてちょっとしたことだが、ある場面の台詞で"Stay Gold"と叫ばれたとき字幕には「永遠に輝け」とあった。ステイゴールドは多少競馬に興味があるひとなら知ってるように、現役時代にはかなり活躍したくせ馬で、その後あのオルフェーブル、ゴールドシップの父として名をはせた。名前の由来を辞書などで調べたのだがいま一つ決定的なものに当たらなかったが、これで納得。

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補足「ばらの騎士」

2015-01-14 08:50:22 | 音楽一般
昨日書いたザルツブルグの「ばらの騎士」でもう一つ気がついたこと。


公爵夫人にはモハメドという黒人の男の子の小間使いがいて、まず最初にオクタヴィアンがまだいる朝の寝室に食事を持ってくる。
そして対称的に最後に登場するのもこの子である。もっとも今回は通常より年長の子を使っている。
最後の場面、侯爵夫人の部屋、夫人が去ってオクタヴィアンとソフィーの愛の二重唱があり、二人が去った後、誰もいなくなった舞台にこの子が入ってきて、何かと思えばソフィーが落としたハンカチを拾って出ていき、そこで印象的な音楽で幕になる。


さて今回の演出、部屋と屋外が切れ目なく、照明で観客に明示するようになっていて、小間使いはハンカチを持って外に出てたたずむが、音楽の最後、なにかそれを口のあたりに持っていき、ふっと吹いて飛ばしたように見え、その瞬間暗転して終わった。
ソフィーのハンカチだから、これはもしかして、夫人は若い二人にあとを譲ったのだが、その内心は穏やかではないということを強調したのだろうか。


まあその感情はこれがなくても理解できるが、普通の演出だと、貴族の夫人の部屋はきれいにして次の世代にというような感じに舞台としてはなるかもしれない。美的にはこっちの方がいいけれど。

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